「プロローグ」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

プロローグ」(2010/10/13 (水) 18:48:14) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

2ちゃんねるに存在する三戦板…。 古来より歴史談義の中継地として栄えたこの板では その覇権を巡り、三国志派と戦国派 あるいは考察派とネタ派の間で紛争が絶えなかった。 そうした永い戦いに終止符を打った男がいた。 後に覇王と呼ばれた学徒出陣である。 多民族からなるこの地を統一した学徒出陣は 荒らしさえも含むすべての住人の有り様を認め、 「すべてを受け入れる」をスローガンとすることで こうした対立を取り除こうとした。 その統治は半世紀に渡り、三戦板は栄えた。 しかし、紛争の火種が消えたわけではなかった…。 学徒の死後、司祭ロコモティブは支配者階級の大半を占める ロコ一族を扇動し、王都自治新党の独立を宣言。さらに他の板と密約を結び、 その庇護の下、ロコ=自治新党国を建国した。 ロコモティブは板全土を手に入れることを主張したが、 他板から派遣されたなりきり騎士団団長の 八戸将軍は戦力の損失を恐れ拒否。 ロコモティブも渋々それを受け入れ、進軍は停止しした。 板の南半分に残された2つの陣営のうち、 人口の7割を占める古参系勢力は 指導者・クマッタ枢機卿のもと、 南半分の覇権を手にするため 新参系泡沫住民に宣戦を布告。 泡沫の根絶を目的とした虐殺を展開した。 一方、新参系泡沫はミュンヘン総統を旗頭として 抗戦したが、戦力の差によりわずか半年で敗北した。 クマッタ枢機卿はクマッタ王国の建国と 内乱の終結を宣言したが、泡沫に対する弾圧は、なおも執拗に続いた。 残された泡沫の多くは抵抗を続けたが、 指導者・ミュンヘン総統が捕囚の身となってからは それも次第に下火となり、クマッタの用意した 猫の額ほどの広さの自治区に足を運ぶ者が増加した。 こうして三戦板の内乱は鎮静化した。 しかし、それが、つかの間の静寂であることを 知らぬ者はいなかった…。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: