(5)教師は聖職者たれ
義家 学校と親の関係も、近年、大きく変わってきています。
私自身も、よく生徒の親とぶつかりました。職員会議で問題になったことも多々あります。
しかし、ぶつかり合うのはいいことなんです。私は今三十五歳なんですが、生徒の親もだいたい同世代か、もう少し上なんですね。
どちらも半人前で、教師として、親としてお互い育っていかなければならない。子供に良くなってほしい、という
目標は同じなのだから、子供が成長し、立ち直ってくると、親も教師も素直に「私が言いすぎました」「こちらこそ軽率でした」と
お互いに頭を下げられるようになる。
 しかし、それには教師も親も、自分が子供のために何ができるかについて考え抜かなくてはなりません。それがないまま、
教師にすべての責任をかぶせようとする親は、単なるクレーマーになってしまう。親が教師を軽侮して名指しで非難する。
もちろん子供にも先生の悪口を言いますから、教室でも言うことを聞かなくなる。いまは親のほうが、学校の先生よりも
偏差値の高い大学を出ているという家庭も少なくない。すると、たいした大学も出ていないくせに、と教師を見下す親もいます。
石原 それは実にくだらない発想だ。まさに「知」偏重の弊害だな。
義家 「知」だけを学ぶのであれば、高校に行かなくてもかまわないんです。高等学校卒業程度認定試験を受けて大学に
進めばいい。
学校の先生は、自分たちが「知」だけではない、集団生活のルールなども含めた「徳」を教えるプロフェッショナル
なんだ、という気概と自覚を持って、子供にぶつからなくては、存在意義そのものが疑われることになりまねません。
 やはり教師がもっと生徒とも親ともぶつからないといけないのですが、ぶつかれない。
学校と親がもめると、今度は教育委員会に問題が持ち込まれて、お叱りを受けることを恐れるからです。
情けない話ではありますが、教育委員会の側に意識改革が必要な面もあります。もっと学校と一体になって、問題に立ち向かう
姿勢を見せることも時には必要でしょう。クレーマーが何か言ってきたら、「あなたこそ親の責任を放棄していますよ」くらいの
ことは言ってほしい。
 もちろん教師の側にも問題はたくさんあります。私が強く感じるのは、特に近年、多忙を理由にしながら、教師が子供と
向き合うことを怠っているのではないか、という懸念です。
 たしかに私の実感からいっても、教師の現場は忙しくなっています。しかし、どんな職業だって高度化するニーズに対応する
ためにどんどん忙しくなっている。教育も同様で、伝えなくてはならない内容は昔よりも増えているのだから、忙しくて当たり前。
プロ野球選手が「雑務が忙しいから、マウンドでボールを投げる時間がない」などと言いますか(笑)
雑務が忙しいなどという理由で、本分である教育活動ができていないことを正当化する教師は、残念ながら、教壇を去って
いただきたい。
 また、去年九月から、いじめ問題、未履修問題が大きな社会問題になりました。
いじめに悩む子供たち、受験を控える生徒は、日々、深刻な不安の中にいる。しかし、そのさなかに、臨時国会で
教育基本法案が論じられ、十月の終わりの平日、日教組の大勢の先生方が日比谷野外音楽堂に集まって、デモをしているのです。
 私のホームページに、ある受験生からメールが来ました。「義家先生は、『いま大人たちは子供たちを守るために動き出そうと
している』と言ったけど、今日は平日なのに、先生たいてゃ授業を自習にして、東京でデモをやっているじゃないか。
結局、自分たちのためにやっているだけじゃないか」と。
彼は大学の推薦入試を前にしていたのですが、世界史が未履修だった。
入試が取り消しになるのではないか、という不安の渦中に、
日教組の集会を見てショックを受けたんですね。私は、教師は単なる労働者ではないと考えています。
自分に出来ることは不十分なことだらけだけれども、子供の人生を左右する”聖職”に就いてる人間なのだという自負は
捨ててはならないと思っています。
石原 未履修問題をみていると、教育に対する基本的なものの考え方がズレているとしか思えなかった。目先の受験という実績で
点数を稼ぐために腐心し、必要な知識を子供に与えなかったら本当の教育者とはいえないでしょう。
彼らにとって、子供は一種の商品で、上級進学で、出来るだけ高く売りたい、というだけ。
 学校の問題を論じると、いつも感じるのが私立と公立の違いですね。たとえば問題のある生徒や教師に対する処置ひとつ
とっても、私立では当たり前にできることが、公立ではとんでもない非常識な提言のように受け取られる。
どちらが我々一般の国民感情に近いかと言えば、むしろ公立の学校のほうがよっぽど非常識であることが多い。
だから東京などでは、どんどん私立に生徒が流れていますよ。文部科学省は、私立と公立でどこが違うのかと
いう正確な分析対比のリストを製作してみたらいい。すると、いまの公教育の問題点を一番わかりやすい形で炙り出すことに
なるでしょう。
義家 公立と私立の一番の違いは、危機感でしょうね。私立は生徒が集まらなかったら潰れてしまいますが、公立は潰れない。
 もうひとつ公立の学校で問題なのは、校長の任期が短く、教師の任期が長かったことです。校長の任期はだいたい三年で
あるのに対して、教員の方は、特に日教組が強かった時期には、教員側が転勤希望を出して、上がそれを承諾するという
「希望と承認」による人事だった。つまり、教育委員会が十分な人事権を持っていなかったのです。
転勤を希望しない教員がひとつの学校に十年以上勤めているというケースもざらで、任期わずか三年の校長には
発言権がないという学校も少なくなかった。校長が何かやろうとしても、「あなたに何がわかるのか」と反発を食らう。
 私が教育委員をつとめる横浜市では、一昨年の四月から教員の勤務期間を原則六年にしました。先生方からは、
「たった六年では地域教育などできない」と大ブーイングでしたが、調べてみると、進学実績があったり、問題の少ない
学校の先生はみんな長く勤めたいんですね。反対に、すごく荒れている学校では、三年以上勤める先生はほとんどいない。
みんな転勤願いを出して、出て行ってしまうからです。すると、結局、荒れている学校は先生の入れ代りも激しくて、
ますます荒れるし、落ち着いている学校は無風状態のまま、危機感もなく停滞してしまう。これが正しい教育の姿なのか、
という疑問を持ってもらいたいんですね。指導力不足教員の認定者を調べると、その多くは二十年以上のキャリアを持つ
先生方なんです。
 もちろん一生懸命やっている教員もたくさんいます。でも、その人たちが評価されない。
その悪平等の一例を挙げれば、指導力不足と認定され、センターで研修を受けている教師にも、真面目に子供たちと
ぶつかっている先生にも、一律で四パーセントの調整手当が支払われている。これでは三十代を迎えるころには、
頑張るのが馬鹿馬鹿しくなってしまう教員が出るのも無理はありません。
プラスマイナス20パーセントくらいの給与格差はあっていいと思います。


