【危険の報酬】-前編-
イスカリオの若き騎士ティースは、いけにえにされる子羊の心境で玉座の前に控えていた。なにせ狂王と恐れられる国王ドリストに呼び出されたのだ。きっとろくでもないことを命じられるに違いない。
「おくれてすみません!」
鈴の音のような声と共に、少女が息を弾ませて駆け込んできた。ティースと同じ、騎士のユーラだ。
ユーラは急いでティースの隣にかしこまった。走ってきたせいか、淡いそばかすの浮いた頬はほんのりと朱に染まっている。
ユーラは急いでティースの隣にかしこまった。走ってきたせいか、淡いそばかすの浮いた頬はほんのりと朱に染まっている。
(やっぱ、かわいいなぁ……)
横目でちらりとユーラを盗み見たティースは、先程まで感じていた不安も忘れて、鼻の下を伸ばす。
(ユーラに出会えただけで、騎士になってよかったって思うよなぁ)
ティースは出会った時からユーラにベタボレだ。だが肝心のユーラの視界に彼は入っていない。彼女の瞳に移るのは信じられないことに狂王ドリストただひとり。
(ああ、いつかユーラが俺に微笑んでくれたらなぁ……)
「顔を上げろ」
ドリストがふたりに命じた。
「は、はいっ」
妄想を中断されたティースは、あわてて顔を上げ、ユーラもそれに続いた。ドリストは杯を片手に玉座に腰掛けてニヤニヤ笑っている。ティースの胸中に忘れていた不安が急激に戻ってきた。
「ティース、ユーラ。帝国へ行ってひと暴れてしてきてもらおうか」
出撃命令だった。戦場に出るのは騎士としての勤め。ろくでもないことを命じられるなどと疑ってしまった己の心をティースは恥じた。若き騎士は姿勢を正し、ドリストに尋ねた。
「他には、誰が一緒なんでしょうか?」
狂王は杯の中の酒をくいっと飲み干した。
「お前たちだけだ」
「は?」
体から血の気が引いた。
「デートだと思って楽しんでこい」
「無理です! 俺と、ユーラの二人きりだなんて、絶対に勝てません!」
「はい、わかりました。ドリスト様!」
我を忘れたティースの叫びと、神妙な面持ちのユーラの返事とが重なった。
「ちょ、ユ、ユーラ?」
ティースはユーラを見た。ちょっと前まで都の不良の一人に過ぎなかったティースは、騎士としてはまだ半人前。ユーラに至っては実戦経験がない。対するエストレガレス帝国の精強さは大陸でも一、二を争う。
「ドリスト様が勝てると判断されたのだもの、大丈夫」
ユーラがティースを見て言った。ティースの首筋を冷や汗が流れた。帝国を相手にすることのどこが大丈夫だというのだろう?
「ん~~~、わかっておるではないか。俺様が勝てると判断したのだ。まさか気に入らねェってわけじゃねェよなァ、ティース?」
ドリストの瞳に剣呑な光がきらめく。
「い、いえ、決してそういうわけでは……ただ、勝利を確実なものにするために、他にも誰かいてくれたらなと思っただけでして……」
途端に弱気になるティース。
「ふたりきりだ。できるな」
「はいっ!」
間髪いれずに返事をするユーラ。ティースは……何も答えられなかった。
「いい返事だ。期待しているぜぇ」
会見はそこで打ち切りとなった。
(絶望的だ。いっそのこと逃げちまおうか……)
御前を辞した後、回廊を歩きながらげっそりとした表情でそう考えていたティースに、ユーラが話しかけてきた。
「頑張ろうね」
途端にティースの心臓はドキンと高鳴り、血潮の奔流が逃げるという選択肢を遥か彼方へと押し流した。
(ダメだ、ダメだっ! ユーラをおいて逃げるなんてできないっ!)
「おう、俺にまかせとけって!」
ティースは胸をどん、と叩いた。
「ドリスト様の期待に応えようね!」
ユーラもすっかりやるき満点。胸の前で小さな手で握りこぶしをつくって見せた。それから彼女は一礼すると、またせわしなく駆けて行ってしまった。
ティースはため息をついた。ユーラにいいところを見せたくて思わず任せろと言ってしまったが、勝てる見込みなどありはしない。
ティースはため息をついた。ユーラにいいところを見せたくて思わず任せろと言ってしまったが、勝てる見込みなどありはしない。
(ああ、どうすりゃいいーんだぁっ!)
「よっ、ティース。出陣だってな」
悩んでいるところに今度は騎士の一人、ダーフィーが声をかけてきた。どうやら二人が出陣することはもう皆に知れ渡っているらしい。知ったのは本人たちが最後というわけだ。
「俺とユーラだけじゃ無理だぜ。助けてくれよ、ダーフィーの兄貴」
泣きつくティースにダーフィーは自慢のひげの下で唇の端をゆがめ、親指と人差し指で輪を作ってみせた。
「金がなきゃ、話にならねぇぜ」
うなだれたティースにダーフィーは続けた。
「実はよ、俺も困ってるんだ。全員、おまえたちの敗北に賭けやがった。このままじゃ賭けが成立しねェ」
賭けのネタにまでされているらしい。無謀な戦いを命じられた上に、仲間にも見捨てられていると知り、ティースは無性に腹が立ってきた。
「ま、弱いおまえらじゃ、誰も賭けてくれねぇのもわかるがな」
ダーフィーに哀れっぽく笑われ、ティースはカッとなって叫んだ。
「わかったよ、こうなりゃヤケだ! 俺の財産、全部勝利にかけてやるぜ!」
言ってから、ダーフィーが改心の笑みを浮かべていることに気づく。見事にハメられたのだ。
「毎度あり。これで賭けは成立だ。せいぜい派手に負けてきてくれ」
負ければ文無し。猛烈な後悔が後に残ったティースを襲った。
「ああああ、どうすりゃぁいいーんだぁ……!」
あっという間に出陣の日はやってきた。
その日、ティースはほとんど泣きそうな気分だった。そんなティースとは裏腹に、ユーラはまるで遠足に行くかのように明るい。
その日、ティースはほとんど泣きそうな気分だった。そんなティースとは裏腹に、ユーラはまるで遠足に行くかのように明るい。
「いってきまぁす!」
何の憂いもなさそうなユーラの声が雲ひとつない青空に吸い込まれていった。
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