743 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:26:27 ID:keF5dv3k

『罰ゲーム』
 今でも夢に見る。
 胸糞悪いというか、いい加減にしろって言いたくなる夢だ。
「やだよぅ、りゅーくん……ゆるしてぇ……」
「ダメ」
 偉そうに両腕組んでふんぞり返っているのは、短パン姿のガキ
んちょだ。同い年の女の子をイジメている。女の子は目に涙を浮
かべて、顔を真っ赤にして泣いていた。
「ほら、はやくしろよな」
「……むりだよぅ……」
「五回連続で蹴られたら、罰ゲームだって言ったろ。負けるのが
悪いんだ」
「……だって、だってぇ、りゅーくん、はやいんだもん……」
「美香が遅すぎるんだよ、このノロマ」
「……ごめん……」
 いや、君は謝らなくていい。謝るのは、そこで当然のようにお
前を苛めている、七歳当時の「俺」なんだ。
 
 おい、岡野竜一。
 
 いくら夏休みで、友達がみんな家族旅行に行ってて暇だからっ
て、幼馴染みの子をイジメてんじゃねぇ。帰って勉強しろ、夏休
みの宿題が、たっぷり残ってんだろうがよ。
「ほら、さっさとやれよ。罰ゲーム」
「……やだ、そんなの……できないよぅ……」
「おまえさー、サイアクだよなー。約束も守れねーのかよー」
 最悪なのはてめーだ! 喋りがウゼェ!
 無理やり相手の子を遊ばせておいて、なにがつまんねーだ。運
動苦手なのを知っていて、サシで缶蹴りの勝負持ちかけるとか、
どんだけだ。卑怯者。
「美香のひきょうもん」
「……ゆるしてぇ、りゅーくん……」
「ダメったら、ダメ。罰ゲームやるまで、帰さないからな」
 勝つのを承知でやってたんだから、罰ゲームもあったもんじゃ
ない。しかもこの炎天下、マンションの日陰で遊んでいたからと
いって、体力が続くのは男だけだろ。一時間近くも走らせ続けた
挙句、説教するとか何様だ、このバカ野郎。
「ほら、はやくっ!」
 そんな「俺」の気も知らず、バカは相変わらず腕を組んだまま。
吐き捨てるように言いやがる。
「まだかよー」
「……むりだよぅ……」
「じゃあいいよ。美香は約束も守れない奴だって、夏休み終わっ
たら、みんなに言いふらしてやる」
「……やだ……いやぁ……」
「だったら、ちゃんと罰ゲームやれよ」
「……」
 このガキ、マジ外道か。
 本当に、この夢を見るたび死ねって思う。
 七歳の「俺」の首を絞め、今この夢を見ている十七歳の俺ごと、
死んでしまえばいい。叶うことならば、上手く夢から覚めたいの
に、その方法が分からない。
 過去の夢の再現は続いていく。
「はやくその黄色い "でかスカート" めくれよなー」
「これ、ワンピースっていうの。スカートじゃないよぅ……」
「うるせー、どっちでもいいだろー」
「よ、よくない、と、思う……」
「いいってば。もうめんどくせー、俺がめくっちゃっていい?」
「ダ、ダメぇ……っ!」
「それなら、自分でめくれって言ってんの。罰ゲームなんだから」
「うぅ……」
 誰か、マジで警察を呼んでくれ。
 そこのガキはまだ七歳だが、立派な変質者と言っていい。
 捕まえろ。今すぐにだ。今この夢を見ている俺が許す。子供だ
からといって、なにをしても許されるわけじゃない。そこはしっ
かりと、分別のついた大人が諭していくべきなんだ。
『いいか、よく聞け。七歳の岡野竜一。男子が女子のスカートを
捲るのと、女子が自分でスカートを捲り上げる事には、富士山よ
りも高い隔たりがあると知れ!』
「……りゅーくん、そんなに、みかのぱんつ、みたいの……?」
「ちげーよ、お前のパンツなんて見たくねーよ。罰ゲームだから
やれって言ってんの」
『いや、お前はウソをついている。女子のパンツは良い物だ。ほ
ら素直になれよ。実は見たいんだろ。幼馴染みのパンツがよ』
「……りゅーくんの、えっち」
「ちげーよ。なに言ってんのお前、調子のんなよ」
「ごめん」
『謝らなくていい。俺と言わず男は皆、飢えた獣と変わらない』
「じゃあ……ちょっとだけ、だよ……?」
「なんだよケチ」
『そうだ! もっと大胆に、淫らな君を見せてみろ!』
「……あ、あんまり、じっとみないで……ね……」
「おー」
『くくく、じっくり堪能させてもらおうかぁ!』
「はうぅ……」 
 少女の恥じらいが増していく。太ももを摺りあわす様子がたま
らんね。これは実に眼福―――
『……んっ?』
 まて、違う。なにか違うぞ。これではまるで、俺が変態みたい
じゃないか。
「や、やっぱり、恥ずかしいよぅ……できないよぅ……」
「恥ずかしいから、できないんだ?」
「うん……」
「――やれやれ、だな」
 突然、七歳の俺がわざとらしく溜息をこぼした。昨晩ビデオで
見たハリウッド映画の俳優のように、肩をすくめてみせる。当然
だが、ちっとも似合ってねぇ。
「お前ってほんとー、世話がやけるよなぁ」
「……ごめんね、ごめんね……」
「ほら、こっち。ついてこいよ」
「えっ?」
「はやくしろ」
「ど、どこ行くの……?」
 目をぽかんと見開く女の子。その手を引っ張って、我がもの顔
で歩いていく「俺」。相手の歩幅なんて考慮もせず、早足だ。
「ここ」
「……えっ?」
 七歳の俺が脚を止め、少女と向き合う。
 マンションの自転車置き場と、ブロック塀の間に挟まれた、周
辺から死角となっている場所だった。
「ここなら見えないだろ」
「……え、えっと……?」
「見えなきゃ、恥ずかしくねーんだろ?」
「…………ぅ」
「まだダメ?」
 確かに、そこは子供ならどうにか入りこめるといった程度の場
所だった。自転車の雨避けとなっている天井が、マンション上層
からの視線も隠してくれる。ここに子供が二人いるのを見つけら
れるとしたら、この隙間を覗かない限り、無理だろう。
「ほら、スカート、めくってみせろよ」
「……だれにも、いわない……?」
「ちゃんと出来たらな」
「………や、やくそく、だよ……っ!」
「ほら、指きり」
「……うん」
 
 指きりげんまん。うっそついたら、はりせんぼん、のーます。
 ゆびきったっ!
 
 重なった二人の小指。再び離れた。
 俺は相変わらず偉そうに腕を組みなおし、女の子は両手をそっ
と、ワンピースの裾へと伸ばした。
 待望の待ちわびた瞬間が今、目の前に―――いや、違う。そう
じゃない。俺は変態じゃない。だが見たい。
「……だ、だれにも、いっちゃ、めっ……!」
 罰ゲームにこだわる、バカな男子の命令だった。
 気の弱い少女は、自分のワンピースの裾を手に持って、持ち上
げていく。顔を真っ赤にして。
「えいっ!」
 決意を秘めた少女の声。そしてついに現れる。
 眩しい白いパンツの御姿。まだ自分でも触れたことのないだろ
う秘所に、刺繍された黒猫が描かれていた。
 にゃーお……。
 パンツの黒猫が鳴いた。
 愛を求めるように、甘く、切なく、静かに鳴いた。
「……りゅ、う、くん……」
 恥ずかしさからか、ぼそぼそと、呟くように喋る女の子。
 気がつけば、頭の上に三角の猫耳。
 両脚の隙間からは、黒い尻尾。ふりふり。
 赤い唇が動いた。
「――――――――――」
 聞こえなかった。確かに呟いたのに。
 何故かと問われたら、簡単なことだ。
「……あれ?」
 バカな男子が鼻血を拭いて倒れ、意識を失っていくからだ。
 どうしてお前はそこで倒れるんだ! バカヤロウ!
 立て! 立てよ! 諦めんなよ! 俺―――!

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリイ!!!!

