【花守り】-前編-
レオニアでは春先に各地で舞踏会が催される。豊穣を祈願する祭りだったものが発展したもので、若い男女にとっては意中の異性におおっぴらに近付くことのできる絶好の機会だ。だから若者たちは、舞踏会の前になるとなんとか異性の気を引こうと身を繕う。
さて、そんな舞踏会を数日後に控えた聖都ターラの王宮。中庭にある花園を、日に焼けたような小麦色の肌をした娘――バーリンは散策していた。レオニアの騎士になってからまだ日の浅い彼女にとっては王宮の何もかもが珍しい。色とりどりの花が咲き誇る花園の真ん中まで来たとき、バーリンは花壇に水をまいている大柄な男に気づいた。大司教パテルヌス配下の騎士イスファスだ。温厚な男でいつも花の手入れをしているが、レオニアでも屈指の実力を持つ。
「おはよう、イスファスさん」
バーリンが立ち止まり声をかけると、イスファスも水をまく手を休めた。
「やあ、おはよう。王宮での暮らしは、もう慣れたかい?」
「まあね。ここは村にはなかったものが色々あって面白いよ。ただ、ちょっと窮屈なことも多いね。女王陛下はともかく、キルーフとガロンワンドはよくおとなしくしていると思うな」
バーリンは肩をすくめた。レオニアの女王リオネッセと、騎士であるキルーフ、ガロンワンド、そしてバーリンは同じ村の出身の幼なじみだ。
「確かにあのふたりに王宮は狭いだろう」
イスファスは苦笑した。バーリンもつられて笑う。それから彼女はイスファスの横にしゃがみこむと、名も知らない白い花のつぼみをしげしげと眺めた。
「それは春告草だよ」
イスファスが教えてくれた。
「春告草か、いい名前だね」
バーリンは立ちあがって伸びをした。
「春といえば、今年はこっちの舞踏会に参加できるだろ。どれくらいのもんなのか、楽しみだよ」
「私としては、君が誰に誘われるのかに興味があるね」
「あたしは誰とも踊らないさ。どうせ、キルーフはこないっていってたしね……」
「キルーフ?」
「い、いや、なんでもないよ!」
あわてて首を横に振る。つい口が滑ってしまった。バーリンは自分の頬が熱くなるのを感じながら、何気ないふりをしてイスファスの表情を盗み見たが、大男は穏やかな笑みを浮かべたままだ。内心ほっと胸をなでおろす。このまま自分の話題を続けさせるのはまずい。バーリンは話題の矛先をイスファスに向けた。
「そういう、イスファスさんはどうなのさ。誰か誘わないの?」
「私は、宮廷に咲く美しき花々を鑑賞するだけで満足だよ」
「とかいってるけど、本当は誘いたい相手がいるんだろ?」
バーリンはにんまりと笑った。
「たとえば……シャーリンさんとかね」
シャーリンは女性でありながら武官を務め、その沈着な仕事ぶりから、レオニアの氷の華と称される騎士。イスファスとは古い付き合いになる。
「彼女は踊ってはくれないさ」
イスファスはまた花壇に水をまき始めた。
「どうしてさ」
「忙しいだろうからね」
「そんなの、誘ってみなくちゃわからないじゃないか!」
しかし、イスファスは答えずに水をまき続けている。その背中をしばらく眺めて、バーリンは決心した。
(よしッ、あたしが代わりにシャーリンさんを誘っといてあげよう!)
バーリンは別れの挨拶もそこそこに回れ右をして王宮の方へと駆け出した。
「興味がない」
レオニアの氷の華シャーリンの答えは、簡潔だった。取り付く島もない。だがここであきらめるわけにはいかない。バーリンはなおも食い下がった。
「踊るくらい、いいじゃないか!」
シャーリンは静かな瞳でひたとバーリンを見据える。
「なぜ、そこまでむきになる?」
「そりゃあ、おせっかいかもしれないよ。だけど……」
バーリンは口ごもった。シャーリンに問われ、気付いてしまった。自分はうまくいかない恋の代償として彼らをうまくいかせたいだけなのだ。氷のごとき武官の視線は、胸の奥を見透かすようにバーリンに突き刺さっている。
バーリンは、搾り出すように言った。
バーリンは、搾り出すように言った。
「……何も残らないよりは、思い出だけでも残ったほうがいいじゃないか」
シャーリンは、しばし沈黙した後、
「ふん、そういう考え方もあるのだな」
それだけ言ってその場を立ち去った。
あとに残されたバーリンは、去っていく武官の背中に向かって叫んだ。
あとに残されたバーリンは、去っていく武官の背中に向かって叫んだ。
「あたしは、納得しないからね!」
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