何wこのWボケの教育漫談www

まず石原都知事が目の前の対談相手のことをちーっとも調べていないことがよくわかりますね。義家の唯一勤務していた高校は私立で、しかも大麻吸っても退学にならないような世間の常識とかけはなれたところですよ。教師が生徒を妊娠させても、処分されないようなwそんな性職者を前にして、私立のほうが常識的という発言がよくできるなあ。すごいボケw

義家の親批判、一見一般論のようですが、本当は北星余市で副業批判されたことを根にもって、その親をクレーマー呼ばわりしているんですね。問題がなきゃ、誰も文句言わないってw副業三昧で授業さぼりまくってりゃ、文句が出るのは当然でしょう。自分のブログや本(ヤンキー先生の教育改革)などでさんざん不当な批判で追い詰められたかわいそうな俺様と主張していましたが、あまり効果がなかったのかな?今度は石原都知事に同情してもらいたかったの?

受験生からのメールはまた捏造かな?受験目前なのにそんなメールを打つヒマのある受験生ってwwwwメール主や相談者はときとして義家の代弁者になりますね、まみとかまみとかまみとかw

潰れそうだからとエセドキュメンタリー番組やドラマ化で安易に生徒を集めた学校だもんね~6年じゃできないというのは、義家へのイヤミだね。6年で担任は1クラスだけ、副業三昧でまともに活動したのは4年くらいですかね。

いやぁ~本当に面白い漫談をありがとう!


最終更新:2007年02月05日 21:45