【王子と恋と初陣と】-前編-
――眠れない。
ランスは寝返りをうった。明日には敵の城へと到着する。予想される戦いのため、休まなければならないにもかかわらず、目は冴えきってしまっている。
アルメキア王国軍総帥ゼメキスのクーデターによって国を滅ぼされパドストーへと落ち延びたランス王子は、祖国復興をめざし兵を挙げた。そして今、ランスはゼメキスが皇帝を僭称するエストレガレス帝国の拠点オークニー城に向けて部隊を率いている。
これが祖国復興への最初の戦い。だからこそ負けるわけにはいかない。そう考えると、眠り方を忘れてしまったかのように寝付けなかった。
ランスはため息をつくと毛布をはいで起きあがり、野営のために設置されている天幕の外に出た。夜気には暖かい春の香りがあるものの、空はまだ明ける気配も見せていない。風もなく、かがり火のはぜる音だけがあたりに響いている。
アルメキア王国軍総帥ゼメキスのクーデターによって国を滅ぼされパドストーへと落ち延びたランス王子は、祖国復興をめざし兵を挙げた。そして今、ランスはゼメキスが皇帝を僭称するエストレガレス帝国の拠点オークニー城に向けて部隊を率いている。
これが祖国復興への最初の戦い。だからこそ負けるわけにはいかない。そう考えると、眠り方を忘れてしまったかのように寝付けなかった。
ランスはため息をつくと毛布をはいで起きあがり、野営のために設置されている天幕の外に出た。夜気には暖かい春の香りがあるものの、空はまだ明ける気配も見せていない。風もなく、かがり火のはぜる音だけがあたりに響いている。
「緊張して眠れない、といったところですか?」
かがり火の方から声がした。そちらに顔を向けると、ランスと行動を共にしている騎士の一人ギルサスが火の傍らの地面に座りこんでいた。
「ギルサスさん、起きてらしたんですか」
「敵陣も近いので私も見張りをと思いましてね」
「おつかれさまです」
そう言いながらランスもかがり火のそばに寄り、腰を下ろしてひざをかかえる。
「あの、明日は私が南から回り込めばいいんですよね」
ランスは作戦の確認をした。
「その通りです」
ギルサスが簡潔に答えると、それきり会話は途絶えてしまう。何を話せばいいのかランスにはよくわからなかった。ギルサスはもともとパドストーの騎士。いつも城内で女官たちとふざけあっている姿を見かけるが、こうして間近で話したことはない。そもそもランスがアルメキア王国にいた頃は、特定の人物以外と親しく話す機会などほとんどなかった。
「暖かくなりました。恋をするにはちょうどいい季節です」
二人の間に流れていた沈黙を破ったのはギルサスだった。
「恋、ですか……?」
とっさの間、何を言われたのかうまく理解できない。
「恋です。王子は恋をしたことは?」
「い、いえ」
「なるほど、オクテでいらっしゃる」
ランスは頬に手を当てた。恋などと言われて熱くなっているのが自分でもわかる。そんなランスの様子を横目にギルサスは続けた。
「しかし、それでは一人前とはいいかねますね」
どう答えればいいのかわからず、ランスはうつむいた。軍を率いるに相応しくないということなのだろうか?
「私にいわせれば、恋の一つも経験していないうちはまだ子供です。なぜなら……」
その時、ガサリ、と右手の茂みが鳴った。
「誰だ」
ギルサスは立ち上がると茂みに向かって誰何した。しかし、返事はない。茂みの向こう側に黒い人影を見たような気がしてランスも立ち上がったが、ギルサスがそれを制した。ギルサスは茂みに近付くと、素早く払う。
「きゃッ」
小さな悲鳴があたりに響いた。
「なんだ、エフィーリアか」
侵攻軍に参加しているもう一人の騎士エフィーリアが茂みの向こう側に立っていた。どうやら、二人の声に気付いて起きてきたらしい。
「なんだとはなんですの? あれだけ話し声がすれば目も覚めるというものですわ」
エフィーリアは少し不機嫌そうに言った。
「すみません。私が寝付けなかったので……」
ランスはエフィーリアに謝る。
「ランス王子が謝る必要はありませんわ。わたくしはギルサスさんの声で目が覚めたのですから。王子、ギルサスさんはわたくしたち女性にはなにかと優しくしてくださるのですが、男性には厳しいと評判です。なにか言われませんでしたか?」
ランスは黙って首を横に振った。
「王子には一人前とはどういうことかを教えてさしあげていただけさ。それよりエフィ、ここに立ってちゃ体が冷える。火のそばで秘密の話を楽しもうじゃないか。できれば二人きりで」
ギルサスはエフィーリアをかがり火の方へ導こうとする。
「ギルサスさんとは二人きりになるな、というのはパドストーの常識ですわ」
微笑みながらエフィーリアはやんわりと言った。
「常識は破るためにある、そう思わないか?」
ギルサスも楽しそうに笑みを浮かべる。ランスは二人のやりとりを見つめながらかすかな疎外感を覚えた。
「ご期待には添えませんわ。ランス王子、いつまでも起きていてはお体に毒です。見張りはギルサスさんにお任せしてわたくしたちは寝るとしましょう」
エフィーリアが言った。黙って座っていたことが、眠気のせいだと思われたのかも知れない。眠気を感じてはいなかったが、ランスはうなずいてその意見に同意した。
「それではおやすみなさい、ギルサスさん。おつきあいくださってありがとうございました」
ランスの言葉にギルサスは小さく手を振って答えた。
天幕に戻ったランスは毛布に潜り込んで目を閉じ、それからふとさっきの出来事を思い出した。
戦いを前にしていても、ギルサスやエフィーリアには会話を楽しむ余裕がある。だが自分は不安に捕らわれ、不審な影を見たような気がしてしまっている。やはり自分はまだ一人前ではないのかも知れない。
暗闇の中、このまま眠れないのではないかとも思っていたが、それでもいつの間にか睡魔はやってきて、意識はまどろみの中へとさらわれていった……。
天幕に戻ったランスは毛布に潜り込んで目を閉じ、それからふとさっきの出来事を思い出した。
戦いを前にしていても、ギルサスやエフィーリアには会話を楽しむ余裕がある。だが自分は不安に捕らわれ、不審な影を見たような気がしてしまっている。やはり自分はまだ一人前ではないのかも知れない。
暗闇の中、このまま眠れないのではないかとも思っていたが、それでもいつの間にか睡魔はやってきて、意識はまどろみの中へとさらわれていった……。
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