国会(参議院)での珍言迷言を集めました。

○義家弘介君 子供たちは失敗をすると裁かれます。どんな言い訳をしようとも、駄目なものは駄目という形で切り捨てられていく。
これは当然、昔の私もそうでしたけれども、自ら行ってしまったものには責任を当然取るべきだ。
しかし、一方で、教員が明らかな法律に抵触するような行為、それを三分の一も堂々と行えてしまうという、
このゆゆしき状況の中でめり張りある給与体系をつくっていくと、これはまさに大きな闘いとなっていくことだと思いますけれども。
 実は、私の友人でもこの北教組に加入している先生がいます。その先生に、すごくまじめで、そして生徒のために熱心な男なんですけれども、
その先生もここに参加して実は処分されました。そのときに、何でおまえが部活をほうり出してこんなことをするんだという連絡をしたところ
彼は、自分だけ参加しないと言ったら逆に大変なことになるんだというふうに、かなり大げさなのかと思われるように言っていたわけですけれども、
そういう縛り自体も存在するということなんですけどね。 それどういうことなのかというと、そんな大変なことになるなんて
大げさなものじゃないだろうと思われる方も多いですけれども、この処分された中には教頭昇進試験に合格して候補者名簿に登録されている教員四十九人、
受験者六十七人もこの中には含まれていて、そして教頭がいなくなる事態を避けるために現状ではそのまま登用には影響させないという方針も出されています。
つまり、そういう人たちも管理職になっていくわけですね。そうすると、その私の友人が言うには、そんなことをした日には四月から始まる校務分掌とか
授業の持ち時間の時間割の部分とかが大変なことになってしまうと、だから結果として、自分は部活やりたかったけれども結局できなかったんだという話でしたけれども。

(注:北教組のスト参加者の処分についての質問)

(第169会国会 
参議院文教科学委員会 平成20年3月25日 第2号
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0106/main.html )

この友人とは北星余市時代の同僚でしょうかね?

ストで部活を放りだした友人は責めるが、副業三昧で授業を放りだしたことはいいんですか?しかも、自分も元組合員なのに。

世話になっておきながら、こうやって後ろ足で泥をかける卑怯っぷりがステキ(笑)

○義家弘介君 私自身も渡海大臣の意見と全く同じなわけですけれども、中学校三年間、高校三年間、大学四年間、あれだけ一生懸命英語の勉強をしたはずなのに、私はしゃべれないと。非常に、何だったんだろう、英語の勉強というような、ちょっとむなしい思い、もちろん私の努力不足もありますけれども、そういうむなしい思いも抱えながらなんですが。
 しかし一方で、どういう英語教育をするのかということについてはもう少し検証が必要であろうと私は思います。というのは、文部科学省指定の英語、特別に英語を学習している学校に視察に行ったわけですけれども、そこでとんでもない英語の授業が行われていたわけですね。予算も付いているから恵まれていたわけですけれども、ネイティブの先生、担任の先生、アシスタントティーチャー、三人で楽しく英語劇をやっていました。桃太郎の劇をやっていたんですが、そのときに、桃太郎のことをネイティブの先生に続いて子供たちは何と言っていたかというと、みんなで笑顔でピーチボーイ、ピーチボーイと言っていたんですね。私は、唖然としたんですよ。桃太郎というのは固有名詞なわけで、名前というのは親からもらった何より大事なもの、それさえピーチボーイと言ってしまう英語教育、そんな英語教育は百害あって一利なしだと思うわけです。
 どうしてなんですかって、授業が終わった後お尋ねしたら、桃太郎、桃太郎と言うよりはピーチボーイ、ピーチボーイの方がリズムがいいから子供たちに親しみやすいと、だからピーチボーイにしましたと。これはおかしな英語教育だと私は強く強く主張しましたけれども、まさにこの固有名詞さえピーチボーイと言ってしまうような教育が、もし小学校英語の中で行われていったならばこれは大変なことだと思いますけれども、渡海大臣、いかがお考えになりますか。
○国務大臣(渡海紀三朗君) 率直にお答えをさせていただきますが、確かに間違いであると思います。固有名詞はそのまま使うべきであります。
 日本の、日本語というのはそのまま英語になっていることもたくさんあるわけでございますし、言うまでもなく固有名詞はそのまま使うべきでありますが、まあ委員がおっしゃるほどそれは大変なことだというようなことではこれは私はないのかなと。正直、ちょっとしたしゃれかなということでもいいのかなというふうには正直思います。これはむしろ正直申し上げます。いろんな受け取り方の違いがあろうかと思います。正しくは、だけど桃太郎というふうに言うべきだろうというのは思います。
○義家弘介君 私はそうは思いません。
 改正教育基本法の中でも、様々な伝統とか文化とかを大切にしようという中で、桃太郎というのは本当に代表的な男の子なわけですから、その男の子をピーチボーイと笑顔で言ってしまうということは、私自身の中ではしゃれだとは全然思えないわけですけれども。
 先ほど大臣が、国語の勉強にもなると、まあ語学だからこそと。その意見は全く実は同じなわけですね。例えば「吾輩は猫である」、すばらしいタイトルの、信じられないタイトルというか、衝撃的なタイトルというか、あの漱石の代表書、それを英語に直したらアイ・アム・ア・キャットなわけですね。だからやっぱり、我が輩、わたくし、わたし、僕、おれと、英語を学ぶことによって日本語というものの奥深さも子供たちが知っていくという意味では楽しい、外国の文化である語学を勉強することによって日本語をもう一回考えていくという契機にもなる。だからこそ、親からもらった名前をピーチボーイと言ってしまう、固有名詞さえ外国語に変えてしまうような英語教育ではなくて、もっと日本語とか、それからその言葉に込められている思いというものを大切にする英語教育を、小学校段階だからこそより充実していく必要があろうと私自身は考えています。

(出典:同上)
えーもっともらしいことを言ってますが、桃太郎→ピーチボーイは英訳ではなく、英語版の固有名詞をつけたというだけでは?大体、桃から出てきたから桃太郎と呼んだのは親じゃなく、拾った祖父母だし。「親からもらった名前」だとすると、話が変わってしまいます。ピーチボーイよりそのほうが問題じゃないの(笑)

「吾輩は猫である」も内容とかけ離れた訳でないのに、どうしてそこまで怒るのか?理解できませんねぇ。

自著(「不良少年の夢」)に書いている「I was born」の訳「私は生まれさせられた」はもっとヒドイと思いますが。いくら有名な詩のパクリでも。

 

 

最終更新:2008年04月17日 09:00