【夜天紅炎】-後編-
アルメキア王国軍総帥ゼメキスがクーデターをおこした夜、脱出するランス王子の姿を見届けた騎士シュトレイスは、王子の乳兄弟であるアーヴィンにも脱出を促した。しかしアーヴィンは、シュトレイスに自分がゼメキスの配下になることを告げた。
「だったら、何のために王子を捜したのだ!」
シュトレイスは、混乱したままに叫ぶ。アーヴィンは歪んだ笑みを浮かべながら、無邪気ともいえる口調で答えた。
「王子の首でもあれば重くとりたててもらえるかと思ったのだけど、逃げられたならしょうがないね」
アーヴィンが王子を捜していた本当の理由を知って、シュトレイスは絶句した。そんなシュトレイスを横目に見ながら、アーヴィンは続けた。
「言っておくけど、先に裏切ったのはランスのほうだよ」
「どういうことだ」
とまどいながらシュトレイスは問う。
「ランスは僕の母さんを置いて逃げたんだ。クーデターが起こった直後、母さんは寝室にランスを助けに行った。部屋にランスはいなかった。代わりに将軍の配下と鉢合わせた……。僕の腕の中でランスの名を呼びながら母さんは息を引き取ったよ」
アーヴィンの上着についている血は返り血ではなく、母親の血だったのだ。
「……母さんは、ランスの代わりに犠牲になったんだ。ランスさえいなければ、母さんが死ぬこともなかった!」
「馬鹿な! 憎むべきはゼメキスなはずだ!」
シュトレイスは必死で反論した。アーヴィンはわずかに沈黙してからゆっくりと口を開いた。彼の瞳は深い海の底のような静かさと暗さを湛えている。
「僕は、ずっと疑問に思っていたよ。なんでランスだけが特別なのか、って……。僕とランスはずっと兄弟同然に育った。だけどランスは特別で、僕はそうじゃない。なんて不公平なんだろう……」
「特別なのは王族だからだ。我々が生きていくためには導き手が必要となる。それが王だ。王がいなければ我々は羊飼いを失った羊のように荒野に迷うだろう」
アーヴィンは罪人を見るような哀れみをこめてシュトレイスを見つめた。
「王が民を導くから王族は特別だなんて、そんなのは王族が自分たちの地位を守るためにでっちあげた幻想さ。僕たちは本来、誰もが特別でかけがえのない存在なんだ。王族か、そうでないかで人の価値が決められるわけがない」
アーヴィンの言説はもっともなものに思える。だがそれもまた理想にすぎないのではないだろうか。アーヴィンは賢い。しかし誰もがアーヴィンのように考えるわけではない。掲げた理想と現実の差を見極めるには彼はまだ若すぎた。
「僕はゼメキス将軍の新しい世界に賭ける。そのためには、古い王家の血は流されなくてはいけないんだ!」
もう何を言ってもアーヴィンの耳には届かない。そう判断したシュトレイスは黙って剣を抜いた。
「僕を斬れるのかい?」
「騎士として裏切り者を斬るに躊躇はない!」
アーヴィンは、くすりと笑った。
「じゃあ、ソレイユも斬るんだね。彼も裏切り者のひとりだよ」
「嘘をつくな!」
シュトレイスは叫びアーヴィンに斬りかかる。アーヴィンは後ろに跳び下がってよけたが、切っ先のかすった頬から血が流れた。シュトレイスはもう一度剣を構え、アーヴィンに斬りかかろうとした。
しかしその瞬間、轟音とともに壁が破られ、シュトレイスは吹き飛ばされ反対側の壁に叩きつけられた。崩れ落ちた瓦礫と舞い上がるほこりの向こう側から現れたのは五本の首を持つ巨竜ティアマット。ゼメキス配下のモンスターだ。ティアマットは冷たい十の瞳でシュトレイスを凝視した。シュトレイスはティアマットの猛威を戦場で見たことがある。あの時は、自分が巨竜の標的になろうとは考えもしなかった。
視界がゆらぎ、口の中に鉄のような味が広がる。よろめきながら、アーヴィンがどうなったかを確認しようと視線を移す。シュトレイスの目に煙の中へと消えて行くアーヴィンが映った。
