【客人(まれびと)】-後編-
月のない深夜、闇にまぎれるように人影がひとつ、カーレオンの都、リンニイスにある王宮の廊下を歩いている。影は迷うことなく王宮の奥を目指した。行く手にあるのは国王カイの寝室。見張りは、いない。
「結局、見張りは俺の部屋の外にいたやつらだけか」
影――エストレガレス帝国の魔術師ギッシュは扉の前で独白しつつ鍵に手をかざした。カチリ、小さな音とともに鍵が外れ、装飾を施された両開きの扉が、左右に開いた。カイの寝室へとからだを滑り込ませ、足音を忍ばせてベッドに近寄る。ベッドの中、カイはおだやかな寝息を立てていた。ギッシュはふところから短剣を取り出すと、両手でかまえ、頭上にかかげた。
「さよならだ、静かなる賢王」
別れの挨拶とともに、短剣を一息に振り下ろす。短剣は狙いたがわずカイの心臓に深々と突き刺さる――はずだった。
突然、彼の脇を風のようなものが駆け抜けた。風は、カイに突き刺さる寸前で短剣を弾き飛ばすと、ギッシュの背後に回り、首筋に冷たいものを押し当てた。わずかに切り裂かれた布団から雪のように羽毛が舞い上がった。
突然、彼の脇を風のようなものが駆け抜けた。風は、カイに突き刺さる寸前で短剣を弾き飛ばすと、ギッシュの背後に回り、首筋に冷たいものを押し当てた。わずかに切り裂かれた布団から雪のように羽毛が舞い上がった。
「おっと、うごくなよ。俺はあんたが呪文を唱えるよりも速く、あんたののどにもうひとつ口をつくれる」
剣を片手に、ナイトマスター・ディナダンがギッシュに警告した。口調は軽いが、本気だ。それから彼は布団の中のカイに言った。
「残念な結末になったようです」
「あなたが本当に亡命してきてくれたのなら、どんなによかったことか……」
悲しみに満ちた言葉とともに、カイはベッドから降りた。
「おまえは俺を慕っていた。だから簡単にだませると思ったのだがな」
ギッシュは動じたそぶりも見せない。むしろ衝撃を受けたのはカイだったと言ってもいい。
「あなたは、いつから他人の気持ちを利用するような人間になってしまったのです……?」
驚きの声を耳にしたギッシュは、口許に冷笑を浮かべた。
「いつからだろうな。ただ、アルメキアが健在だったころから俺は考えていた。自分の手で軍を動かしてこそ、歴史に名を残すことができる、と。ゼメキスの叛逆は、俺には渡りに船だった」
「王を殺してまで歴史に名を残したところで、どんな意味があるというのです!?」
「生まれながらにして王族であるおまえには、わからないだろうな……。俺の名が歴史に刻まれて初めて、俺が確かに生きたという証ができる。だがアルメキアでは俺の献策は成功してもヘンギスト王の功績だ」
「あなたが、そんな風に変わってしまうなど、思いもしなかった……」
ギッシュは答えず、視線をカイからそらした。
「殺すなら、殺せ」
カイは絶句した。ディナダンは王の苦渋に満ちた表情を見て理解した。カイはまだ心の片隅でギッシュを信じている。それでも、カイは王としてギッシュを処刑するだろう。そして判断の正しさゆえに、自分も傷つくのだ。
彼は小さくため息をついた。頭のいい人間は、利口に生きることができないらしい。
彼は小さくため息をついた。頭のいい人間は、利口に生きることができないらしい。
「陛下、ギッシュの処遇を私に決めさせていただきたい」
王が権威ある裁定を下そうと口を開く直前、ディナダンはすばやく申し出た。カイの目が驚きでしばたたかれた。悩むすきを与えずに彼はさらに強く押す。
「責任はすべて私が持ちます」
熱意に押され、カイはうなずいた。
ディナダンはカイに一礼すると、ギッシュに向かって簡潔に言った。
ディナダンはカイに一礼すると、ギッシュに向かって簡潔に言った。
「逃がしてやる」
途端にギッシュは吹き出した。
「ずいぶんと優しいことだな。だがその甘さを悔いる日が必ず来るだろう」
「せこい手段を弄するような小物、いてもいなくても大勢に影響はないんでね」
ディナダンが手をたたくと、手に縄を持った衛兵たちが入室してきた。
国境で解放されることになったギッシュは、縄をかけられる間、唇の端をゆがめ、不敵に笑んでいた。城門で馬車へと乗せられる魔術師を眺めながらディナダンは横にいるカイに言った。
国境で解放されることになったギッシュは、縄をかけられる間、唇の端をゆがめ、不敵に笑んでいた。城門で馬車へと乗せられる魔術師を眺めながらディナダンは横にいるカイに言った。
「人生、いつも正しいことが最良の選択とは限りません」
「ああ。ありがとう、ディナダン」
カイは微笑んだ。
ディナダンは、それから、と付け加えた。
ディナダンは、それから、と付け加えた。
「陛下はギッシュほど頼りになる騎士はいないとおっしゃりましたが、まだそう思ってらっしゃいますかね?」
「……君もつまらないことを根にもつね」
しかしそれがいつもの憎まれ口なのだということが、カイにはわかっていた。ディナダンは肩をすくめて、苦笑するカイの言葉をやり過ごした。
ふたりはだまって馬車を見送った。馬車ははぐれたほたるのようにかすかな光をともして、夜道を遠ざかっていった。
ふたりはだまって馬車を見送った。馬車ははぐれたほたるのようにかすかな光をともして、夜道を遠ざかっていった。
「……わたしは、彼を尊敬していたんだ」
馬車の光が夜の丘の向こう側に消えてしまうと、カイはぽつりとつぶやいた。ディナダンはカイに声をかけようと思ったが、振り向いたカイの表情はすでにいつもどおりのものだった。
「では、改めて帝国打倒の作戦を練ることにしようか。ギッシュが姑息な手段をつかった理由は、帝国には全方位で戦うだけの力が足りないからだ。いまなら、いけるかもしれない」そこまで言って、カイは大きなあくびをした。
「では、改めて帝国打倒の作戦を練ることにしようか。ギッシュが姑息な手段をつかった理由は、帝国には全方位で戦うだけの力が足りないからだ。いまなら、いけるかもしれない」そこまで言って、カイは大きなあくびをした。
「しかしそのまえにひとねむり、ですな」
ディナダンはにやりと笑った。
「睡眠不足じゃ、よい作戦は考えられないからね」
静かなる賢王は、そう言って目を閉じた。
-完-
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