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2ちゃんねるに存在する三戦板…。
古来より歴史談義の中継地として栄えたこの板では
その覇権を巡り、三国志派と戦国派
あるいは考察派とネタ派の間で紛争が絶えなかった。
そうした永い戦いに終止符を打った男がいた。
後に覇王と呼ばれた学徒出陣である。
多民族からなるこの地を統一した学徒出陣は
荒らしさえも含むすべての住人の有り様を認め、
「すべてを受け入れる」をスローガンとすることで
こうした対立を取り除こうとした。
その統治は半世紀に渡り、三戦板は栄えた。
しかし、紛争の火種が消えたわけではなかった…。

学徒の死後、司祭ロコモティブは支配者階級の大半を占める
ロコ一族を扇動し、王都自治新党の独立を宣言。さらに他の板と密約を結び、
その庇護の下、ロコ=自治新党国を建国した。
ロコモティブは板全土を手に入れることを主張したが、
他板から派遣されたなりきり騎士団団長の
八戸将軍は戦力の損失を恐れ拒否。
ロコモティブも渋々それを受け入れ、進軍は停止しした。
板の南半分に残された2つの陣営のうち、
人口の7割を占める古参系勢力は
指導者・クマッタ枢機卿のもと、
南半分の覇権を手にするため
新参系泡沫住民に宣戦を布告。
泡沫の根絶を目的とした虐殺を展開した。
一方、新参系泡沫はミュンヘン総統を旗頭として
抗戦したが、戦力の差によりわずか半年で敗北した。
クマッタ枢機卿はクマッタ王国の建国と
内乱の終結を宣言したが、泡沫に対する弾圧は、なおも執拗に続いた。
残された泡沫の多くは抵抗を続けたが、
指導者・ミュンヘン総統が捕囚の身となってからは
それも次第に下火となり、クマッタの用意した
猫の額ほどの広さの自治区に足を運ぶ者が増加した。
こうして三戦板の内乱は鎮静化した。
しかし、それが、つかの間の静寂であることを
知らぬ者はいなかった…。