 声にならない声。同時に目ざましの野郎が喚きだす。
 夢から現実へ。ただ両腕が、なにかを求めるように、天井に伸
ばされていた。
「……」
 そのまま横に下ろす。定位置の目覚ましをぶっ叩く。
「……あー、胸糞わりぃ」
 最近、同じ夢を見ている。夢は、現実で望んでいた想いが現れ
る場所らしい。
「ねーよ」
 ベッドから這い出る。寒い。
 身体が冷え切る前に上着を羽織り、下は直接ジーンズを重ね着
する。靴下も履いた後で自室の窓に向かい――三階の部屋のカー
テンを開いた。
「うーわ、外寒そう」
 普段は家人に整えられた広い庭。今朝は地面の上に散っている
紅葉が目立っていた。木々も丸裸になっているのがほとんどで、
いよいよ秋が終わり、冬の到来を告げていた。
「今日から十二月だもんなぁ」
 そろそろ雪でも降るかなと、ぼんやり思った。ついでに見慣れ
た景色を追っていく。
 部屋の窓の位置からやや右斜め。この家の正門から直線にして
僅か二十メートルの場所、三階建のマンションが建っている。
「……かわんねーよな」
 夢の場所と。
 全く同じ光景というはずもなく、当時、無邪気に遊んだマンシ
ョン周辺の畑は、ほとんど埋められていた。代わりに新しい家が
建っていた。
 その程度の違いはあれど、マンションの敷地内と、この家の有
りようまでは変わらない。夢に見た、あの自転車置き場も残って
いる。
「……ほんっと、かわんねー」
 目の前のマンションの一室に、去年まで両親と一緒に住んでい
た。終わりを告げたのは、俺が中三の時だった。あれからまだ一
年経っていない。
『――喜べ息子。父の海外出張が決まったぞ』
 オヤジが突然そう言った時、正月は既に明けていた。
 目の前に迫った高校受験に、切羽詰まっていた時だった。
『マジかよ?』
『うむ。やっと念願かなってな。いよいよこの父も世界進出とき
たものだ。嬉しかろう。わが息子』
『それは、まぁ……一応聞いとくけど、再来週に俺の高校受験が
あるの、知ってるよな?』
『誰もが通る学生の一大イベントだな。お前はまだ、働く気はな
いんだろ?』
『……まぁ、うん……高校いきたいっつーか、働ける自信がねぇ』
『だろうな。母さんはついて来ると言ってるが、やはりお前は残
り、地元の高校に通いたいか?』
『ちょっと待て、オヤジ、単身赴任……なんだろ?』
『バカを言え。一人は寂しいじゃないか。そうだろう、律子さん』
『そうですねぇ、あなた』
『……っつーことはなんだよ、俺を残していく気満々かよ?』
『うむ、達者で勉学に励めよ、我が息子』
『待てコラ。なんだよそれ』
 正直、というか最悪、滑り止めの高校にさえ通ってしまえば、
あと三年は地元で変わらず、学生生活を送れるのだと信じていた。
 両親から離れ、ここで一人でやっていけるのか。不安に襲われ
た。けどそれを口にするのはガキっぽい気がして、言えなかった。
『竜一、お前は残れ。そして行きたい高校に行くがいい』
『いや、格好つけんでいいから。で、引っ越しはいつだよ』
『最後まで親の言うことぐらい聞け。お主に道は残されておるぞ』
『オヤジ、いい歳してゲーム被れすんの止めろ』
『だって懐かしいじゃないか、最新機種で、当時のゲームが八百
円でダウンロードできるんだぞ。いい時代になったよなぁ。当時
は一万円もしたのに。8メガバイトの、カセットロムが』
『なんの話だよ……』
 話が良く逸れるのは、遺伝だと思ってる。
 
「―――志望校に寮があったら、よかったんだけど、なかったん
だよなぁ……」
 過去の回想から、意識を戻す。
 十八歳未満だと、親からの援助があったとしても、一人暮らし
は難しい。義務教育が終わっていても「高校生」という身分では、
まだまだ大人とは認めてもらえない。少なくとも学校法人様は、
不許可を言い渡してくれるだろう。
 親族と呼べる人達は、皆離れたところに住んでいた。この地元
で「保護者代理人」になってくれる伝手など、思い当たらなかっ
た。
「本当は、まだ夢の続きだったりしてな」
 恥ずかしいセリフがこぼれた。
 そう、俺は結局地元に残っている。本命の高校受験もサクラが
咲いて、四月から十二月になった今日まで、無遅刻、無欠席だ。
 一月に一度届く、母さんからの手紙。最後には決まって『海外
に発ったオヤジも頑張っているから、貴方も程々にね』
「まぁまぁ頑張ってるよ。さて、そろそろ降りるかな」
 カーテンを閉ざし、部屋の扉へと振り返った時だ。
 とん、とん、とん。
 階段を上る、軽快な足音が聞こえてきた。この家の最も高い場
所にある、三階の屋根裏部屋。廊下はなく、階段を登ればすぐ、
この部屋の扉に突き当たる。
 コンコン、と軽くノックの音。
 扉の向こうから聞こえる声。
「―――りゅーくん、起きてる?」
「おー、今起きたとこ」
「朝ごはんできたから、降りてきてね」
「分かった、顔洗ってすぐ行く」
「うん」
 俺は今、マンションの家主であった、柏木さんの家に居候して
いる。半年経った今でも、にわかに信じ難い。
「……母さん、オヤジ……」
 ありがとう。この空の向こう、星の瞬くどこぞにいる二人へ。
心からありがとう。いや、死んでねーけどな。
 二人が、家主である柏木ご夫婦と築いた絆のおかげで、俺はこ
うして地元を離れることなく、高校生活をエンジョイしています。
 半年が経ち、十二月となった今。
 自惚れではなく、俺はまぁまぁ、上手くやれているんじゃない
かと思ってる。でも、だからこそ。
「……いつかちゃんと、礼を返せる大人にならんとな」
 俺はあくまで居候だ。ご厚意に甘えさせてもらっているのも、
両親のおかげ。俺はまだ、なんもできてない。しっかりと戒めな
きゃいけない。
「うっし!」
 頬を一度叩いて、気分を入れ替える。
 居候の身で寝過ごすなんぞ、論外だ。

