『死に至る病』


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東欧の外れ、山々に囲まれた鄙びた村を、深紅の月が影絵のように照らし揚げる
中世に取り残されたが如き石と木の村を一望できる小高い丘の上、今宵そこに立つのは一つ
の人影
「いやはや、これはこれは……弱りましたねぇ……」
丸々と肥えた中年の小男は、すっかり禿げ上がった額の脂をハンカチで拭いつつ呟いた
彼が見下ろす家々に明かりは無い
それどころか冬の夕過ぎだというのに暖炉の煙ひとつ上っていなかった
無論、眼下の世界の住民が家同様に古色芬々たる生活――朝日と共に目覚め、夕日が沈めば
寝台に入る実に理想的な――を送っているという可能性も無いではない
だが、そんな彼の期待を三つのものが裏切っている
一つ、村外れの彼の元にすら先刻から漂ってくる、濃密な獣臭は何か
一つ、篝火ひとつ無い村の小径で、時折ちらちらと月明かりを反射する瞬きは何か
一つ、つい半刻ほど前、日没と共に村の方々から挙がった獣の遠吠えは何か――
「人狼……滅びかけた異族の隠れ里ですか
このまま山奥に籠もり、ひっそりと余生を過ごせば良かったでしょうに……」
彼の仕える教会の元に相談が寄せられたのは半年前
曰く「狼男が村々を襲い子供たちを喰い殺している」
今朝がた彼が無人となった隣村に到着した時点で、被害者は老若男女合わせて既に四桁に近
かった
「大方、『無垢の人を喰らえば力が増す』なんて古い言い伝えに縋ったんでしょうがねぇ

何とも救いが無い
人は生まれた時から罪を負っている、なんて話は洗礼を受けた身ならば何方でも存じている
事」
――哀れみを零す彼の背後、鬱蒼とした森の闇の中に金色の眼差しが光る
やがてゆっくりと月明かりの下に現れたのは、人とも獣ともつかぬ歪な姿
狼の爪と牙と毛皮を備えながら、人に近い形
警戒心からか四肢で這い寄る今ですら、肩は男の背丈ほどもある
「もっとも……」
愚鈍にも背後に迫る危機に気づかぬのか、男は眉一つ動かさずに言葉を続ける
グルルルゥ、という獣の唸りが男の纏う僧衣を揺らす
だが、男は気づいた素振りさえ見せない
(……?)
この後に及んで振り返りもせぬ眼前の肉団子に、さしもの人外にも戸惑いが浮かぶ
余程の蛮勇か、あるいは既に恐怖の余り正気を失しているのか
疑念が思考となる前に獣の本能が人狼を突き動かし、生乾きの血で汚れた顎が男をひと呑み
にせんと――
「生憎と私共に、貴方がたカインの仔へ授けられる洗礼はございませんがねぇ」
突如として身を翻す男
その顔を覆う、熊を模した仮面
「『蕩蕩たる汚猥』――!」
男の言葉と共に、人狼の五体が見る見る膨れ上がる
毛皮が剥げ落ち、青黒く変色した肉がぐずぐずと崩れながら尚も泡立ち――
ぼたり
重い水音と共に、ひと瞬き前まで恐るべき魔獣であったものは骨も残さず赤黒い汚泥と成り
果てた
「……はてさて、掃除に取り掛かるとしましょうかねぇ」
溶解した腐肉に塗れながら、仮面の男が改めて村に向き直る
「我が“怠惰”にて堕落召せ……
『ベルフェゴール』!!」
男の全身に移植された聖痕が、夜闇より尚も冥い闇色の輝きを放つ
輝きは解れて燐光となり、風に乗る小雪のように村へと降り注いでいった……
翌日、山間からの朝日が照らし出したのは、枯れ草ひとつ残らぬ不毛の荒野であった

『死に至る病』end
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