月刊小説宝石 2008年1月号より
路上の箴言
前編


先日はどうもありがとうございました。本当に楽しかった。でも、
ほとんどお話ができなかったこと、本当に心残りです。もし、よろしかったら、
はじめはメールからでもいいですので、あなたをもっと知ることができる
チャンスを与えてください。お返事、待っています。

ファッションヘルス 竜宮城
18歳~25歳のスレンダーな美女だけ厳選!
コスプレ、聖水、黄金、AFまで、オプション多数!
連絡先 090-194-1919
あなたを竜宮までお送りします!

「ねえ、見て、見て、あいつ、ヤバくない?罰ゲームかなんか?」
 幼少期の憧れをそのまま体現したかったのか、和製バービー人形のようないでたちの少女。
少女といえば聞こえがいいが、国語の授業中、必死に内職した与謝野晶子の肖像写真への落書きみたいな
少女。その少女が、街中でひと際異彩を放っている体の前後に看板をぶら下げた中年男を指さし、
おどけた。きっとそれが失礼極まりない行為だなんて誰からも教わったことがないのだろう。目に極太の
アイラインを引き、冗談みたいなまつ毛モドキを瞳の上下で躍らせながら、屈託なく微笑んでいる。
「ああ、あれ?サンドイッチマンとかいう奴だよ。風俗店の看板しょって、うろうろ歩きながら広告してる
んだ。ほら、風俗店は路地裏にあるだろ?人通りが多いメインストリートにあったら恥ずかしくて誰も
入らないもんな。今みたいに情報がなかった時代は、結構、いい宣伝になったんだよ」
 少女の隣にいる小太りの男はしたり顔で説明する。
 「でも、僕はどんなに落ちぶれたってあんなことできないよ。それに比べれば、あそこにいる
汚い格好をしたホームレスのほうがよっぽどマシだよ。彼らは人に頭を下げながら生きることを放棄した
だけで、社会に媚びていないという意味では個人の尊厳を捨てていない。でも、あいつは違う。
性という欲望の仲介、いや正確にいえば仲介もしていない、欲望者たちに、その願望が果たせる場所を
お知らせすることで、人と人との間で生きる『人間』としてしぶとく存在し、わずかな報酬を手にする
ことによって薄っぺらな自我を辛うじて満たしているだけ。中途半端が一番、恥ずかしい。
学校にも行かず、求職活動もせず、親にパラサイトしているニートなんて呼ばれている連中の一部も
ある意味同じだよ。コンピュータの向こう側の顔も知らない誰かとつながることで、かろうじて人間と
して存在し、仕事をしろ、しろ、とせっつく親に反抗することで自我を満たしている。でも、ニートの
ほうがまだマシだよ。大衆の目に触れないだけ、恥じらいがある。恥じらいがあるということは、可能性が
あるということさ」
「難しくてわかんな~い。アハハ。でも、ニートでもカッコよければデキるけど、あのおっさんはムリ。
ぜったい、ムリ」
「はは。デキるって、なにを?」
「決まってんじゃん。これからすること!好きでしょう?ところで、サンドイッチマンさんの看板に
書いてある聖水・黄金・AFっなに?」
「またまたぁ、わかってるくせにー。興味あるなら、試してみようか?」
「それについてはオプションでお願いいたします。お金さえ出してくれれば、当店はどんな要求にも
お応えさせていただきます」
 「ははは。さっきも言ったけど僕はこう見えてもIT系の会社をやっててお金はあるよ。今日、たまたま
時間が空いちゃって、初めてあのサイトにアクセスして、そうしたら、たまたまきみと出合ったってわけ。
ほとんど運命に近い確率」
「とかなんとかいって、実はいつもサイトで女の子を物色してるんじゃないの?まあ、約束、守ってくれたら
そんなことどうでもいいけど。3だからね、さ、いこ!」
「オプションもよろしく」
 
