【荒野の影】-前編-
「へ、陛下、これはまるでカーレオンに対する侵攻のように感じられるのですが……」
イスカリオの騎士アルスターは、国王ドリストにおそるおそる尋ねた。ここはイスカリオとカーレオンの国境付近。ドリストとアルスターは配下のモンスターを引き連れ荒野の街道を行軍している最中だ。
「ん~? 今頃気づきおったか」
ドリストはこともなげに言った。
「陛下はザナス城の視察だとおっしゃったではありませんか!」
「ま、視察前のちょっとした寄り道だ。気にするこたねえぜェ」
寄り道も何も目的地のはずだった国境の城ザナスはとっくに通り過ぎ、今やはるか後方……。
「おやめください、陛下! そのようなことをすればアルメキア王国が黙っていませんぞ!」
取り乱したアルスターは悲痛な叫びをあげる。大国の小競り合いが絶えない大陸北部とは違って、南部は長い間落ち着いた状況が続いている。わざわざかき回すなど、正気の沙汰とは思えない。
「クーックックックッ! アルメキアごとき恐れるに足らんわァ!」
ドリストが即位してから一年。アルスターはいまだにこの君主に振り回され通しだった。振り回されているのはアルスターばかりではない。君主の放蕩のおかげで国勢は下降の一途をたどっている。すでに巷間ではイスカリオの王は狂王だとささやかれ始めていることをアルスターは知っていた。このまま主君のわがままを許していては、将来国がどうなるかわかったものではない。
アルスターは意を決して大きく息を吸い込むと、ドリストの行く手をさえぎった。
アルスターは意を決して大きく息を吸い込むと、ドリストの行く手をさえぎった。
「陛下っ! どうしてもカーレオンに攻め込むというのであれば、私を斬り捨ててからに……」
そこまで言ってから彼は自分がとんでもない失言をしたことに気づいた。ドリストがニタリとうれしそうな笑みを浮かべ、真紅の大鎌を振りかざしたのだ。
(き、き、斬られるッ……!)
心の底から生命の危機を感じ、アルスターはとっさに目をつぶり、体を強ばらせた。
……しかし、予想に反して何の痛みも衝撃も襲っては来ない。アルスターがそろそろと目を開くと、ドリストは鎌を頭上に掲げたまま何かに気を取られたように荒野の一点を凝視している。アルスターもその視線の先に目をやった。
重苦しい灰色の雲の下、街道からはずれた荒野の片隅、そこに影が立っていた。
いや、影が立つはずがない。おそらく黒い服を着た人間なのだろう。だが頭でそう判っていても、アルスターには影がこの世に生を受けて立っているように思えてならなかった。彼の騎士としての本能は、影の周囲にもやのように立ちこめる殺気を感じ取っている。
……しかし、予想に反して何の痛みも衝撃も襲っては来ない。アルスターがそろそろと目を開くと、ドリストは鎌を頭上に掲げたまま何かに気を取られたように荒野の一点を凝視している。アルスターもその視線の先に目をやった。
重苦しい灰色の雲の下、街道からはずれた荒野の片隅、そこに影が立っていた。
いや、影が立つはずがない。おそらく黒い服を着た人間なのだろう。だが頭でそう判っていても、アルスターには影がこの世に生を受けて立っているように思えてならなかった。彼の騎士としての本能は、影の周囲にもやのように立ちこめる殺気を感じ取っている。
「だれだ、あいつは?」
ドリストが尋ねる。おそらくドリストも殺気を感じているに違いない。
「さあ、私に訊かれましても……」
アルスターは口ごもった。
と、二人が見ている前で影は一回、二回大きく揺らいだかと思うと、ばったりと倒れた。ドリストとアルスターは顔を見合わせた。
と、二人が見ている前で影は一回、二回大きく揺らいだかと思うと、ばったりと倒れた。ドリストとアルスターは顔を見合わせた。
「フン、おもしれェ。テメェはここで待ってな」
ドリストはそう言って愛用の鎌を肩に担ぎ、倒れた影に向かって足早に歩き出した。
「陛下、お待ちください!」
ぼんやりと待っていて万が一のことがあったら困る。アルスターもあわててドリストの後を追う。
アルスターがドリストに追いつく頃、二人は影の元にたどり着いた。うつぶせに倒れている影の正体はアルスターが考えた通り黒い服に身を包んだ人間だった。服は体に張り付くようにぴったりとしており、少なくともアルスターはそのような服を目にしたことがない。銀のかぶとに覆われた頭部から背中にかけて長く赤い髪が広がっている。手には槍を握りしめており、この槍は柄の両端に穂がついていた。
死んでいるのか、意識を失っただけなのか……。少なくとも殺気は消えている。
ドリストがつま先で無造作にその人物の体をひっくり返した。
女だった。
よく見れば服の所々に傷跡があり、顔や槍に黒く変色した血のようなものがこびりついている。
アルスターがドリストに追いつく頃、二人は影の元にたどり着いた。うつぶせに倒れている影の正体はアルスターが考えた通り黒い服に身を包んだ人間だった。服は体に張り付くようにぴったりとしており、少なくともアルスターはそのような服を目にしたことがない。銀のかぶとに覆われた頭部から背中にかけて長く赤い髪が広がっている。手には槍を握りしめており、この槍は柄の両端に穂がついていた。
死んでいるのか、意識を失っただけなのか……。少なくとも殺気は消えている。
ドリストがつま先で無造作にその人物の体をひっくり返した。
女だった。
よく見れば服の所々に傷跡があり、顔や槍に黒く変色した血のようなものがこびりついている。
「騎士のようですが……カーレオンの騎士でしょうか?」
アルスターは問うてみるが、答えを期待したわけではない。言葉を口にすることで胸中にわいた得体の知れない不安感をはねのけたかったのだ。
案の定、ドリストからの答えはない。代わりに倒れている女が突然カッと目を見開いた。
案の定、ドリストからの答えはない。代わりに倒れている女が突然カッと目を見開いた。
「わッ!?」
アルスターの叫びと同時に、女騎士は驚くべき速さで跳ね起き飛びすさる。
間合いを取った女は、目深にかぶったかぶとの奥から鋭い視線で二人をにらみつけた。その瞳は、真紅。
間合いを取った女は、目深にかぶったかぶとの奥から鋭い視線で二人をにらみつけた。その瞳は、真紅。
「何もんだ、テメェ?」
ドリストは驚きもせずに女騎士に尋ねる。
すると、女の唇がかすかに動き、一つの単語を紡ぎだした。それは名乗りではない。
すると、女の唇がかすかに動き、一つの単語を紡ぎだした。それは名乗りではない。
「……殺す」
その言葉が合図だったかのように、消えていた殺気が再びあたりを覆った。
「フン、おもしれェ。やれるもんならやってもらおうか! アルスター、テメェは手出しするんじゃねェぞ。こいつァ、俺様の獲物だ」
ドリストはにやりと笑って大鎌を構えた。
今にも泣き出しそうな曇天の下、ドリストと真紅の瞳の女騎士との戦いが始まろうとしていた……。
今にも泣き出しそうな曇天の下、ドリストと真紅の瞳の女騎士との戦いが始まろうとしていた……。
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