生徒・父母・教師が語る私の北星余市物語
「やりなおさないか君らしさのままで」(北星学園余市高等学校編 教育史料出版会)
p80より抜粋
「お父さん、僕やっぱり教師になるよ」  父 義家弘
 平成五年十月十三日午前三時、アルバイト帰りのヒロユキが道路の小石にバイクのハンドルを
取られ左側の民家の石塀に激突、救急車で横浜市内の病院へ。内臓破裂にて重症とのこと。意識
朦朧正体の集中治療室で、うわごとのなか、「安達先生、ごめんなさい」と北星余市時代の恩師
に詫びる。ご迷惑とは思いながらも、もう最期かと先生に電話した。驚きと悲しみの入り混じっ
た声で「お父さんしっかりしてください。私もすぐ行きます」。いくらか意識の戻ったヒロユキ
に伝える。首に下げた十字架を握りながら、「先生も祈ってくれているかな~」。
 祈りが通じたのか、少しずつ少しずつ快方に向かう。先生から連絡、十六日に病院へ見えると
のこと。卒業から四年、いまなお心にかけてくれる先生への感謝と喜びが彼を支えたのか、手術
も無事成功した。メキメキと快方に!
 十六日。朝からそわそあ落ち着かないヒロユキ、点滴にもじっと耐えている。先生に元気な姿
で逢いたいとの思いか。医師も昼には流動食を許可し、四日ぶりで水も含めて初めて口にする。
午後一時、突然苦しみだす。ウッという声に続いて激しい吐血。吐血を繰り返す。苦しい意識の
中で先生を待つ。
 午後七時、先生来院。点滴針二本、輸血針一本、腹部から腹水を抜くためのチューブ八本、先
生葉青ざめた顔にあえて笑みを浮かべて、「義家君、先生わかる?」倅も苦しみをこらえて微か
に頷く。教師と教え子の間には目に見えない太い絆がある。枕元に座り、しっかりと手を握る。
ふたたび吐血。なんのためらいもなく、ティッシュをとり口元を拭う。身内もおよばぬ看病。
医師が来て「今夜が峠でしょう」。涙を浮かべて、夜が白々するまで動こうとしない先生。一睡
もせず枕元に座る。倅の呼吸が静かになり眠りに入る。やった!これで峠は越えた!
 ふと脳裏に、倅が卒業式の寄せ書きに記した青臭い言葉「教育とは愛だと知った!」が思い浮
かぶ。
 昭和四十六年三月三十一日、二千二百五十グラムの未熟児として出生。保育器へ。
十一がく、母親と離別(離婚)、一年後に新しい母が。しかし、母乳の味を知らず、おじいちゃ
んおばあちゃんはただただ甘やかすばかり。完全な甘えっこに育った。
 五十二年四月、小学校入学。体の小さいヒロユキはまるでランドセルが歩いている。担任はベ
テランの女先生。一番前の席に。学校にも甘えられる人を見つけた彼は、毎日楽しく学校へ通っ
た。最初の授業参観。母の姿にすっかり嬉しくなったのか、椅子に斜めに座って椅子をゆすって
合図?を送る。そしてバターン。椅子ごと転ぶ。次の瞬間、パッと立ち上がり教壇の先生に「よ
くもやったなー」。優しくたしなめる先生。どーっと笑いが教室に満ちた。姿を変えた甘えか。
 昭和四十九年には新しい弟が生まれた。家族はおじいちゃん、おばあちゃん、父、母、一年八
ヶ月上の姉、三歳年下の弟の七人。兄弟仲はいたってよい。たまに出かける親子の遠出。皆で
楽しんでいるなかで、本人は家に残したおじいちゃんを思うのか「お父さん、早くお家へ帰ろう
よー」。
 四年生まではたいした問題もなく、少々わんぱくが目に付く程度だった。スポーツでは学年を
代表してリレーの選手、成績は学年で五番以内、結構な良い子に。四年から担任が変わり、男先
生になった。ヒロユキの甘えをなんとか直そうとするのか、些細ないたずらにも激しい制裁。両