 顔を洗って、勝手知りつつある階段を下りた。
 居間への扉を開けると、思わず腹が鳴りそうな匂いがする。台
所を見ると、フライパンを持った幼馴染が、手首を翻して野菜を
跳ね上げた。受け止めると同時に、じゅわぁ~っと美味そうな音
が耳に届く。
「おはよう、りゅーくん」
「おはよ」
 俺がお世話になっている「柏木さん」家の一人娘、柏木美香。
 美香は手に持ったフライパンに注意して、にっこり笑う。幼馴
染みとはいえ、異性であることに変わりはない。なんとなく照れ
臭く顔を背けてしまった。
「待っててね、すぐできるから」
「おう」
 視線を彷徨わせ、結局、ニュースキャスターの声が聞こえてく
る居間のテレビの方で落ち着いた。
 この家の居間は洋室だ。こたつがないのがちょっと寂しいが、
代わりに電気ストーブが無人の部屋を暖めていた。食事をする机、
四つの椅子が揃って空いている。
「あれ? 信二さんと彩華さんは?」
「仕事が長引きそうで、事務所の方に泊まり込みだって」
「そっか、相変わらず大変だな」
「みたいだね」
 信二さんと彩華さんは、美香のご両親。つまり俺が世話になっ
ている柏木家のご夫婦だ。二人は不動産業を営まれている。そろ
そろ年末も近づいてくるし、仕事が一気に増えていくんだろう。
「大変だな」
「本当に大変なのは、年が明けてからだけどねー」
「うん。それにしても……」思わず声がでた。
「どうかした?」
「いや、なんでもねー。朝食の準備手伝うよ。飯注ごうか」
「お願い」
「おぅ」 
 炊飯器の蓋を開くと、白い湯気がわき上がった。振りかえらず、
背中合わせになった美香に尋ねた。
「二人分でいいんだよな」
「うん。あと、お弁当箱の方にもお願いね」
「わかった」
 しゃもじを突き刺し、白い湯気を浮かび上がらせたご飯を、茶
碗の中へと注いでいく。
 振りかえり、幼馴染の背を見て、思う。
(―――それにしても)
 血縁関係でもない、単なる「賃貸者」の息子である俺を、柏木
さんのご夫婦は、どう思っているんだろうか。
 元凶である俺が言うのもなんだが、仮にも一晩、自分たちの一
人娘を、同じ屋根の下においておくなんて。
(……フツーは心配するよな?)
 互いの両親にとっては、俺たちが幼稚園に通っている頃から、
見知っている仲だ。信頼されているのかもしれないが……俺だっ
て男だ。それなりに盛ってますよ?
(美香って……すげー細いよなぁ。同じもん食ってるとは思えん)
 飯を注いだ茶碗を机に置いて、そっと彼女を覗き見た。
 食う量が違うとはいえ、なんでそんなに細いんだ。首筋から背
中にかかるラインとか。健康的に伸びてんのに、華奢で折れてし
まいそうな手足とか。
(それから……)
 見透かされないよう、慎重に、彼女の胸元を見た。
 でかい。やはり、でかい。
 美香の場合、栄養が胸に集中しているのは間違いない。
(……幼馴染じゃなかったら、ぜってー、無理)
 理性とか、我慢とか、限界とか。
「でーきた♪」
 ガスコンロの火を止めて、今度は炒めた野菜を、弁当箱の方へ
盛りつけていく。機嫌が良いのか、微かな鼻歌も聞こえていた。
ちょこまか動く際に揺れる胸元に、思わず視線を傾けてしまう。
「うむ、素晴らしい……」
「えっ?」
「い、いや! なんでもない!」
 危ない。うっかりすると、心の声がこぼれてしまう。
 一言で率直に言えば、美香は美人だ。そして胸がでかい。俺み
たいな凡百の顔立ちの男なんざ、遠くから眺めているのがせいぜ
いのはず。それが、幼馴染という特権を利用して、側にいる。一
緒に朝食の支度をしている。
「りゅーくん、おかずも出来たよ~」
「机まで持ってこうか」
「お願い」
 おかずを乗せた皿を受け取る時、指先が微かに触れた。それだ
けで一瞬、息が止まりそうになる。
「ご、ごめん」
「なにが?」
「い、いやっ、なんでもない」
 半年もすれば、二人きりになっても、平気に振舞えるかと思っ
ていた。思っていたんだが、そんなことはなかったぜ。
 自然体で話せる機会が増えるごとに、些細なことで緊張する。
日増しに成長しているであろう、彼女の胸に目移りしてしまう。
Dカップを迎える日は近い。そして、さらなる高みへ……
 いや、そうではなく。
(美香は、俺のこと、どう思ってんだ)
 嫌われていないとは思うが、幼馴染みの範疇に過ぎないのか。
 それとも。
(よせ、考えるな)
 俺はあくまで居候。
 間違って手を出そうものなら、両親のいる海外へと強制送還だ。
もしくは冷たい牢獄の内側へ。
(……耐えろよー) 
 受けとった皿を机に運ぶ。それから箸を並べ、茶を入れて。一
通りの支度が終わった。はぁ、と一つ溜息。朝から不用意に神経
を削るのがツラい。
「美香、他になんかある?」
「うぅん。お弁当も作れたし、食べよっか」
「洗い物やっとくから、先に食ってろよ」
「だめ、ちゃんと手伝うよ。そっちの方が早いんだから」
「へいへい」
 美香がエプロンを外してこちらにやってくる。
 座る場所の定位置も決まっている。俺達は向かい合わせの格好
になって、どちらともなく、自然に手を合わせた。
「いただきます」
「いただきます」
 箸を手に取り、白い湯気をあげる炊き立てご飯を、一口。
「おいしい」「うまい」
 声が重なり、自然に笑いあった。
 テレビから流れるニュース番組の記事を耳にして、「へぇ」だ
の「ほー」だのと言いつつ、二人で飯を食う。
「今日は、乙女座、一位♪」
「……げっ、やぎ座、最下位かよ……」
 週末占いの結果に、一喜一憂してみたり。
 そんな時だ。ふと、俺は幸福なのだなと思ったりする。
 面倒を見てくれる人たちがいて、同じ屋根の下で、綺麗な女子
校生と朝飯を食っているのだ。そんな男子高生なぞ、レアモノだ。
俺はどう見てもイケメンでないのだから、スーパーレアと言って
いいだろう。これ以上望めば、幸運値がオーバーフローを起こし
て、天罰が下るやもしれん。まだ死にたくはない。
(それに……)
 あの夢。
 昔、俺は彼女にとんでもないことをやらかした。
 あの夢が一番ひどかったが、他にも些細なことで美香を苛めて
いた。イラついて、頭を殴って泣かせたこともあったし、作って
くれたチョコレートを、おいしくない、固いと連呼しながら食っ
たこともある。
 二人でマリカーを熱中していた時なんぞ、赤亀が最後の風船を
狙って飛んできたところを、強制リセットで引き分けにしてやっ
た。
(……我ながら、ろくでもねーよなぁ……)
 あの時、美香は呆然とコントローラを握りしめたまま、暗転し
た画面を見つめていた。そして、世界的に有名なロゴマークが出
現した瞬間に、無言で泣いた。あの時の虚ろな眼差しと、恨めし
そうに俺を見上げてくる涙混じりの瞳が―――忘れられない。
「……かわいかった……」
「えっ、なに?」
「い、いや、別にっ!」
「もしかして、今日のご飯、おいしくない……?」
「そうじゃなくってっ! お、俺だよ! オレオレ!」
「……オレオレ詐欺?」
「いや、ほら、ちょっと昔のこと、思いだして」
「昔のこと?」
「そう。俺ってさ、昔は美香のこと、イジメてただろ」
「う、うん……」
「なんか、急に思いだして。それで、ろくでもなかったなぁって」
「たとえば?」
「えっ」
 真っ先に思い浮かぶのは、あの夢だ。

『―――りゅーくん、みかのぱんつ、みたい?』

 アウトーーーーッ!!
 瞬時にそう判断し、口が意図せずとも、別の言葉を紡ぎだす。
「マ、マリカーッ! マリカーッ!!」
「マリオカート?」
「そうそう!!」
 大海原の如く、広く深く頷いた。
 そんな俺に向かって、美香は最高の笑顔で微笑んだ。
「覚えてるよ。りゅーくん、私に無理やりクッパばっかり使わせ
てたよね。上級者向けで難しかったのに」
「……え?」
「でも途中から私の方が上手になったね。りゅーくん、普通のレ
ースで勝てなくなって、ノコノコじゃ勝てるわけないだろって、
逆ギレしたよね。懐かしいなぁ、うふふふふ」
「……よく覚えんな」
「よく覚えてるよ。レースで全然勝てないから、最後に風船割り
バトルで、リセットボタン押したよね。私、勝ってたのに。とい
うか、勝ち確定だったのに、ねー?」
「……あー、うん、そうだっ、け……?」
「そうだよ、ちゃんと覚えてる。日記にも書いたから、日付まで
わかるよ」
 色濃くなる幼馴染みの微笑。
 背中に冷たいものを感じた。反射的に茶碗と端を置き、机の上
に頭を置く。上半身のみの、土下座スタイル。
「すんません! 本当、あの頃は調子乗っててすんません! こ
こを追い出されたら行くとこないんで、許して!」
「んー、どうしよっかなぁ?」「夕飯の後片付けと、風呂掃除を
勤しんでやらせて頂きます!!」
「うふふ、そうだよね。仕方ないよね。子供だったもんね」
 言って、口元に手を添えて笑ってくれる。
「ごめんね、別に怒ったりなんかしてないよ。安心して」
「そ、そっか」
 あぁ、やっぱ笑った顔が可愛いな。
 墓穴掘ったかと思ったが、朝からいいものが見られたなぁ。
 じーんと、胸に暖かいものが広がっていく。
「――ーところで、りゅーくん、覚えてる?」
「なにを?」
「ワンピース捲り」
「へっ?」
「罰ゲームだから、自分で捲れって、言ったの」

 うわああああああああぁぁぁぁあっっっ!!!!

