青学野宿愛好会の歴史

2007年度

5月、非リアっぷりを発揮し、特にどのサークルにも居場所を作れなかった中尾(初代会長)が「青学には旅サークルが無い」と憤慨し「野宿サークルを作ろう」と、高校の同級生でもあった山上(初代副会長)に呼び掛ける。
山上と学食で野宿についての構想を練っていると隣のテーブルに座っていた山上の友達の友達(赤の他人)である大谷が話しかけてくる(第三の男)
その後の活動として、ミニコミ「野宿野郎」の野宿に参加したり、山手線を歩いて一周したり、山下公園で鍋をしたり、クリスマスにママチャリで銀座界隈をふらふらしたり、をした。

2008年度

初めて迎える新勧の鹿沼公園鍋にて2~30人の集客に成功する。
そして、安原(二代会長)、シゲハル(二代副会長)以外の全員とは二度と会うことはなかった。
6月に樹海野宿を行うも、チキって樹海の入り口で寝る。
8月に淵野辺→水戸ママチャリレースを行う。(5人くらい)
秋ころに初のヒッチハイク企画、「京都ヒッチハイクレース」を行う。
クリスマスに歌舞伎町路上にて「愚痴聞きます」をやる。

2009年度

2度目の新勧は俺がまさかの初日サボりをぶっかまし、二日目にチラシ配りと鍋をやる。
鍋の集合に集まった一年生は石塚のみで、その場をたまたま通りすがった一年生3人を連れていく。
以降春は去年のストイック路線勧誘の反省を活かし、ふつうに多摩川鍋やママチャリ江の島などを行う。
夏にまた24時間ヒッチハイクレースを行い、安原が九州まで行くも他が誰も付いていけず
安原以外は京都で落ち合い野宿を行う。
相模原祭でポップコーンとまずい棒を売る。そして会長が安原へ交代
前期にあまり野宿しなかった反省から、新潟じょんのび村野宿、瀬戸内海女木島野宿、歌舞伎町鍋が企画、実行される
春休みには初の海外合宿でタイにも行き、活動をワールドワイドなものにもした

2010年度

この年の新歓はちゃんとやりすぎたため、多摩川や鹿沼公園に異常なほど人が集まった。
が、ジンクスどおり大体消えていった
GWに江の島野宿もしたが、その後のメインである熱海ママチャリには
俺、山上、しゅん、和久しか行かず、新入生の参加はゼロであった
その後石井ちゃん、小黒、じょぺす、吉澤くんらが加わり、ある程度の形にはなるも、主力である和久が長い五月病に突入
夏の北海道合宿と24時間ヒッチハイクの後ようやく復帰することとなった
会長が駿に交代し、初の野宿卒業生である上島さんの追いコンも行った

2011年度

この年から、新歓の場所を二子玉川から和泉多摩川へ変更した。
タワー野宿、24時間ヒッチハイク、箱根ママチャリ、山手線徒歩一周、ベトナム合宿等を敢行。
ナギー、もみたん、たまきんなど女子部員も多く加入したことに加え、
じょぺすが初の女性会長に就任し、新たな時代の幕開けを予感させた。

同時に青学野宿の礎を築いた中尾、大谷、安原らいわゆる初期メンも卒業し
野宿キッズたちが社会へと羽ばたいていった


2012年度

高井、遠藤、ニローラモ、エリカ様などの充実した戦力を多数補強
夏に行われた24時間ヒッチハイクでは歴代最多の9組が参戦、しかもその多くが九州に到達するなどそのクオリティが高まってきた。
まさに青学野宿黄金期到来である

2013年度

新歓がまさかの二日連続大雨と出だしから勧誘に躓くも、くらしー、水谷、嘉門など例年に違わない強力な個性を持ったメンバーの補充に成功
彼らに共通して言えることは、先輩に対するリスペクトがないということだろう。野宿四天王たちの大半が卒業。

2014年度

昨年とは打って変わって、多摩川鍋から多数の一年生が来るものの、天邪鬼なメンバーたちはその半分以上を追いやってしまう。それでも2*才の一年生五藤が入学するなど、例年通り新入生の補充を行うことに成功。
ヒッチハイクでは、集合場所であった鹿児島に一年生(田所)が一人しか現れないなど、一年坊主どもの軟弱さが露呈してしまうという問題も発生。来年にむけて再起を図りたいところ。

2015年度

くらしーが野宿二人目となる女性会長に就任。また青学の闇(自称)を筆頭に例年違わず個性豊かなメンバーを補充した。しかし新入生の企画参加率は低く、今後に不安が残る一年となった。今年で初代会長らの残り香を吸った2012年度メンバーも大半は卒業を迎えたが野宿スピリットの伝承には成功か。

2017年度

サークル創立10年目となった今年度、会長には当時二年生ながら将来性を買われた及川が抜擢された。肝心の新歓では申請のための書類の出し忘れによりビラを配ることができず、新入生はわずか一人と今後に向けて不安な様相を呈した。しかし秋にはAbemaTVに出演し、賞金10万円を獲得するというビッグイベントもあった。野宿スピリットを持ったメンバーの大半が卒業したことにより、一つの時代の区切りを迎えつつあるのかもしれない。

書いた中尾・安原
最終更新:2018年05月18日 15:07