バンドの歴史



GLOVE LOVEの新しいWebサイトに引っ越しました!今すぐ glovelove.jp にアクセス!




◆1987年
元々、(株)リクルートの社内バンド「SJCオールスターズ」のメンバーだった、田中(Guitar)、船津(Drums)が、田中の元・部下N氏(Bass)の紹介でY氏(Guitar)と会い、意気投合し、ビートルズのコピーバンド結成。

当時、会社にあった秘密(?)のスタジオで数回練習し、数か月後からは社内イベントに出演するようになる。社内限定ということもあり、初期の頃は、ベースを弾きながら歌えないと、GeorgeがAll My Lovingを歌ったり、JohnがRoll Over Beethovenを歌ったりと、かなりいい加減なコピーバンドであった。

それでも、秋には、社内イベントで「大阪城ホール」のステージで数千人の社員の前で演奏したりした。そして、次第に、現在も追求し続けている「完全コピー」を標榜するようになる。社内イベント中心のステージを重ねるうちに、社外でも実力を試そうとビートルズシネクラブ(現・ビートルズクラブ=通称BCC)主催の第1回ビートルズバンドコンテストに応募。この時に、それまで、正式なバンド名がなかったが、映画「Yellow Submarine」からのインスパイアにより、GLOVE LOVE(グローブラブ)と命名。テープ審査を通過し、東京東地区大会に出場、何と地区代表に選ばれる!!演奏曲は、「Please Please Me」

その後の全国大会では、惜しくも入賞を逃したものの、個人賞として、Drumsの船津がRINGO STARR賞を受賞!その栄誉に自信をつけ、1989年10月、国立にあるライヴハウス「リバプール」に初出演。その直後、リバプールからの推薦で、テレビ朝日の深夜特集番組「おじさんたちのビートルズ」に出演。「Please Please Me」を演奏。当時の人気番組「いかすバンド天国」のように、ゲスト出演していた評論家各氏より、毒舌(?)の批評を浴びる。その後、国立リバプールを中心にライヴ活動を続け、店の人気バンドの一つになる。

◆1990年
BassのN氏が地方転勤のため、バンドを離脱、翌1991年、Drumsの船津が海外留学のため、一時バンド離脱と存続の危機を迎えるも、その都度、ピンチヒッターを起用し、ライヴ活動は断続的に続ける。

◆1993年
Drumsの船津が帰国し、バンドに復帰。同年、レギュラーメンバーとして金子(Bass)が加入し、新生GLOVE LOVEがスタート。国立リバプールでの活動を中心にライヴ活動を再開。

◆1999年
リバプールの新装オープンのコケラ落としの初ステージも務める。

◆2000年
新規オープンの大塚welcome backの第1回ビートルズ大会のトリを務める。

◆2005年
音楽的な食い違いにより、John役のY氏が脱退。同年、現・John役の森が加入。

◆2012年
大塚Welcomebackにて結成25周年ライブ。オリジナルメンバーから現メンバーの演奏など、バンドの歴史を再現。

◆2016年
横浜カントリーハウスにてBeatles来日50周年記念ワンマンライブを行う。第1部では武道館ライブを完全再現。なおカントリーハウスのオーナーである「足立まさる」さんはブルージーンズのメンバーとして1966年のBeatles日本公演「武道館ライブ」で同じステージに立った経歴を持つ方。これによりGLOVE LOVEは「Beatlesと同じステージに立った方と同じステージに立った」バンドとなった。

◆2017年
結成30周年としてさらに精力的なライブ活動を続けている。





← GLOVE LOVEとは? メンバー紹介へ →



























































































最終更新:2017年10月16日 17:31
|新しいページ |検索 |ページ一覧 |RSS |@ウィキご利用ガイド |管理者にお問合せ
|ログイン|