 穏やかだった内心が、一瞬で暴風と化した。
 思わず、飯が吹きでるほどに。
「ふふっ、ほっぺにご飯粒、ついてるよ」
 美香が目を細めて、少し首を傾げて、手を伸ばしてきた。
「や、やめ……!」
「取ってあげるね」
「あ……」
 一瞬、やられるかと思った。
 だが彼女はそんな素振りは見せず、あくまで微笑のまま、俺の
飯粒を指で掴み、
「……はむ」
 自分の口元に入れた。微笑みの色がもう一段、色濃くなる。
「おいし」
「…………美香」
「なぁに?」
「いや、その、なんでもありません、はい」
「うん♪」
 嗚呼、ご覧ください。皆様。
 昔、バカな男子にイジメられて、なきべそばかりかいていた女
の子は、今ではこんなに強くなりました。にっこり微笑んだその
笑顔は、同じ屋根の下のヘタレ野郎など、余裕で斬り刻んでみせ
ましょう。
「りゅーくん」
「う、うん……?」
「今でも、私のね」
 左手にお茶碗。右手に箸。テレビはお天気おねえさん。
 いつも通りの穏やかな朝食の時間のはず。そうだろう?
「私のパンツ……見たい?」
「ばっ、ばかやろっ! おまっ! 俺をなんだと……!」
「りゅーくんは、りゅーくんだよ。ずっとずっと、変わらないよ」
「……それ、どういう」
「えへへ」
 頼むから、そんな顔で笑うな。朝になったばかりだろ。
 これから学校で、一日楽しく、お勉強するんだろー。
「りゅーくんの、エッチ」
「うるせぇ! お前のパンツなんて、み、見たいわけねーだろっ! 
大体、安易にそういう事言うなっ! なにかあっても知らねーぞ!」
「ごめん」
「謝るなら、最初から言…………」
 なにいってんだ、俺は。全然成長してねぇ。
 夢に見る、バカな男子のままだ。
「俺も、ごめん。い、色々と、本当、ごめん……」
「……りゅーくん」
 それに引き換え、美香は変わった。
 本当綺麗になったし、強くなった。女って怖い。
「変わらないでいて」
「は? 俺が?」
「うん」
「……それはちょっと……」
「だーめ」
 美香が笑う。ぱくぱくぱくと、卵焼きを食べていく。
 何気ない仕草の一つ、一つが、本当に可愛い。
「どうしたの、りゅーくん。食べないならちょーだい」
「おいっ、なにすんだよ」
 ぱくっと、たこさんウインナーを盗まれた。
 これ以上食べられてなるものかと、俺も一口。
「おいしいね」
「うん、美味い」
 確かに美味かった。けど内心で溜息をこぼしてもいた。
 この家に来てから本当に、些細なことで目一杯、精神を削り取
られていく。
「ねぇねぇ、りゅーくん。期末試験って再来週だっけ?」
「んー、確かそんぐらいだな」
「あのね、今日帰ってきたら、一緒に勉強しない」
「あ、それは助かる。美香の数学、分かりやすいし」
「えへへ。じゃあ帰ってきたら、私の部屋にきてね」
「……お、おう」
 また危うく飯を噴き出しかけた。
 本当に口にしたい御馳走には、けっして手は出せない。
 優しい笑みを見せる彼女の手前、その笑顔を、どうしようもな
く壊してしまいたい。そう思ってしまう。
 夢は現実の理想。
 いつか、どこかで聞いた言葉を思いだす。
745 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:30:01 ID:keF5dv3k

(よし、できた)
 シャーペンを静かに置いて、小さく一息ついた。
 名前よし。回答欄のズレもなし。それなりに解けたという実感も
あるから、赤点はまずないだろう。窓際の席である特権をいかし
て、外を眺めると、運動場の周辺に生えている木々は、既に葉を散
らしていた。
 
 十二月、中旬。
 高校と居候の生活が始まってから、九ヶ月。
 高校生活には溶け込めた実感があるのに、居候させて頂いている
家の方はそうでもない。時間が経つほどに、息苦しいと感じること
が増えてきた。
(失礼なのは、承知だけどさ……)
 俺は柏木さん一家の家族ではない。まだどうしても慣れないこと
もある。それはこれから改善していけばいいんだが、残り二年と少
しの間、上手くやっていける自信がない。
 淡泊な言い方かもしれないが、学校という場所は結局、「他人」
との交流を深めるだけの場所だろう。でもそれが心地いいんだ。
だらだら毎日を過ごしていればいい。バカやって、中身の無い会話
を続けて、お互いに笑い合えば充分だ。けど、あの家では、そんな
こと出来るはずがない。
 距離を開きすぎず、かといって極端に近づかない。互いにとって
居心地の良い環境を築くのに慣れていた。だから、少しずつ距離が
縮まっていくのを感じる度に、焦るんだ。
 美香。あいつは昔から世話を焼きたがる。バカな俺はすぐに勘違
いしてしまいそうになる。
(単なる幼馴染みに過ぎないのにな)
 しかもガキの頃にやらかした「罰ゲーム」のせいで、何度泣かせ
たことか。本当に、俺はろくでもないガキだった。
(だって、なぁ……)
 美香は普段はおとなしい癖に、時々、自覚なしに暴走する天然だ。
本当に困る。冗談でも「パンツ見たい?」とか言わないでほしい。
 お前みたいな美人にそう言われて、頷きたくならない男は、ホモ
か特殊性癖の持ち主だけなんだよ。
 つまり見たいんですよ。お前のパンツとか。その他モロモロ!
 ただでさえ環境のせいで、普段からアレを我慢してるっつーのに!
(よし、落ち着け、落ち着くんだ)
 今は授業中である。しかも大事な大事な、期末試験の最終日だっ
たりする。いらんことを考えて、やや固くなり始めているアレを、
とっとと戻せ。
「……ふぅ……」
 静かな教室のなか、どうでもいいことを考えていたら、地味に危
なかった。誤魔化すように欠伸を浮かべかけた時だ。ちょうど授業
終了の鐘が鳴った。
「はい、そこまでー。後ろからテスト用紙回収しろ。静かにな」
 答案用紙を机の隅にどけて、黙って次の合図を待っていた。既に
隣のクラスからは、緩んだ声が流れてくる。
「やっと終わったぜ~。お前できたかよ」
「うっせ、ボケ。追試確定に決まってンだろーがぁ」
「ねぇねぇ、昼からどこ遊びにいく~?」
「おなかすいたぁ~」
 そして一分も経たないうちに、今度は俺達のクラスだ。
「日直。号令よろしく」
「きりーつ、れーい!」
『ありがとうございましたー』
「はい、お疲れさん。お前らまっすぐ帰れよ?」
 試験のおかげで、学校は午前様で終了。
 教師も本気で言っておらず、その言葉を素直に聞く俺達でもない。
「テスト最終日なのに、部活があるから帰れませーーんっ!!」
「へっへ、ざまぁ。なぁ、帰りにゲーセン寄ってこーぜ」
「そんな金ねーよ」
「おごってくれるなら行くけどなー」
「お腹空いたよねー、ねぇねぇ、ハンバーガー食べていかなーい?」
「いいわね。五十円割引あるわよ。一枚だけど」
「素敵っ! 貴女のこと、五十円ぐらい愛してるわっ!」
「やっす! そして分かりやすっ!!」
 あちこちから、浮かれた声が連鎖する。
 金欠なのは、高校生共通の悩みだ。俺も例に漏れず。
「さーて、どうすっかなー」
 三日連続のテストが終わったのだ。しかも明日から土日の連休が
続き、さらに冬休みまで残り二週間。
「おい竜一」
「うん?」
 振り返ると、中学からの悪友である、牧田和也がいた。俺より頭
一つ高い位置から、ぽんぽんと肩を叩いてくる。
「ぼんやりしてたらいかんだろー。お前も危機感もてよ」
「なんだよいきなり」
 付き合いはそこそこ長いのに、相変わらずよくわからん奴め。し
かし言うなれば、それが牧田の特徴だった。
「彼女、欲しいよなー」
「またそれかよ。空から降って来るのを、一生待ってろ」
「今日、午後から雨ふったっけ?」
「予報だとゼロパーセントだな」
「じゃあ無理だ。おらぁ、紹介しろー、女紹介しろぉー!」
「俺に言うな!」
 まだ、お前の方が可能性あるだろうが。
 牧田は身長180を超えている長身だ。顔立ちも「そこそこ二枚目」
だったりする。するのだが、
『俺はこの身長をいかし、中学の時からバスケをやっています! 
理由はモテたいからっ! バスケをして彼女を作りたいんだぁっ!!
そんなわけで熱く、激しく、彼女募集中ーーーーッ!!』
 迂闊にそんな電波を発信する男なので、彼女はまだいない。
 高校に入ってからは、まだ試合のレギュラーにもなっていないが、
それでも中学の時から真面目に続けているだけあって、バスケも
「そこそこ上手い」との評判を耳にする。二年に進学すれば、ちゃ
っかりレギュラーとして活躍してることだろう。
「牧田、お前もうちょっと黙ってたら、彼女できるんじゃねぇか」
「それは無理だな! 俺のハートがヒートしてバーニングしている
限り、俺は黙ることができない男だああああぁぁぁっっ!!」
「わかった。テストが終わってテンション高いのは分かるが、黙れ」
「おうよ」
 色々と勿体ないアホである。けど先に彼女を作られて、自慢話を
聞かされるのも癪だ。
「なんかさー。竜一って最近、変わったよなぁー」
「今度はなんだよ、テストの出来がマズかったのか?」
「そんなのいつものことだ。むしろ、俺は見たぜ?」
「なにを見たんだよ」
「さっきのテスト中、すっげー退屈そうに外見てたじゃねーか」
「……!」
「へっへっへ、その顔は、図星だなぁ?」
「ま、まてっ! 違う!」
「なにが違うんだよ」
「それは……!」
 顔なじみとなったクラスメイトが集まった中、一人、幼馴染のパ
ンツを妄想していたなどと、言えるはずもない。
「真面目にテスト受けろよなー」
「い、いや! じ、じかんが! 余ったからなっ!」
「マジでー? 結構ムズかったじゃん」
「そうでもなかったろ。一通り見直す時間もあったし。でも、まぁ、
ちょっと後半は、ぼんやりしてたかもしれないな……」
「――――む」
「うん?」