 夕暮れの新宿歌舞伎町にはいつものようにどこからともなく雑多な群れが押し寄せてくる。
 援交カップル、出勤前のキャバ嬢、仕事を切り上げたサラリーマン、暇を持て余した少年・少女、
いかにも下っ端然としたチンピラ、アジア系外国人…。そして、そんな群れの間を泳ぐように歩く
私服警察官。
 治安の悪化が指摘されてきたアジア最大の歓楽街で『浄化作戦』が始まってから数年が経つ。街には
五十台の監視カメラも設置された。
 客引き等を禁じる改正迷惑防止条例が施行されてからは、AVのスカウトや風俗店の客引きは街から
忽然と姿を消した。違法風俗店、裏カジノ、アダルトビデオ店への取り締まりも徹底され、ビルも空室が
目立つようになった。しかし、それはあくまで表面上のことで、業界全体が単に地下に潜っただけの話だ。
人々に欲望がある限り、看板のネオンが消えても、その灯は消えない。
 要は地下に潜ったそれを、看板ではなく、いかに人々に訴えるかが変わっただけだ。
ネット上のサイトで周知させることはできる。しかしこのところ相次いで怒っているネット経由の
犯罪によって、警察のサイバーパトロールも強化されている。サイト開設は有事の際には動かしがたい
証拠となってしまう。そこで、復活したのが『サンドイッチマン』だ。
 彼らが掲げている看板は、いわば表向きのもの。看板に書いてあるのは風俗営業の届出はしてあるが、
実際に営業はしていない。届出上のオーナーも借金まみれのろくでなし。どこに逃げてしまっていようが、
野たれ死んでいようが関係ない。重要なのは看板に刻まれている『090_』。この電話番号はあらゆる
非合法のポータル番号となる。『090_』は転送を繰り返した後、浮浪者名義の携帯電話にたどりつく。
対応するのは時給さえよければ無邪気に面接を受けに来る、何も知らないアルバイト学生だ。マニュアル
通りに『お上りさん』を欲望の入り口へと誘ってくれる。デジタルな時代だからこそ、アナログが盲点に
なるのだ。
 通行人は誰もがサンドイッチマンを眺め、蔑み、通り過ぎていく。警察だって同様。
サンドイッチマンは雑多な街では一番安全な道しるべとなる。仮に事件になっても、サンドイッチマンは
何もしらない。ただ、派遣業務で看板を背負って街に立っているだけ。サンドイッチマンは、欲望という
名の地下鉄の始発駅に佇むただの象徴に過ぎない。

 私は象徴である。この街の、蔑みの、欲望の道しるべである。
もちろん私もあなたと同じ人間です。しかし、人と人との間で直接のかかわりを持ちながら生きていく
生き方を放棄してしまった者です。なぜそうしたかって?
それは、真実とは現実をごまかすための麗句に過ぎず、真理とはなぜそうなってしまうのかということわりを、
まるで言い訳のように無理やりこじつけた言葉に他ならない、そのことに気付いてしまったから。
ははは。少し格好つけすぎでしょうか。とにかく私は欺瞞に甘んじることを心から恥じているのです。
 たとえば最も尊いとされる愛情によって結ばれている夫婦という共同体も、お互いにすべてを曝け出した上で
何十年も生活を続けていけるでしょうか?否、それは不可能、ムリムリムリムリムリ。
すべてを曝け出したとき、さっきまで確かに見えていた幸せな愛は、曖・哀に変わり果ててしまうでしょう。
「妻以外の女の子と付き合いたい」、私くらいの年齢の男たちは誰もがそう思っている。
