「不良少年の夢」P72より引用
 当時、ある女生徒と私は付き合っていた。(中略)
 その女生徒を、ある日担任が呼んだ。
「お前はなぜ義家みたいな不良と付き合うんだ?あいつには悪い噂がある。
不純異性交遊とかはあるのか?このまま続けたらお前の進路はメチャメチャになるぞ。」そう言い放ったという。
彼女はショックで早退した。
遅刻して学校についた私は、彼女の友達から早速その話を聞いた。
キレた。
 自分のことは何を言われても構わない。不良の看板を背負っているのだから、言われて当然だ。
しかし、彼女を傷つけた、脅し以外の何物でもないその言葉を、私は許すことは決して出来なかった。
私は自分の保身のためなら長いものに巻かれるという、私をシカトしたような普通の人たちとは違う。
私は鋭い牙を持った不良少年なのだ。
 私は黒板を消している担任の頭を鷲づかみにして、そして持っていたライターで火をつけた。
火は脂ぎったその頭を見事に駆け上がり、白い煙を残して昇華した。

 わけがわからず動揺する担任。興奮して息が上がっている私。続けざまに手元にあったイスを担任に投げつけた。

 終わった。この場所での全てが終わった。そう思った。

この件をめぐって連日、職員会議が開かれた。

 生徒たちは私のためというより、人気者だった彼女のために、私を退学にしないで欲しいという旨の署名を学年全員分集めて校長に提出した。

しかし最終的に、予想通りの結果が私に待っていた。

『進路変更処分』

この言葉をどれだけの人が知っているだろうか?

毎年、十万人以上の生徒たちが高校を中退しているが、中退には三つの種類がある。

一つは強制退学処分。職員会議の決定にのっとって強制的に除籍にする処分である。

二つ目が、自主退学。自己の都合で、退学届けを学校に提出する『中退』である。強制退学処分の多くは、その後の生徒の未来に不利益にならないようにということで、当該の生徒に退学届けを提出させて自己都合による自主退学という形にするのが通例である。高校中退者のほとんどは、この形態で学校を去ることになる。

 そして三つ目が私に出された、進路変更処分。タテ前と

しては、本校でこれ以上高校生活を続けさせるわけにはいかないが、他の学校に行くなどの希望があるときは学校から書類を出し転校させましょう、という処分である。

 長野県は昔から『教育県』と呼ばれているらしい。そしてその歴史の中で、公立の高校では過去一人の強制退学者も出していないということだった。

 私は学校にとって非常に困ったケースとなった。なぜなら退学になってずっと家に入り浸られたら困る両親は、『断固として自主退学届けは出さない。どうしても学校を去れというのなら、例のない「強制退学」にせよ!』(できるわけがないだろう)、という保守的な学校の体裁に直結する要求を突きつけたのである。

 学校もたまったものではない。それでも家族を守らなければならない父は必死だった。

何回かの話し合いの末、学校が出した答えは『進路変更処分』だった。本校じゃないならどこの学校に転校を希望しても書類は出しますよ、という処分にすり替えたのだ。

 当然ながら、授業は受けられない。家にいるしかない。

黙っていても授業時間数が切れて留年となる。二年間留年したら自動的に除籍になる。留年は生徒の自己都合である。さすがといえばさすがのウルトラCだ。

 第二次ベビーブームの当時、高校を取り巻く状況は、少子化が進む現在とは明確に違っていた。どこの学校にも生徒が溢れている。通信制、単位制の高校などまったくといっていいほど整備されておらず、『転校』などという言葉はまさに『絵にかいた餅』だった。

 この処分に逃げ道はない。私は高校を続けることをあきらめるしかなかった。

 父は私が学校という場所がなくなり家庭に入り浸ることをとにかく恐れた。そんなことになったら家族は本当に崩壊する。家庭を背負う父は、必死になって最善の方法を模索した。そして様々な機関に相談した末に、最後の決断を下した。

 私の処遇を『児童相談所』に委ねる、というものであった。

 

最終更新:2008年02月29日 18:26