「むきょーーーーっ!!」

 まて。突然奇声をあげて、チョークスリーパをかますんじゃねぇ。
 なまじ背が高い分、しっかり首に巻きついてきやがる。
「やめっ! お前のは、シャレにならんっ!」
「なにがあったんだよー、中学の時は、俺と成績大差なかったくせ
によー」
「えぇい、離せ! ロープロープッ!」
「ちぇー」
 どうにか離してくれたので、息を整える。
 牧田を見上げると、眉をひそめて、俺の方を見下ろしていた。
「竜一、本当なんで、そんな成績あがったわけー?」
「普通に勉強したんだよ」
「幼馴染みと一緒にか? 一つの屋根の下で?」
「そう―――……」
 しまった。余計なこと言った。
 全身が石みたいに固くなる。
「ふーん、やっぱー?」
「う、うるせぇっ!」
 顔が熱くなってくる。それと同時に、近くで聞き耳を立てていた
らしい連中が集まってきた。揃って、彼女という都市伝説が存在し
ない、一人身の野郎どもだ。
「……聞いたぜ?」 
「つまりここまで出来たら、ご褒美アゲルってわけか」
「そんなわけあるかっ!」
「リュークン、頑張っちゃったんだー? 実にけしからん。テメェ
は死ね」
「けしからんことなんざしてねえっ! ……勉強は、まぁ、一緒に
したけどっ! 妄想全開の、桃色展開なんざ起きねーよっ!」
「あらやだ、自慢し始めましたよ」
「最悪だな、このヒモ男が」
「ヒモじゃねぇっ!」
「じゃあナニをぶら下げて、勉強に勤しんだわけー? ぶら下げる
のはテメェのニンジンだけにしろ。この駄馬が。死ね」
「下ネタ連発してんじゃねーよっ!!」
「ほー、余裕ですな」
「モテる男は流石っすねー」
「……あのなぁ……」
 場の空気に、殺意が芽生え始めている。三枚目の野郎どもが、並
んで微笑している光景は、とても不気味だ。
 そして、その時だった。

「―――まぁ、待て。諸君」

 深みのある重厚な声。不思議と耳に馴染む声が、響き渡った。
「法隆寺……」
 片手で眼鏡をなおす仕草をしながら、一人の男子が群れを割って
現れる。俺や牧田を含めた連中が全員、ごくりと息をのみ込んだ。
 法隆寺 益孝。
 珍しい名前のそいつは、このクラス随一のイケメンであり、学年
トップの成績を持つ、俺達とは別世界の住人である。
 身長こそ牧田には及ばないものの、なにより鋭利な顔のラインに、
冷やかな目線と、落ちついた表情が似合いすぎている。
 美形といっても、一言に色んなタイプがいるのだろうが、こいつ
はテレビのタレント達とは対極にある美形だ。正に絵になる男だった。
「岡野竜一、貴様は、神の存在を信じているか……?」
「か……かみ……?」
 いきなり突拍子もねぇ。しかしこいつに睨まれると、蛇に睨まれ
たカエルの気分がよく解る。イケメンは滅びろ。
「そう、神だ。運命を司る……フラグの神、だ……」
「……は?」
「フラグの神は、選択肢という形で、貴様に運命を投げ与えたのだ。
岡野竜一。貴様は特に意図することなく、その運命を勝ち取ったの
だよ。世の男共が妄想する、世界の住人になる権利をな」
「すまん、全然意味がわからん」
「うむ、本人には自覚がないものだ」
「そ、そうか……」
 場の空気が、再び固まっていく。
 全員、首を傾げている。だが、マズいことを聞いてしまったとい
うように、一歩後ずさっていた。
「どうした諸君、こちらの世界は楽しいぞ、さぁ、ついてきたまえ」
「や、やめろっ! 俺達を引きこむな……っ!」
「そう遠慮することなかろう?」
「ひぃーーっ!?」
 法隆寺は、このクラス随一のイケメンであり、学年トップの成績
を持つ、俺達とは別世界の住人である。ただ一つ言うなれば、残念
な男だ。とても残念な男なのだ。
 その男の視線が、俺をまっすぐに捉えた。
「岡野竜一。貴様のような完璧な男を、他には知らん。貴様はどん
な男よりも……素晴らしい……」
「やめろっ! 真面目にキモいわっっ!!」
「ふふっ、やらないか」
「なにをだっ!?」
「まぁいい。俺はまだそっちの趣味はないからな。それよりもフラ
グの神の解説を続けよう。神の加護を得るには、様々な要因がある
と言われるが、そのほとんどは先天性だと言われている。我々三次
元の住人には、その資格を得ることは、そもそも出来ないとさえ言
われている程だ」
「……三次元?」
「この世界の別の名称だ」
「……」
「話を続けるぞ。偉大なる先人たち――我々と同じく三次元の住人
でありながら、自らを『二・五次元』と呼ぶ、狭間の世界に住む妖
精たちがいる。彼等の研究により、三次元の住人にも、神の加護を
得られる可能性が浮かびあがったのだ」
「……ほー」
 それにしてもこの男、実に楽しそうである。
 帰りたい。
「悪いけど、話長くなりそうなら、帰るぞ」
「神の加護を得られる可能性とは――」
「無視かよ」
「ヘタレであることだ」
「……ヘタレ?」
「そうだ。これはダメな男という意味ではなく、あくまでヘタレで
なければならない。たとえば、極限の状態になるまで、相手の好意
に気がつけないというのが、最も王道だな。ふふ……モニターに映
る可愛いあいつとの出会いが、俺の人生を変えてくれたのだ……ふ
ふふふ……!」
「……」
 よし。悪いが、帰らせてもらおう。
 鞄を手に取って、一歩踏みだした時だ。
「待て、岡野竜一」
 しかしまわりこまれてしまった。
 狼狽する俺に、法隆寺は人さし指を突きつけ、叫んだ。
「貴様こそ、伝説のヘタレ野郎なのだっ!!」
「んなっ!?」
 場の空気が、これ以上ないほどに静まりかえる。全員の視線が俺
に集まっていた。しかも深く頷き合って。
「なるほど……ヘタレ、か……」
「ヘタレか。納得だぜ……」
「竜一、ヘタレだもんなぁ……」
「うるせぇっ! そんなこと、俺が一番わかってるわっ!!」
「自覚があるのか。これは驚いたな。二次元との相違点だ……」
「そこっ! なんかわからんが、嫌な納得をすんじゃねぇっ!」
「では聞こう、岡野竜一。貴様は彼女のことをどう想っているのだ」
「―――!?」
 再び、全員の視線が俺に集う。さっきのような、どこか冗談を孕
んだ気配ではない。息を呑む、真剣な眼差し。
「答えろ。彼女のことが、好きなのか、嫌いなのか」
「な、な、なっ!?」
「……(じーっ)」
「……(じーっ)」
 なんか遠くにいた女子まで、こっちを見ている。
 帰ったんじゃなかったのか。おい、やめろ。俺を見ないでくれ。
その手に持った五十円の割引券を持って、仲良くハンバーガでも
食いに行けよ。見るな、俺を見るなっ! 見るなぁぁぁ!!
「ヘタレだなぁ」
「素晴らしいヘタレっぷりだ」
「へタレねー」
「ベスト・オブ・ヘタレだわ」
 なんだこれ、新手のイジメか。
「ヘタレ竜一よ。腹を割って話そうではないか。柏木美香の容姿は
確かに可憐だ。小柄な体躯で、やや童顔のようでありながら、あの
胸の膨らみは、正に殺人的と言えよう」
「まったくだ」
「うむうむ」
「Dは手堅いな……」
 男子どもが、揃って何度も頷いた。
 数名、視線を空中に浮かべ、両手を"わさわさ"する者もいる。
「……お前等、セクハラだぞ……?」
「馬鹿を言え。これはイメージトレーニングだ!」
「俺はシャドーボクシングだ!」
「空気の精霊と戯れているだけであるっ!!」
「なぁ皆、これをエアモミーというスポーツとして、部活動に申請
してみないか」
「おぉ、それは名案だ」
「お前すげぇよ、天才じゃね?」
「よし、誰か生徒会室に申請を―――」
 アホだ。こいつらは、真正のアホだ。
 俺も含まれているのが、辛い。
 そんなアホが喚き立つ中で、法隆寺は言い放つ。
「だが俺は、貧乳が好きだ! 大好きだ!」
「はーい、カミングアウト頂きましたー!」
「このロリコンがっ」
「褒め言葉に感謝しよう。十二歳未満の娘は、すべて俺の嫁ッ!!」
「……」
「……」
 ダメだこいつ。手遅れだ。警察に通報した方がよくね?
 俺達はこの時ばかりは心を合わせ、共に頷いた。
「さて、各々の趣味はともかく」
「なんだよ、まだあんのかよ」
「傍から見ていると、柏木美香がお前に好意を持っているのは、
明らかだと思うがな」
「―――んなわけっ!」ねぇだろ、そう言おうとした時だった。
「だよなぁ、なんでこんなヘタレがいいんだよー」
「許せん、マジで」
「まったく、クズだな竜一は……」
「幼馴染、か……」
「それなんてエロゲ?」
「そろそろ死ねばいいと思う、むしろコロスぞ?」
「大勢でやれば、罪も軽くなるんじゃね?」
「いや、それを言うならこいつの存在自体が罪だから……」
「なるほど、じゃあ問題なし、か?」

