義家の実家での家庭内暴力についての記述を集めました。

 

A.不良少年の夢 p65より

 時は確実に過ぎていった。家の中はもはやめちゃめちゃだった。苛立つ私は、弟を殴り、姉を殴り、母を階段から突き落とし、拳に鉄製のナックルと呼ばれる凶器をつけて父を殴り、入院させた。そして全てを『復讐』という名目で正当化した。(注:この後、高校入試の前の正月~とあるので、中3の話)


B.女性自身2007年1月2・9日合併号より

 父・弘(65)とはずっとライバル関係だったと言い切った。
「オヤジは、ギャグみたいなヤツでね。小学生のころ、俺は空手をやって
いたんだけど、『おまえの空手なんて俺はビクともしない。殴ってみろ』って
腹を出した。最初は遠慮して殴ったら『なんだ、そのなまくらパンチは』というから、
思いっきり殴ってやった。そしたら、グーで殴り返してきたよ。俺は押さえつけられ、
羽交い絞めにされた。大人げないヤツだよね。」
 父と息子は折に触れて殴りあい、16歳のとき、とうとう息子は父を入院させてしまう。
「そのときはショックだった。向こうから殴りかかってきたからボコボコにしたら、全身打撲で
入院しちゃった。
でも、それってすごい教育だったと思う。鍛えている俺に、親父は向かって
きたんだから」
 お父さんは実は、命がけで教育してくれていたのだと、今になって思う。


C.資料集(その14)より

 私はすでに体力的な面では父のそれと同等、あるいは父を凌駕していたので、幼いころのよう
に一方的に虐げられることを拒否し、抗うようになった。しかし、そのことはさらに私自身を追
い込む結果となって波及していった。
 父は、私が叩き返すと、あいだに第三者を介入させるようになったのだ。その第三者とは家族
であり、親戚であり、近所の人々であった。父と私の取っ組み合いが始まると、家族は皆でまる
で任侠映画で子分が親分を守るシーンのように私に襲い掛かり、足りないとなると親戚の人が、
またあるときは近所の方々が、私を封じ込めた。
そして、無傷の父の足元に、私は顔を腫らせて
横たわるのだ。そのときの私の言い分は、”偉大なる”父のまえで力を失う。理由のいかんを問
わずに、である。
 そんなことが続くと、親戚や近所の方々はだれも私と口をきいてくれなくなった。自ら「不良
」などと呼ばれ、人から避けられたいと自ら思う者がどれだけいるというのか。「不良」という
現象のはじまりは、《能動的企ての結果》でなく、《受動的現象の認知》であると私は考えてい
る。皆が忌み嫌う「不良」をつくっているのは、ほかでもない「親」であり「教師」であり、「
あなた」であり「私」なのだ。


D.資料集(その13)より

それでもぶじ中堅の高校へ進学した。一学期の成績は学年でも上位だった。夏休みが終わり、
二学期ころから登校拒否がふたたび、どうも担任の先生と合わないらしい。大学を卒業したてで、
お坊ちゃん、ヒロユキとよく似た甘えん坊らしい。タバコも始める。夜昼逆の生活。学校でタバ
コを見つかり定額になる。家では夜のみの生活(昼は寝ている)。一流の進学校に通う姉の苦情
に暴力で応える。父の私は会社の役員、区では公民館長、周に三~四日は夜の会議。私のいない
日に限って家庭内暴力だ。
困りはて市の教育相談に行く。はかばかしい結果は出ず、担任といさ
かいを起こしまた停学。


Aの不良少年の夢p32には小学生の頃の話として

休日には私に実践空手を習わせた。『人よりも強い子どもに』、そんな父の強い希望があってのことだろう。私は必死に取り組んだ。泣きながらでも必死に耐えた。(中略)そして空手で培った技術は、他者を黙らせ、自己を認めさせるための恰好の道具となった。

とあるので、母姉弟そして父親に空手を使っていたということですね。Bでは父親のほうから殴りかかってきたとまるで正当防衛のようなことを言ってますが。さて、ここで疑問ですが、空手を家庭内暴力に使うことを許している実践空手の流派・道場が長野市にはあるということですね。そんな卑怯下劣な道場とは一体どこなのでしょう?長野市で実践空手をやっている人たちは、義家のように女子どもに暴力をふるっているのでしょうか?義家の空手やってた自慢はよく目にしますが(珍言・迷言集参照)、流派や道場の名前、何段だったとか帯の色とかは言ってません。格闘技通信という専門誌での対談の際にも、それらのことには触れられず、空手の写真は掲載されていませんでした。

Cでは親子ゲンカを家族近所親族一堂で止めたという、漫画のような話です。義家父はラオウか?親子ゲンカのたびに呼び出されたらそりゃ近所親戚もウザがるわw

Dは父親は自分のいないときに、息子が家庭内暴力を起こすと書いてます。あれ?父親をナックルや空手でフルボッコしたんじゃなかったの?市の教育相談に行ったとあるので、進路変更処分の後、児童相談所に行ったのはそこの紹介でしょうか。

何にしても、母姉弟に暴力を振るい、父親を殴って病院送りにしたなどという「自慢」を公でするなんて、人としてどうなんでしょう?

 

 

最終更新:2008年03月01日 13:27