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夏侯覇


魏、蜀に仕えたことで知られる勇将。魏の名将夏侯淵の子であり夏侯惇の甥。
おそらく曹操や劉備亡き後の世において、もっとも波乱に満ちた生涯を送った男。
若い頃から英才と知られ、将来を嘱望された身であり、
幾度となく蜀の戦にも参戦し順調に軍功を重ねていたが
そんな彼の運命が流転したのは、かの司馬懿が曹操亡き魏において
クーデターを決行したことが原因であった。
一族の多くの者が司馬懿に従ったが、夏侯覇は一人それをよしとしなかった。
そして夏侯覇は、驚くべき行動に打って出る。
司馬懿打倒のための力(軍隊)を求めた彼は、
なんと父の時代からの不倶戴天の敵である蜀へ亡命したのだ。

こうして客将として、当時の蜀の最高司令官である姜維を補佐し、
司馬家の支配する魏と戦うという夏侯覇の新しい人生はスタートした。
(余談だが、夏侯覇は国を捨て、かつての敵国に仕えることになった
己の身を非常に恥じていたという。
そのため、蜀に仕えた後は素顔を覆い隠してしまう仮面を常に着用するようになり
人前では決してこれを外さなかったと言われる)

蜀に仕えるようになっても夏侯覇の忠誠心は
常に魏--というよりも曹一族--に向けられていた。
姜維は有能であり、夏侯覇ももちうる能力の全てを捧げ魏と戦ったが、
彼我の戦力差は大きく、魏に人材も多くあり、
彼らは思うような結果を出すことはできなかった。
かくして夏侯覇はいわゆる第八次北伐を前に、ある決意を固めるのだった。

…公的な記録においては、この第八次北伐において夏侯覇は戦死したと言われている。
しかし、この時戦闘のあと蜀軍に発見夏侯覇の屍体は、
彼自身が戦死した味方の兵に自分の仮面と鎧を着せて用意した替え玉であった。
蜀軍の戦力に見切りをつけた夏侯覇は、こうして蜀からの離脱を計ったのだ。
蜀軍に夏侯覇の素顔を見た者は誰もなく、
この遺体を偽者と疑うはずもなかった。夏侯覇の死はすぐに大々的に公表された。
(一説には、友でもあった姜維だけは夏侯覇の素顔を見たことがあり、
この遺体が偽者であることをすぐに見抜いたという。
しかし姜維は友の真意を汲み取り、何も口にはしなかった)

こうして歴史の表舞台から自分自身を葬った夏侯覇は、密かに魏へと舞い戻った。
目的は司馬懿の命である。堂々たる戦闘において司馬懿の打倒を諦めた夏侯覇は、
暗殺という手段に切り替えることを決意したのである。
この時の彼はすでに司馬懿の正体を知っていた。
この人外の怪物を打倒せねば世界に明日はない。夏侯覇はかたくそう信じていた。

--果たして、とある式典に警護の兵に変装し先入した夏侯覇は、
見事に司馬懿の額のサークレットの破壊に成功する。
むろん、その後すぐに兵士たちによって夏侯覇は切り刻まれ命を落としたが、
肉体はひどくボロ雑巾のようになりながらその死顔は非常に穏やかだったという。

…夏侯覇のこの行為により、転生を繰り返し司馬懿(司馬遷)自身が
永遠に支配し続ける帝国の構想が未然に防がれたことを知る者はいない。

なお、その経歴の複雑さゆえか、暗殺者という不名誉な最期を迎えたためか、
魏書と蜀書のどちらにおいても、夏侯覇の伝はたてられてはいない。