(じーーーーっ)

 ヤバイ。全員の目の色が変わっている。
 ヒト(ホモサピエンス)を一匹殺めたところで、一向に構わん
という気配。
「ヘタレ竜一。死にたくなければ答えろ。実際のところどうなんだ」
「な、なにが?」
「告白ぐらい、されたことはないのか」
「はぁっ!?」
 んな、ストレートに聞くんじゃねぇ!
 昼間だぞ! 学校だぞ! 周りの目が集まってるんだぞ!
 あいつのクラス、隣だぞっ!?
「ね、ねぇよっ! 俺達は、本当、只の幼馴染で……っ!」
「テンプレ解答なぞいらん。さっさと本音を吐け」
「……ぁ、ぅ……」
 なんだこれ。
 気がつけば教室が、裁判所に早変わりしている。
「有罪、即、死刑な判決は変わらんが、ほれ、さっさと答えろ」
「どうせお前も好きなんだろー」
「あれだろ、結局、両想いってオチなんだろ」
「そうそう。周りの人間だけ分かってるとゆー」
「腹立つなぁ。早く死ねよー。マジで」
「うるせぇっ!!」
 俺にも分からないことを、なんでお前らが知ってんだよ。
 ただ、少なくとも、子供の頃は。「罰ゲーム」を強制していた
時は。イジメたかった。見ていたかった。
 あいつの泣きじゃくった顔を、俺だけが見ている。
 俺だけが自由に出来るんだ。ほら、もっと泣いて、叫んで、謝
れよ。愉快そうに笑う。本当に、ろくでもない、ガキ。

「りゅーくん!」

 その声に振り返った。俺を含めた、全員の視線が廊下の方に。
 一瞬、なんて間の悪い奴だと思ったが、これはチャンスだ!
「美香! 帰るぞっ!!」
「あっ、うん。用事がなかったら、夕飯の買い物―――」
「荷物持ちなら任せろっ!!」
「あっ! ヘタレが逃げたぞっ!」
「まてこらっ! ヘタレーーっ!」
 後ろから男子共の罵声が飛んでくるが、無視だ、無視。しかし
よく澄んだ法隆寺の声だけは、どうにもならない。
「諸君、休みが明けたらバーベキューをしよう。肉は現地調達で、
キャベツは応相談だ――期待しているぞ? 岡野竜一」
 思わず振り返ってしまうと、にやりと笑っている法隆寺の顔が
ある。
(バカ野郎がっ!)
 まわりくどい言葉回しの意味が分かってしまって、思わず焦っ
た。そんなこと、あるわけねーだろ。
 美香の両親である柏木さん一家だっているんだぞ。それにお互
いの気持ちだって、分かんねーっつってんだろーが。
 そんなことで悩んでいるんだから。
 俺達はどこまで行っても、単なる幼馴染みに過ぎない。
 
746 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:30:25 ID:keF5dv3k
 
 逃げるように学校を出て、美香の買い物につきあった。
 店の自動扉を抜けると、暖かい温風が流れてきて、ほっとする。
「寒かったねぇ」
「そうだな」
「えへへ。今日の晩御飯、りゅーくんの好きなカレーにしようと思
うんだけど、いいかな?」
「もちろん。楽しみだな」
「うん、じゃあ、カレーにするね」
 笑ってくれて、内心ほっとした。
 以前、「なんでもいいよ」と言ってしまった時の、美香の落ち込
み様は酷かった。それを迂闊にも学校で話してしまい、俺自身も酷
い目にあった。男女問わず、冷たい視線を浴びせられた数日間は、
生きた心地がしなかった。
「海鮮カレーもできるけど、お肉入ってた方がいいよね?」
「そうだな、やっぱり肉は食いたいな」
「うん、じゃあ普通のカレーだね」
「頼んだ」
「中辛と激辛だと、どっちがいい?」
「んー……どっちでも?」
「うーん、ルーとか混ぜても、いいんだけど……」
 俺の第六感が、危険を感知。
「中辛でっ!」
「はーい」
 回避に成功。なんでも曖昧に済ませようとするのが、ヘタレの悪
い癖だ。
(それはともかく……)
 今の俺達は、周りからどう見えるんだろう。私服なら兄妹に見え
たりするのかもしれないが、今は学校帰りで、同じ制服を着ている。
 あわよくば、デートとかしているように、見えるのか。