いや、これだってまだ本当の気持ちをオブラートに包んでいる言い回し。本音は「面倒くさくない自分好みの
女とセックスがしたい」、と思っている。しかし、そんな思いを奥方に伝えたなら、学校の道徳の時間で
教えられた愛という概念はあっという間に瓦礫と化す。
また、仮にその問いに対して奥方が「いいわよ」と返しても同じこと。「いいわよ」とは、「私もいいよね」という
切り替えしに他ならないのです。愛とは許し合うことだ、と誰かが言っていたが、ならばこの世に愛などないでしょう。
 先日倒産した某英会話スクールの創業社長が数千万円かけて社長室を改造し、秘書デスクの脇にある狭い通路の
奥に、リビングやらサウナやら、さらにはベッドルームまで作っていたことが内部からの告発で明らかになり、
世の批判の的になりました。ある有名なコメンテータはそのニュースを取り上げながら、「会社を私物化している。
株式会社である以上、創業者の所有物ではなく、株主のものだ」などと怒りを顕わにしていましたが、思わず
笑ってしまいました。時代の寵児ともてはやされたIT長者が放送局の株を買い占めて乗っ取りを企てた時、
自分でなんてコメントなさったかお忘れになってしまったようです?
 あれは、多くの男が思い描く理想の社長室であり、それを実現するために彼は寝る間も惜しんで業務を拡大して
きたのではないでしょうか?破綻した会社の経営責任を取らず逃げ回っていることの方がよっぽど重大な問題で
あり、その意味では豪華な社長室を告発し、それを批判の矢面に据えてしまったことは、本来の社長の
責任自体を矮小化させてしまったともいえるでしょう。
 所詮、この世のすべては建て前、虚実なのです。
 先ほど、すれ違った援交バカップルだってそう。金持ちのIT社長が出会い系サイトで少女を買うわけがないでしょう?
それに、きっと、待ち合わせるまでのメールのやり取りでは、女は有名芸能人に自らを喩え、多かれ少なかれ男も
それに期待したはずです。でも、会ってみると想像と大きく食い違っていてさぞガックリしたに違いありません。
しかし、また探すのも面倒だから、きっと「可愛いね」なんて言って女のご機嫌を取ったことでしょう。
狐と狸の化かし合い。そうやって世界は今日も回り続けているのです。
 あなたは、こんな意味不明の独白をしている私を蔑んでくれますか?もし、そうなら、それはそれで嬉しい限りです。
恥ずかしい看板をぶら下げて街角に立っている私を頼りに、欲望の世界の呼び鈴を鳴らす無知なカモ、おのぼりさん同様、
少なくとも、あなたは私という存在を気に留めてくれたということになるのですから。
 お礼と言ってはなんですが、今日は、私のことをさげすみ、憐れんでくれている皆さんにとっておきの話をいたしましょう。
 そしてどうです、一つ、面白い賭けをしてみませんか?今からする私の話を聞き終わった後、それでもこの世界に
真実や、真理、そして愛が「ある」とあなたが思ったならば、その時は私の負け、私はあなたのために何でもしましょう。
使道は自由です。私は蔑みの象徴、サンドイッチマンなのですから、遠慮はいりません。でも、万が一、あなたが
絶望にさいなまれたら、その時は一緒にサンドイッチマンになってくれませんか?
最近、少し寂しかったんですよ。是非一緒に、欲望の先にある破滅に、何も疑わない善良な市民たちをいざないましょう。