シュトレイスは逃げるために懸命に立ちあがろうとしたが、体が動かない。シュトレイスが死を覚悟した時、誰かがシュトレイスに肩を貸し、すばやく廊下の奥へと彼を導いた。壁を壊しながら進んでいては巨竜も追いつけはしない。朦朧とした意識とかすむ目で、シュトレイスは自分に肩を貸している人物を見た。
しかしその瞬間、轟音とともに壁が破られ、シュトレイスは吹き飛ばされ反対側の壁に叩きつけられた。崩れ落ちた瓦礫と舞い上がるほこりの向こう側から現れたのは五本の首を持つ巨竜ティアマット。ゼメキス配下のモンスターだ。ティアマットは冷たい十の瞳でシュトレイスを凝視した。シュトレイスはティアマットの猛威を戦場で見たことがある。あの時は、自分が巨竜の標的になろうとは考えもしなかった。
視界がゆらぎ、口の中に鉄のような味が広がる。よろめきながら、アーヴィンがどうなったかを確認しようと視線を移す。シュトレイスの目に煙の中へと消えて行くアーヴィンが映った。
シュトレイスは逃げるために懸命に立ちあがろうとしたが、体が動かない。シュトレイスが死を覚悟した時、誰かがシュトレイスに肩を貸し、すばやく廊下の奥へと彼を導いた。壁を壊しながら進んでいては巨竜も追いつけはしない。朦朧とした意識とかすむ目で、シュトレイスは自分に肩を貸している人物を見た。
「ソレイユ……?」
しかし、その人物は沈黙したまま何も答えない。
長い廊下をほとんど引きずられるようにして歩きながら、シュトレイスは思った。アーヴィンはおまえが裏切ったなんて言っていたぞ。大丈夫、あんな嘘に惑わされる俺じゃないさ。俺はおまえを信じている。だいたい裏切り者が俺を助けるわけがないもんな……。
長い廊下をほとんど引きずられるようにして歩きながら、シュトレイスは思った。アーヴィンはおまえが裏切ったなんて言っていたぞ。大丈夫、あんな嘘に惑わされる俺じゃないさ。俺はおまえを信じている。だいたい裏切り者が俺を助けるわけがないもんな……。
「すまん、シュトレイス……」
意識が闇の中へと引きずり込まれる間際、シュトレイスはソレイユの悲しげな表情を見たような気がした……。
それからは、何がどうなったのか、シュトレイスにはわからない。気がついたら辺境の村のベッドの上だった。負った傷は深く、体を起こすこともままならならない。
ゼメキスのクーデターは成功し、エストレガレス帝国が誕生した。ランス王子はパドストーに落ち延び、王国復興を目指し兵を挙げたという。乳兄弟の裏切りを王子はどんな思いで受けとめているのだろう。
ソレイユは、やはり帝国の騎士となっているらしかった。何がソレイユをそうさせたのか、シュトレイスには知るよしもない。だがシュトレイスの脳裏には、彼が意識を失う直前に見たソレイユの悲しげな表情がくっきりと焼き付いていた。きっとなにか深い理由があるのだ。シュトレイスは、心の中で固く誓った。
ゼメキスのクーデターは成功し、エストレガレス帝国が誕生した。ランス王子はパドストーに落ち延び、王国復興を目指し兵を挙げたという。乳兄弟の裏切りを王子はどんな思いで受けとめているのだろう。
ソレイユは、やはり帝国の騎士となっているらしかった。何がソレイユをそうさせたのか、シュトレイスには知るよしもない。だがシュトレイスの脳裏には、彼が意識を失う直前に見たソレイユの悲しげな表情がくっきりと焼き付いていた。きっとなにか深い理由があるのだ。シュトレイスは、心の中で固く誓った。
(待っていろ、ソレイユ……俺が必ず帝国から救いだしてやるからな!)
-完-
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