『さかな、さかな、さかな~♪ さかな~を~たべ~ると~♪』

「…………」
 しかし悲しいかな。ここは新鮮な食材が並ぶ、地元の老舗スーパ
ーなのですよ。奥さん。制服デートというには、少々無理がありそ
うだ。
(はぁ……)
 両肩を落として歩いていると、店の広告が目に留まった。氷の上
に並べられた魚達が、赤く血走った眼で、俺を見ている、気がした。
『このヘタレ野郎が。エイコサペンタエン酸が足りてねーぞ』
『ド、ドコサヘキサエン酸も忘れないでよねっ! バカッ!』
『ボウヤ。イコサペンタエン酸のこと、お姉さんが教えてあげるわ』
『お兄ちゃんっ! カルシウムも忘れないでねっ!』
「……!」
 そうだ、こんなところで、諦めるわけにはいかない。
「美香」
「なぁに?」
「海へ行こう」
「えっ、今から?」
「できれば」
「……りゅーくん、今、何月だと思ってる?」
「十二月だ。あと二週間もすれば、クリスマス・イブだ」
「寒いよ?」
「寒いだろうな」
「…………」
「…………」
 やってしまった。
 選択肢を間違えてしまったようだ。軌道修正っ!
「そ、そういえば! 今日は実にいい天気だと思わないかっ!」
「そうだね、学校いく前に、お布団干してきたら良かったねぇ」
「……あぁ、そうだな……」
 美香は可愛い。時々頭に花が舞うような天然っぷりも、大変可愛
い。だが、今だけは悲しかった。素直に「遊びに行こうぜ」と言え
ない俺自身は、もっと悲しいわけだが。
「美香、その、さ。一度、家に帰ってから―――」
「りゅーくん。帰ったら、ポケミョン集めるの手伝ってくれる?」
「ポケミョン?」
「うん。もうちょっとで、図鑑が全部揃うんだ~」
「あぁ……面白いよな、ポケミョン……」
「リスチュー、かわいいよね。絶対進化させないよ」
「あぁ、俺は……ゼリリンが可愛いと思うよ……」
 今日も流される俺。なんというヘタレ。
 法隆寺が、三次元がどうのこうの言ってたが、それならばこの後
どうすればいいのか、奴は知っているのだろうか。
 一体、フラグの神とやらは、どこにいるんだ。
(いや……何かに頼ったところで……)
 所詮、ヘタレの域をでないのだ。ならばこの場所で、さりげなく、
男らしさをアピールすればいいだけのこと。少々ハードルが高いよ
うな気もするが、俺ならやれる。やればはずだ。
「美香――」
「りゅーくん、買い物カゴ、カートに乗せて持ってきてくれる?」
「あ、うん。わかった」
 颯爽と、買いものカゴをカートに乗せる。颯爽と美香の下へ戻り、
颯爽と二人並んで歩きだす。
「りゅーくん、次、こっち」
「はいはい」
 カラカラカラ。
 俺は買い物カートを押して、ついていく。
「えーと、買うのはこれと、これと……」
「……」
「はい、次はこっち~」
「お、おう……」
「これとこれ。次はこっちだね」
「……あ、うん、オッケ……」
「るんるる~♪ 次はタマネギです~♪」
「はやっ! ……ちょ、待っ……!」
 なんという手際か、この幼馴染。無意識の領域で、最先端のルー
トを選択してやがる。
 思えば美香は、小学生の頃から一人で、料理を作ってきた経験と
知識があるのだ。対して俺は、食に関する買い出しは、全て母親に
任せきりだった。
 正直言うと、一人でスーパーなんぞに入った経験は、ほとんどな
い。下手すると、一度もないかもしれない。
「美香っ!」
「えっ?」
「ちょっと待って。このカート、ちょっと動かしにくいから」
「あっ、ごめんね。速すぎた?」
「そんなことない。そんなことはないが、もう少しだけ、ゆっくり」
「うん、ごめんね」
 カラカラカラ……。
 少し寂しげな音を奏でる、買い物カート。
 俺はよくやったよ。ただ、ちょっと相手が悪かったよな。
「はぁ……」
 躾のよく出来た忠犬のように、彼女の後をついていく。
 自分が一人、空回りをしているのが分かって、とても空しかった。
 探索すること、およそ十分。腕時計を眺めると、ちょうど昼食時
と重なっている時間帯だ。
 周辺には、買い物に来ているおばちゃん連中や、総菜目当てに訪
れたのだろう、スーツ姿の男も見える。そして一度は珍しそうに、
俺達の方を振り返っていた。
(まぁ、そうだよなぁ……)
 平日の昼間に、学生服を着た男女が食材を買い込んでいるのは、
珍しい光景なんだろう。美香が美人だからというのも、あるんだ
ろうけど。
「りゅーくんって、昔からカレー好きだよね」
「うん、まぁ……美味いじゃん?」
「小さい頃、口の周り、カレーでベタベタにしてたよね」
「忘れろよ」
「やだよー」
 女子と二人、仲良さげに話をしている。それだけで優越感を感じ
てしまう。内容が、カレーのことだったとしても。
 結局、俺が一人、浮かれているだけってのは分かってる。
 美香は基本的に、誰とでも話を会わせられるタイプだ。自分から
積極的に話しかけることはないが、話を振られると、きちんと最後
まで付き合ってくれる。それ故に、男子連中は、彼女を高値の花と
して見てしまうんだろう。
 実際、美香が告白をされたという噂は、よく耳に入ってくる。そ
してその全てを、断ってるということも。
 噂には『俺が……』というのもあるが、所詮、根も葉もない噂だ。
 
 俺に、特別なものなんて、無いんだ。
 凡百の容姿に、普通の知性。とりわけ好きだと言えるものはなく、
どこかのスパイ映画のように、突出した能力を隠してもいない。
 なんとなく日々を過ごしてきた。珍しい要素があるとすれば、異
性の幼馴染がいるだけ。でもそれは間違いなく、高校を卒業すれば
切れてしまう縁だろう。むしろ今まで続いてきたのが、不思議なぐ
らいだ。
「りゅーくん」
「はいよ」
 手招きされて、俺もそっちへ向かう。ちょうどすれ違ったスーツ
の男が、美香のことを、ちらりと横目で追っていた。
 彼女の容姿は、男の視線を否応なく集めさせる。高校を卒業する
まで、美香に恋人がいないというのは、想像がつかない。
「えへへ、ジャガイモが安いね」
「買ってくか?」
「うんっ!」
 ほくほくと、嬉しそうにジャガイモを持って歩く美香。こんな姿
も可愛い。けど、俺だけの物じゃない。きっといつか、釣り合う男
が現れて、この笑顔も、そいつだけのモノになる。
(なに考えてんだ……こんな時に……)
 気持ちを切り替える。
 今こうして、美香の隣を歩けている。それで満足だ。ヘタレで一
向に構わない。
「うーんと、後は……」
「肉、まだ買ってなくね?」
「そうだね、お肉で最後かな」
「なら、それ買って、レジ行こう」
 カラカラカラ……と、カートを押しかけた時だった。
「ごめんね、りゅーくん」
「なにが?」
「お買い物に付き合わせちゃって。助かっちゃった」
「俺はなんもしてねーよ。むしろ飯作る手間が一人増えてる分、美
香の方が大変だろ」
「そんなことない」
 珍しく強い言葉だった。驚きはしないが、つい、その横顔を覗き
込んでしまう。少し赤くなった顔で、こっちを見ていた。
「りゅーくんが、おいしいって、言ってくれるから……」
「うん、本当に美味いよ。世辞じゃなくて、美香の作る料理は好き
だ」
「……っ!」
「どした?」
 比喩でなく、美香の顔が突然、真っ赤に染まった。
 もしかして、あれか。新型インフルとかいう。
「おい、大丈夫かよ」
「あっ!?」
 片手を、美香の額に添えた途端、その熱が掌に伝わってきた。
「あちぃ。お前、具合悪いんじゃないのか」
「そ、そ、そそそそそそそそっ!」
「そ?」
「そんなこと! にゃっ……っ!!」
「……アホ」
 舌を軽く噛んでしまったらしい。
 俯いて、きゅっと目を閉じる。それから少しだけ、ぺろりと舌を
出して、すぐに「しまった」という顔をする。
「や、やらぁっ!」
 反射的だったんだろう。顔をさらに赤くして、その舌を引っ込め
た。俯いてしまって、顔を合わせられない。
「具合悪いなら、俺が買っておくから。美香は先に帰ってろ」
「だ、大丈夫……っ! 具合が、悪いんじゃないから……っ!」
「無理すんな」
「聞いてよっ!」
「はい」
 反射的に口を噤んでしまう。居候になって九ヶ月、俺の忠犬スキ
ルは最高レベルに達している。
「りゅーくん、自覚ないんだからっ!」
「……は?」
 俺、なんかしたか。別になんもしてねーぞ。
 今だって、美香の身体を心配して、熱を確かめてるだけだし。そ
れにしてもこいつの耳朶、柔らかそうだなぁ……。
「ひゃっ!?」
「ここも熱いじゃん、普通じゃないぞ、この熱」
「ふ、普通じゃないのは、りゅーくんだよぅ……っ!」
「…………ぁ」
 普通じゃない。
 その言葉が、ざくっ、と。
 不意をつかれたが、大丈夫だ。顔には出さない。

