【客人(まれびと)】-前編-
アルメキア王国が滅び、エストレガレス帝国が誕生してから四ヶ月が経過した。
大陸南西の小国カーレオンの首都リンニイス。王宮内の書斎で、国王カイは片方のこめかみを指で押さえつけながら書類に目を通し、ため息をついた。
政策に悩める王というよりは、答案の採点をしている学校の先生のようでもあるが、彼こそ、カーレオンの静かなる賢王と呼ばれ、国民から絶大な支持を受けている人物である。
大陸南西の小国カーレオンの首都リンニイス。王宮内の書斎で、国王カイは片方のこめかみを指で押さえつけながら書類に目を通し、ため息をついた。
政策に悩める王というよりは、答案の採点をしている学校の先生のようでもあるが、彼こそ、カーレオンの静かなる賢王と呼ばれ、国民から絶大な支持を受けている人物である。
「頭痛ですか? それとも、心配事ですかな?」
ノックと同時、返事も待たずに扉を開けて入室してきた騎士がカイにたずねた。
「ディナダンかい? まったく頭の痛いことばかりだよ」
カイは書類から目を離さずに答える。
ディナダン――ナイトマスターの称号を持つ剣豪――は、コホンと咳払いをひとつすると、カイに報告した。
ディナダン――ナイトマスターの称号を持つ剣豪――は、コホンと咳払いをひとつすると、カイに報告した。
「頭を痛めそうな事態がもうひとつ。エストレガレス帝国より四鬼将の一人、ギッシュが亡命してきました」
「ギッシュさんが?」
帝国四鬼将とはその名のしめすとおり、鬼かと見まがうほどの強さを持つ四人の騎士。帝国軍の要だ。驚いて顔を上げたカイにディナダンは意見を述べる。
「私はさっさと追い返すべきだと思います」
「君は、彼の来訪はなんらかの策略だと思っているんだね」
そう言った本人もディナダンと同じことを考えたのだろう。カイの表情がわずかにくもった。しかし彼は自らの思考を打ち消すように首を横に振った。
「彼はわたしの先輩にあたる人で、王位につく前、アルメキア留学の折には世話になった。意見が食い違って衝突したこともあったけれど、尊敬できる人だ。もしいっしょに戦ってくれるのであれば、彼ほど頼りにできる騎士はいないよ」
「しかし、相手は帝国の騎士。裏切りはお手のものでしょう」
「ディナダン、口が過ぎるよ。彼は、そんな人じゃない」
策略の可能性に気づきながらギッシュの肩を持つカイに、ディナダンは少しいらだった。今の言葉も、カイが自分に言い聞かせているように感じられた。カイはギッシュを信じたいのだ。
「思い出は美しいものですが、昔は昔、今は今です。裏切られて泣きを見るのは、陛下です」
ディナダンが語気を強めると、つられてカイも声を大きくした。
「わたしは誰も彼もを、かつての学友さえ、疑うような王でありたくはないんだ」
「ではギッシュが信用できる、というのは王としての判断なのですね?」
国王は何も言わず、うなずいた。行動とは裏腹に、カイの中に疑いを捨てきれない心があることは一目瞭然だったが、それでもディナダンは王に従うことに決めた。いかな王国の重鎮といえど、王が王として決めたことを覆すことはできない。かわりにひとつ、条件をつける。
「わかりました。受け入れましょう。ただし、警備を最小限にします。ギッシュが何かたくらんでいるのなら、きっと手を出してくる」
「そんな人を試すようなこと!」
「試す? ギッシュが本当に亡命してきたのであれば、警備を薄くしても何も起きないはずです」
ディナダンの言葉はほとんど詭弁のようなものだったが、カイは結局条件をのんだ。人としての情ではなく、王としての理がそれを仕方のないことだと告げていた。カイの心はいつもこのふたつのはざまで揺れているのだ。
ふたりが謁見の間に入室すると、すでに主だった騎士は集まっており、帝国の魔術師ギッシュは玉座の正面にたっていた。彼はカイを目にすると片方の眉をわずかにあげた。
「久しぶりだな、カイ」
低く落ち着いた声だ。
「あなたも、お元気そうで何よりです」
答えながらカイは玉座についた。
「アルメキア留学中はお世話になりました。今のわたしがあるのも、あなたからいろいろ教わったおかげだと思っています」
「俺がおまえに教えることができたのはせいぜいが宮廷での作法ぐらいなものだ」
ギッシュは笑った。しばらくはふたりの思い出話に華が咲いた。おだやかな笑いを交えた歓談だった。
やがて会話が十二分に盛り上ったところでギッシュは本題を持ち出した。
やがて会話が十二分に盛り上ったところでギッシュは本題を持ち出した。
「俺をカーレオンの騎士として使ってほしい」
「なぜ、ゼメキスのもとを出奔したのです?」
カイは、ギッシュに尋ねた。
「ゼメキスのやり方についていけないからだ」
カイが帝国の要人を受け入れるか否か。事情を知らないものは皆、固唾をのんでカイの返答を待った。
「留学中、あなたの考え方には賛同できる部分もあったし、賛同できない部分もありました。だけど、あなたは自分を偽ったことはなかった。だからわたしは、あなたを信じます。ともに大陸の平和ために戦いましょう」
カイは謁見の間の全員によく聞こえるように一言一言をはっきりと――特に、あなたを信じるという部分にちからをこめて――発音した。室内にどよめきが湧き上がった。
「ギッシュさん、とりあえず今日はゆっくり休んでください。くわしいことは、また明日にしましょう」
カイは会見の終了を宣した。
ギッシュは深くこうべをたれ、騎士たちも戸惑いながら、拍手で客人を受け入れる意思を示した。
しかしただひとりディナダンだけは、ギッシュを鋭い視線でにらみつけていた。
ギッシュは深くこうべをたれ、騎士たちも戸惑いながら、拍手で客人を受け入れる意思を示した。
しかしただひとりディナダンだけは、ギッシュを鋭い視線でにらみつけていた。
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