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ルクレツィア-2


〝お兄様が聞いたら、羨ましがるかしらね〟
どこか上の空な様子で、ルクレツィアは独り言のように呟いた。
〝ご自分が皇帝になりたがっていたもの。
どうして私なんだって、きっとお思いになるわ〟
神に背を向け、死すべき定めの人の歴史に翻弄されたかの女は、
再び歴史の腕に抱かれるのを倦んでいるのだ。

〝そういえば、聨娟の薔薇はどうなさいましたか〟
インフェルノで摘み取り、かの女に献じたそれは、
チェーザレその人が植えたものだった。
今になってはたと思い出し、話を逸らす口実に尋ねてみると、
あれはもう私のものよ、と微笑む。

〝それに、お怒りになるよりも先に、きっと驚かれるわ〟

〝そりゃ大変でしたからねえ........〟

顔を見合わせて、こうして笑い交す時間が永遠に続けばどれほど幸せだったろうか。
それでも、かの女はやがて真面目な面持ちで、帝冠を戴くことはできないと言った。
至極当然のことだろう。かの女は歴史の<寵愛>を受けることを望んでいない、
そんなものを<愛>とは考えないのだから。

俺はかの女に拒否されたことよりも、
自身の無神経のほどを恥じ入って、暗澹とした心持ちで歩いていた。
思考の迷い路の中にあって、現実にそこにあるものなどは眼中に入らず、
どこをどう歩いたのかもわからない。
街路樹がたち並ぶ通りだっただろうか、
冷たく澄んだ空に月が浮かび、流れる雲がそれを覆っていた。

ふと気がつくと、落ちたばかりのイチョウの葉の上に、
花の妖精がいくらか座っているのが見えた。
〝どうしてそんなに元気がないの?〟 〝君のお腹の中、金色の水が溢れてるのに〟
〝詰まってるのかな? だから管を通っていかないんだ〟 〝助けてあげようか?〟
何せその時には、何にでもいいから縋りたい気持ちだったから、無我夢中で頷いていた。

妖精が口の中で何かを唱えながら俺の頭のあたりで手を動かすと、
月を覆い隠した雲がさあっと晴れるように、俺の心も晴れ晴れとして、目の前を確かに見据えることができた。
ルクレツィアのことを思って、ただ後悔するのは意味のないことだ。
それはそれとして、これからどうするかを考えなければならないのだから。

妖精はよかったね、と笑うと、どこかへ飛び去った。
俺は後に一人残されたけれど、心細いとは思わなかった。
黄昏の塔に戻って、ルクレツィアへのお詫びを手紙に綴ること、
自分自身の今後についてたっぷりと考えること、とにかくやることは沢山あったのだ。