手の拳骨で頭のこめかみを挟み吊るし上げる。二月の厳寒期、授業中の私語に腹を立て、「プー
ルで頭を冷やしてこい!」。
 数人の仲間とすごすごプールへ。氷の張ったプールではどうしようもなく、足を濡らして帰る。
「バカヤロウ~」、いきなり激しい叱責。「頭はどうした~」。一同ふたたびプールへ。こうな
ったらやけだ。全員全裸になり、氷を割って頭からプールへ。髪の毛から水を滴らせて戻る。ス
トーブで乾かすまもなく次は体育館で全校集会。氷ついた髪もそのままにガタガタふるえている
姿を目撃した他クラスの子どもが親に話す。すぐ校長の耳に入った。あわてた校長先生、我が家
も含めて子どもたちの家回り。「なにぶんご内聞に…。」そのころから彼のようすに変化が見え
はじめる。なにかにおびえているかのごとく元気がない。成績も落ちてくる。ときどきケンカを
して帰る。六年生の児童会の会長候補にも乗り気がない。結果は副会長に。少しだが東京拒否が
始まった。
 中学へ。統合中学は方々の学校から生徒が集まる。元気のない子はたちまちイジメラレッコに。
ときには集団リンチにあいう。持ち前の気質からか、やがて逆の立場になっていく。三年生のと
きには悪餓鬼のリーダーに。幸い、正義にもとづかない暴力は振るわない。
 それでもぶじ中堅の高校へ進学した。一学期の成績は学年でも上位だった。夏休みが終わり、
二学期ころから登校拒否がふたたび、どうも担任の先生と合わないらしい。大学を卒業したてで、
お坊ちゃん、ヒロユキとよく似た甘えん坊らしい。タバコも始める。夜昼逆の生活。学校でタバ
コを見つかり定額になる。家では夜のみの生活(昼は寝ている)。一流の進学校に通う姉の苦情
に暴力で応える。父の私は会社の役員、区では公民館長、周に三~四日は夜の会議。私のいない
日に限って家庭内暴力だ。困りはて市の教育相談に行く。はかばかしい結果は出ず、担任といさ
かいを起こしまた停学。
 家へは、夜となるとかならず悪仲間が学校のようすを知らせにくる。番長がリードして自分は
手を出さずに、不良仲間に命じ倅のクラスの子を集団リンチにあわせた。そして自分は無関係と
なんのお咎めもなし。不良仲間は全員停学との報告にいきりたった倅、夜を待って一人で番長の
家へ。外へ呼び出し一対一の対決、引き分け。そして番長と親友になった。これに対する学校側
の対応は、喧嘩両成敗と二人に対し自主退学をと迫る。断固拒否する私。ついに学校へ呼び出さ
れ、校長室で「退学がだめなら進路変更ということで他校の定時制へでも…」。絶対に譲らない
私。現在の学校教育に不信が高まる。いまや高校義務教育とさえ言われている昨今、義務教育と
いう事場は受ける側でなく教える先生の側に言えるのではないか?面倒はことは逃げ、教えにく
い生徒は進路変更と他校へ追いやる。自分たちは可もなく非もなく義務(?)だけ果たせばよい

 二月の初め、知人が『朝日新聞』に出ていた北星余市高校の記事をもちこんだ。地元での進路
変更に自分の体裁もあり断固拒否を続けていた私は、この記事にワラにもすがる思いだった。
渋る倅を強引に連れて北海道へ。ガラスの割れた、いまにも壊れそうなオンボロ校舎に少々気抜
けする。逆に倅は、北海道への憧れか「いいんじゃないの」。しめた!これで厄介払いができる。
それが偽りの無い親の気持ちだった。テストにはぶじ合格。学校と電話で打ち合わせ、早々と送
り出す。二年生に転校。大丈夫かなーと思っていたら、はたしてまたまた一暴れして自宅謹慎に。
馴染んだ寮も追い出され、なーんだ、ここも義務教育か。
 謹慎明けに母親同伴にて(ちなみに家内は初めての一人旅)学校へ。初めて学校を訪れた家内
は、生徒の姿を見て「お父さん、皆同じに見えて区別がつかなかったわ!」。いまさら髪を染め
た子や変形学生服を見て驚かない、ただ同じにしか見えないとのこと。ようやく意味がわかる。
彼らは彼らで個性を表現しているつもりでも、なんのことはない、テレビか雑誌をみての物まね
個性、どこにも個性などあるはずがない。ただカッコよく見せたいだけ。しょせんできない個性
の発露が暴力やタバコに走るのか。なんとも情けない。いやこれは常識ぶっているわれわれ一般
人の見方で、家内は不思議なことに出会う。
 追い出された寮にかわって、「箸にも棒にもかからない不良を責任をもって預かります」とい
う寮があるとの話。不思議に思うのは、常識がないのに自分を常識派と思い込んでいる世間の大
人たちか。とにかく愛星寮の清水さんに預かってもらう。先生も清水さんも口を揃えて言う。
「この子たちは皆それぞれに良い個性をもっているんです」「それを世の中に生かせるように導
くのが私たちの使命です。安心して任せてください」。なんという感動的な言葉だろう。北星余
市高校は、余市町は、地域を挙げてはみ出し者に愛の手を差し伸べてくれている。この言葉に救
われ、安心して家内は帰る。
 家内の報告を、私自身三回身をもって体験する。
 その一   修学旅行の帰り、道外者は羽田で解散、一時帰省を許可するとのことで、おじい
ちゃん同伴で羽田へ。カウンターから出てくる子どもたちは皆同じに見える。なるほど。家は帰
る車の中、スヤスヤ眠る倅の顔の穏やかなこと。以前の険しさが消えている。
 その二   タバコでふたたび謹慎と、愛星寮の清水さんから電話が入る。「今回は私の責任
で預かりますので、長野へは帰しません」と自信に満ちた言葉。お言葉に甘えて単身北海道へ飛
んだ。愛星寮の一室で、ションボリうなだれて「お父さんごめんなさい」。「任せてください」
と清水さん。担任の安達先生とも初対面。ご挨拶のあとお聞きする。「今回は清水さんのおかげ
です。職員室へ見えて土下座までして、『自宅謹慎を寮謹慎にしてください。私が責任を持ちま
すから』とおっしゃって…」との話。なんという責任感、そして自信。清水さん、ほんとうにあ
りがとうございます。忙しい私は挨拶もそこそこにトンボ帰り。飛行機のなかでふと希望が湧く。
大学へ行かせられるかな!
 その三   卒業式。厳粛なムードのなか、卒業証書を一人ずつ受け取りながら皆がみな涙。
あの悪餓鬼たちがと思わずもらい泣き。倅、おかげさまで命じ学院大がく法学部へ。
 あれから足かけ四年、入院中の倅へ北星の仲間がつぎつぎと見舞いにきてくれた。安達先生も
ご夫妻で再度来院してくださった。校長先生はじめ諸先生の励ましのメッセージの入ったリボン
のかかった包みが届く。たんにアフターケアではすますことのできない愛の絆を見る。愛星寮の
清水さんは「家中の神棚、仏壇、ありとあらゆる所にロウソクをあげ、お線香をたいて祈って
おります」と。北星学園はクリスチャン・ハイスクール?そんなこと関係ない。余市町にはこん
なところにも地域を挙げた愛が満ちている。
 十二月九日、倅ぶじ退院。翌年四月、やっぱり単位不足にて留年決定、大学五年生に。倅から
報告を兼ねて言ってきた。
「お父さん、僕やっぱり教師になるよ!」

 


 

最終更新:2008年02月29日 17:54