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周瑜


呉の名将。孫策の竹馬の友にして、孫権の師的な存在。

容貌は中性的で白面の絶世の美男子。
少年の頃から古今東西の兵法と人物を学び、
優れた頭脳を誇る天才児であったが、ありあまる才能のなせる業なのか
「見てくれ。江東に風が吹いている。私の中の弦楽四重奏が激しく鳴り響いているよ」
等の、単語の一つ一つは明瞭なものの言葉全体としては意味不明な発言しかしなかったため、
その天才ぶりがほとんどの人間に伝わることはなかった。
だが、とあるきっかけで知り合った孫策という少年だけは、
周瑜のこの種の発言の真意を不思議と理解してくれた。
かくて孫策という通訳を得て、はじめて周瑜の天才性は
周囲の人間に知られるようになったのである。

周瑜はこのことに深く感謝し、のち孫策が父の継ぐと、真っ先に彼の元に駆け付け、
全身全霊をかけて彼を補佐した。
孫策もまた彼にしか理解できない周瑜の発言によく耳を傾け、勇躍していった。

その孫策が若くして倒れると、もはや誰も
周瑜の発言の真意を読み取れる人間はいなくなってしまったかのように思われた。
だが、彼は孫策を補佐している間に、新たに陸遜という優秀な通訳役を得ていた。
(余談ではあるがこの陸遜という通訳は、周瑜の弟子でもあった)
この通訳の存在のおかげで、孫策の弟孫権のもとでも重責を担い、
孫呉の赤壁での勝利などに大きく貢献した。

彼はいわゆる絶対音感の持ち主で、自身も優れた楽器の奏者であった。
前述のように口をつく言葉がすべて電波で誰にも理解できないという
軍の指揮官としてはあまりにも致命的な欠陥を抱えていた周瑜だったが、
あらかじめ決めていた状況に応じた曲を奏でることで、この欠陥を克服した。
彼の配下たちは周瑜の言葉ではなく曲を聞いて、取るべき行動を判断したという。

周瑜は天下二分の計という壮大な戦略を立て、荊州から巴蜀を獲ることを考えていた。
そして実際にそれに従い軍を動かそうとしていたが、
これに危機感を覚えた劉備軍から送り込まれた刺客の手に掛かり、
志半ばにして非業の死を遂げた。
この周瑜暗殺事件が、のちの呉による蜀への裏切りから関羽の死という
一連の流れを呼ぶことになるのだが、それはまた別の話である。

なお、中性的で儚げな容貌から誤解されがちだが、孫策が二張マンパワーズを召し抱える際に、
共に地下闘技場にてタッグマッチを行ったことからもわかるように
決して荒事が苦手なわけではない。
ちなみに戦闘の際の彼は容姿にまったく似合わず、
どんな汚い手もOKなハードコアスタイルである。