【リンニイスの休日】-前編-
カーレオンのメリオット姫と言えば、おてんばなことで有名だ。今日も彼女は、お供に騎士のシュストを連れて城下へと繰り出していた。
「姫様、そろそろ帰りましょう。もう十分楽しんだはずです」
「だめよ、シュスト。見たいものはまだたくさんあるもの」
「しかし、明日の式典の準備もありますから」
式典! メリオットは大臣たちの冗長な演説を思い出してうんざりした。あんな退屈なものには、できれば出席したくない。
彼女は少しだけ考えてから、指をぱちんと鳴らした。
彼女は少しだけ考えてから、指をぱちんと鳴らした。
「わかったわ。じゃあ、これで最後。あそこに小物屋さんがあるでしょ?」
彼女は通りの一番向こう側にある店を指差す。
「お兄ちゃんに似合いそうな指輪があったから、買ってきてほしいの」
「仕方ありませんねぇ」
シュストはしぶしぶ承知した。可愛い女の子にお願いをされて断れる男がいるはずがない。なんの疑いも持たないシュストが背中を向けたとたん、おてんば姫は反対側に向かってすたこら駆け出した。
「あーっ!」
だまされたことに気づいたシュストの叫び声がメリオットに届く。もちろん彼女は無視した。雑踏は小柄な少女に有利に働いたが、角をまがった先は人通りの少ない広場。ここをまっすぐ走り抜けたらきっとシュストに追いつかれてしまうだろう。メリオットはあわてて隠れることができそうな場所を捜した。
「あそこがいいわ!」
彼女が見つけたのは水飲み場。駆け寄って、後ろに身をかがめる。
(神さま、神さま。どうかシュストに見つかりませんように!)
神殿でもこれほど祈ったことはないというほど懸命にメリオットは祈る。
「何してるの、こんなところでかくれんぼ?」
「きゃっ!」
突然の頭上からの声に、メリオットは小さな悲鳴を上げた。見上げると彼女よりひとつふたつ年上の女の子が覗き込んでいた。
「え、えと……悪い人に追われているの!」
とっさに答える。
「悪い人? どこ?」
メリオットは、広場へとやってきたシュストを指差す。女の子は大きく頷いた。
「あいつか。なるほど、悪そうな顔してるわね」
本人が耳にしたら深く傷つくに違いない。
「いったい、どこいったんだ? まったく、オレの身にもなってくれよ」
当のシュストはぼやきながら水飲み場の前を通り過ぎてゆく。どうやら見つからずに済みそうだとメリオットは安心した。が、彼は急に振り返りつかつかと水飲み場のほうに近づいてきた。
「だめっ、見つかっちゃう……!」
メリオットが泣き出しそうな声をあげると。
「まかせておいて」
女の子は、メリオットにウインクをしてシュストに歩み寄っていった。
「ねぇ、おにいさん。似顔絵、描いてほしくない? お安くしとくわよ」
「似顔絵? なんだ、あんた絵描きさんか」
「そうよ。ほら、あそこにイーゼルが立ってるでしょ。見てみる?」
「悪いが今はひまじゃない。そこをどいてくれないか、オレは水が飲みたいんだ」
彼女を押しのけて水飲み場に行こうとする。
「やば……」
影で様子をうかがっていたメリオットはいっそう体を小さくした。
「水が飲みたい、ね」
彼女は人差し指をあごに当て、ちょっと考える仕草をした。
「それは、おあいにくさま。やめておいたほうがいいわ。だってあたしが汚しちゃったばかりだもの」
絵の具に汚れた手をひらひらさせる。
「色付きの水なら飲めるけど、絵の具は毒だって聞いたことがあるわよ」
女の子の笑顔にシュストは肩を落とした。彼は水を飲むのをあきらめ、改めて女の子にたずねた。
「栗色の髪の女の子がこっちにこなかったか? 落ち着きがなくて、ちょこまかしていて、うるさい娘なんだが……」
(……シュストのばか!)
メリオットは物陰で頬をふくらませた。
「う~ん、ずっと絵を描いてたからよくわからなかったけど、それっぽい娘ならあっちに走っていったわよ。なんだか、慌ててる様子だったわ」
「それだ!」
「その娘がどうかしたの?」
「わけありでな。捕まえなきゃならないんだ。じゃあな」
シュストは礼を言うと、彼女に指し示された方角へ走り去っていった。
「じゃあねぇ」
女の子は胸の前で小さく手を振り、一瞬、ぺろりと舌を出すと、水飲み場に戻ってきた。
「……行ったわよ」
「ありがとう、あなたは私の命の恩人だわ!」
メリオットは抱きつかんばかりの勢いだ。
「そんな大げさな」
女の子は苦笑すると、手をぽんと打ち鳴らした。
「そうそう、自己紹介がまだだったわね。あたしは絵描きのミリア。あなたは?」
「わ、私は……ポリネア」
メリオットは城で飼っている猫の名前を答えた。
「ポリネアちゃんね、わかったわ。よろしく」
ミリアが差し出した右手をメリオットは握り返す。
「これからお城の絵の完成記念に昼食をとるんだけど一緒にどう?」
「え、いいの?」
ミリアの申し出にメリオットは目を輝かせた。
「ついでに絵の感想も聞かせてね。自信作なの」
これがメリオットとミリア、ふたりの出会いだった。
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