「あの、ちょっといいですか」
「おやおや、あなたは。よく私を訪ねてくれましたね。」

 プー プー プー  。
 日常的にマナーモードに設定してある携帯電話がバイブレーションした。すでに眠りについていた
二宮は、暗闇の中、手探りで枕元に置いていた携帯電話を探しあてた。暗闇にディスプレーの青白い光が灯っている。
画面には、電話登録されていないアドレスからの着信が表示されている。
 誰だ…コイツ。先日はありがとう?あなたを知りたい?いかにも気がありそうなメールだ…。まあいい、生徒じゃない。
二宮は携帯電話を枕元に放り投げ、再び瞳を閉じた。
 彼は携帯電話の着信に敏感に反応する。特に日曜日の夜は…。

 二宮隆志、三十八歳、独身。創立百二十年を誇る伝統校・市立楠木中学校の数学教師で、2年C組を受け持っている。
 個人情報保護法が施行されて以来、学校でPTA名簿が作られなくなった。そしてそれは一部の教師たちを喜ばせた。
受け持ちの生徒の連絡先は、それぞれに提出してもらっている個人調査票を見ればわかるのでなんの不自由もない。
だが、一方、生徒や親は、担任の住所も電話番号も知らないし、たとえ問われても、「保護法のおかげで教えられない
決まりになってしまったんです。全く、国や教育委員会は何を考えているんだか」などと方便で煙に巻けるようになったのだ。
自分たちを『教育労働者』と主張してきた一部の教職員にとって、家庭にまで生徒や親からの問題が持ち込まれなくなった
ことはさぞ喜ばしいことだったろう。しかし、二宮は違った。
法律の施行を受けて、名簿作成を見合わせるか否かを話し合う職員会議が開かれた時、彼は敢然と反対した。
「学校の連絡先しかわからなくなって、もし教員のいない土日に問題が起こったらどうするんです!あの時、動けていれば
そうやっていつも悔やむのが実情です。いじめ問題もなんでもそうですが、有事の時、いかに早く対応するかに
すべてがかかってくるんです。
世間の風潮に流されるのではなく、踏みとどまることも大切です。僕は保護者に説明の上でこれまで通り名簿を
作った方がいいと思います」
「そうは言うが、二宮先生。これは教育委員会からの指示でもあるんだよ。君の思いはよくわかる。
私も若い時分はよく真夜中に電話で相談を受けたし、子供が家出したと連絡を受けて親と朝まで繁華街を探し歩いた
こともあった。しかし、時代は変わったんだよ。
近頃ではモンスターペアレントなんて呼ばれる親も増えてきたし、学校の責任、親の責任という線引きを明確にする
必要も出てきているんだ。覚えてるだろう?去年休職した秋元先生は、親からの連日の苦情に疲れ果てて
精神的にまいってしまったじゃないか。教師が多忙になっている今、学校は学校、プライベートはプライベートと
割り切らなければやれなくなってしまってるんだ。」
 教頭の佐々木は、困ったような顔で食い下がる二宮を諭した。彼は校長になりたい、ただその一心でキャリアを
重ねてきたような男で、生徒からの評判は芳しくないが、教育委員会、校長からの受けはとびきりいい。
平教員からもっとも嫌われるタイプだ。しかし、孤立無援。会議に出席する教師たちは、二宮の主張に同調する
ことなく、やりとりを静観している。無理もない。誰もが多かれ少なかれ親からの電話に苦しめられているのだ。
二宮とて例外ではない。先日は、息子の話を聞いて欲しいと母親から電話がきたが、子供の話は最初だけ。
相談の大半は、夫婦関係の悩みだった。うんざりしながら受話器を置いたのは夜中の三時過ぎ。
うるさ型の親から、こうした電話を受けた時、邪険にするのは危険だ。翌日から保護者内で『不誠実な教師』と
吹聴され、クラス運営に支障をきたしてしまう場合があるのだ。先ほど教頭が言っていた、休職した秋元教諭の
場合などはその典型。クラス役員を引き受けてもらっていた親とある出来事で口論になったのが、保護者との
軋轢のきっかけとなった。
「確かに、今の親たちは大変です。しかし、だからといって、連絡先を閉ざすのはおかしい。最近、頻繁に教師が
批判の矢面にさらされますが、あれは一部の教員のとんでもない事件が報道されるからです。
大半の教師はまじめに、誠実に子供と向き合っているにも拘わらず、一人でもそういう教師が出ると、今の
教師は…となる。それと同じでしょう。多くの親はまともです。それを一部のモンスターペアレントのせいで、同一視
してしまうのは、世の中の教師批判と同じで間違いです。
もし、電話に出るのが嫌なら着信音を切って、留守番電話にしておけばいい。とにかく名簿は作るべきです。」
「それはそれ。これはこれです。」
「そんな回答では納得できません」
 二宮と教頭の押し問答は三十分余り続いた。すると、ずっと黙って聞いていた校長の屋敷が、咳払いをした後、
ひどく迷惑そうに口を開いた。
 「二宮先生。これは教育委員会からの通達でもあり、校長会の決定でもあります。公教育である以上、各校の
足並みがそろわないのは許されないのです」
 校長の屋敷がそう言うと、待ってましたとばかりに、教頭が音頭を取った。
「じゃあ、先生方、いいですね。ご異議はありませんね」
「異議なし!」
 お決まりの声が会議室にこだますると同時に、終わりを待ち構えていた数人の教師が待ってましたとばかりに
腰を浮かせた。
 「ちょっと待ってください。ならば、質問ですが、電話番号は教えないとして、携帯電話のメールアドレスを
生徒や親に教えるのはいいですか?教育委員会も校長会も、メールのことは言っていないわけですし」
 校長はため息をつきながらさらに迷惑そうな声で二宮に答えた。
 「今日の職員会議の議題は、PTA名簿を作るか、作らないか、です。今、決定したように、今年から
名簿は作りません。以上です」
「いいとも悪いとも言わないということは、自己判断でいいということですね」
 なおをも食い下がる二宮を無視して校長は席を立った。
 「二宮先生、困りますよ。教頭としての私の管理が問われるじゃないですか。決まりは決まり。
形式的に職員会議を開いただけで、結果は初めから動かないんです。新米教師じゃあるまいし、こんな
態度をしていたら、今年度の教員評価に響きますよ」
 教頭は、そういって二宮の肩を叩いた。
「決まっているなら、わざわざ職員会議を開く必要がないじゃないですか。みんな忙しいんですから」
「形式を大事にするのも学校にとっては大事なことです。授業の最初と最後は生徒たちを起立させてあいさつを
させますよね。お願いしますや、ありがとうございました、なんて誰も思ってないのに。
でも、だからって、あいさつをやめにしますか?意味がある、なし、ではなく、粛々と形式を守ることも教育
なのです」
 確かにそれも一理ある。二宮は心の中で不満げに小さくうなずいて、職員室に戻った。

最終更新:2008年03月30日 10:59