「……あ、あの、ごめん。手、離して……」
「はい」
 美香の顔から手をどけて、やっと気が付いた。
 あぁ、なるほど。これはアレだ。セクハラじゃないか。
「すまん、訴えないでくれ。俺は本当に、お前のことを心配してた
だけなんだ。けっして、不埒な事を考えていたわけじゃない」
「う、うん……っ!」
「美香。俺にはまだ、公園でダンボールを被って、ミッションをこ
なせるほどのハングリー精神はない。だから……ごめんっ! なん
でもするから、許してくれっ!!」
 ご町内の皆様の目があろうとも、土下座も辞さない覚悟である。
「……りゅーくん」
「はい!」
「なんでも、してくれる、って……ほんと?」
「はい!」
「じゃあ、お願い……します……」
「はい!」
「……」
「はい?」
 それに、なんの意味があるのか、わからなかった。
 美香は赤くなった顔を逸らしつつ、小さな掌を差しだしている。
「繋いで……」
「へっ?」
「手を、繋いで……」
 本当に微かな声。どうにか聞こえるぐらいの声だった。
「美香……?」
「い、いやだったら……ごめん……」
「あ……!」
 きっと、俺の顔も赤くなっている。油断すると口元がにやけてく
る。想像せずとも、気持ち悪いことは明白なので、どうにか片手で
覆って隠す。
 まともに顔が見れず、明後日の方を向いて、言うしかなかった。
「……カート、返してくるわ」
「えっ?」
「ほら、片手運転は危険だから。カゴだけ持ってりゃいいだろ。あ
とは肉だけだしな」
「そ、そうだね……」
「すぐ、戻ってくるから」
「待って。私もいく」
 カラカラカラ。
 少し寂しい音のする、買い物カートを押していく。
 隣には、美香が並んで歩いていた。なにを話せばいいのか、思い
つかない。 
「……今日の夕飯、カレーだったよな?」
「そうだよ。お昼に食べるお惣菜も、買っていこうね」
「忘れてた。そういえば、昼飯まだだったな」
「ねぇ、りゅーくん」
「なに?」
「どこかで……食べてく?」
「いいね、奢るよ」
「ダメ。ちゃんと半分にしなきゃ、行かない」
「了解」
 一つ、一つ、何かを確認するように、歩いていく。
 不意に、これでいいんだと思えた。
 彼女の掌は、温かい。
「……久しぶりだね」
「だな」
 言葉少なくとも、言いたいことが分かってしまう。それが嬉しい。
 手を繋いだのは、夢に見る、あの頃以来だ。
747 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:31:20 ID:keF5dv3k

 買い物の荷物が邪魔になるので、家に帰ってから、もう一度外に
でることにした。
「やっぱ、十二月にもなると、さみぃよな」
 部屋に戻って、普段から着ているジャケットを羽織る。下はジー
ンズに履き替え、首元にはマフラーを。最後に財布を持ったのを確
認して、部屋をでた。
「美香、玄関先で待ってるからな」
「すぐいくね」
 返事を聞いた後、階段を降りた。
 
 玄関の扉を開くと、冷たい風が奔りぬけた。それでも今日は快晴
だ。十二月にすれば暖かかった。
 美香を待つ間、手持無沙汰で庭を歩く。美香の父親、信二さんの
趣味は園芸だ。暇を見つけて店を覗いては、花の種や新しい鉢植を
衝動買いしてしまう……と、美香の母親である彩華さんが、溜息と
共に言うのをよく耳にした。
 ただ、冬は不動産業の仕事が忙しくなるせいで、趣味に時間をさ
く余裕は減ってしまうらしい。今は木々の葉が枯れているせいもあ
って、少しばかり、裏寂しさが目立っている。
 そして目に留まる庭の片隅、小さな御影石。
 掌サイズの「黒猫の人形」とお椀。ペットフードと飲み水が添え
られていた。
「……」
 目を背ける。胸の中で渦巻くものからも。
「美香のやつ、遅いな」
 振り返った時、ちょうど玄関が開かれていった。
「お、おまたせ……」
「……な」
 咄嗟に返事が出来なかった。その姿に目を奪われた。
 黒のロングブーツと、膝上までしかない黒コート。襟元が大きく
開かれているうえに、コートの裾が異様に短い。着やせする美香の
ボディラインを、艶めかしく強調していた。
(……胸、でけぇ)
 ゴクリと、生唾を一つ。慌てて弁明する。
「め、めずらしいなっ! お前が、そんな服着るのってさ!」
「こ、これね……前の日曜日に、買ったの……」
 身を捻って、恥ずかしそうに俯いた。「コツ、コツ」と、履いた
黒ブーツの爪先で、庭の飛び石を軽く叩く。
 やめろ、脚動かすんじゃねぇ! 
 後ろに回りこみたくなるだろうがっ!
「お、お母さんがね……これぐらいの方が、いいよって……」
 彩華さん!
 失礼なことは承知だが、今だけは「グッジョブ!」と、叫ばせて
頂きたい。衝動を必死に抑え、脳内で親指を立てておく。
「……や、やっぱり似合わない……よね、着替えてくるねっ!」
「まて、待つんだ!」
「……えっ?」
「似合ってるから」
「ほ、ほんとう……?」
 深く頷いた。そして思わず言いかけた。
 でも、寒くないのか、その格好は。
「……いや……」
 言ったら、男として失格だ。
 黒ブーツとコートの間には、男子連中から『女子の本気』と称さ
れている、素のふとももが見えている。少し色素の薄い、白く伸び
た肌の色が、眩しいのだよ。
 これは隠すべきではない! 異論は認めん!
「美香」
「ふぇ?」
 普段から控え目の格好が多いのに、美香の『絶対領域』を拝める
日がやってくるとは。彩華さん。本当にグッジョブです。今だけは
お義母様と呼ばせて頂きたい。
「好きだ!」
「……えっ!」
「大好きだよ。君の、その服が。とても素敵だ」
「……あ、ありが……と……ぅ……」
「うん」
 もう一度、深く頷いた。
 美香が手に持った小物のバッグや、ネックレスなどの貴金属。彼
女を飾り立てている物もまた、それなりの値段がするのだろう。な
んというか、明らかに気合いが入っている。「ちょっとそこまで外
出してくる」というレベルではない。
『二人で出掛ける時のため、準備してきたの』というのであれば!
(マーべラスッ!!)
 天罰が下されても、空からメテオが四回降り注いできても、今な
ら後悔はしない。俺も応えねばなるまい。
 ぐっ、と一歩足を前に出す。ヘタレな自分が恨めしい。
「美香、寒いだろ。その格好だと」
「だ、大丈夫だから」
「嘘つけ。これ貸してやるよ」
「ふぇ?」
「ほら、じっとしてろ」
「はわわっ!?」
 美香の声を無視して、自分のマフラーを、彼女の首元へと巻きつ
けてやる。相当にキザったらしいことをしているのが分かったが、
一度動いた手は、止まらなかった。
「あ、あの、えと、そのっ!」
「苦しくないか?」
「へ、へいきっ!」
「お前さ、そんなに身体強くないんだし、無茶すんなよ」
「うん……ありがと……っ!」
(うぐっ!?)
 マフラーに手を添えて、上目遣いに覗きこむんじゃねぇ!
 自我が壊れていく。よろしくない妄想が、頭の中を駆け巡る。理
性が叫ぶ。『落ちつけ、落ちつけ、落ちつけっ!』
「りゅーくん……」
「な、なんだよ?」
「お願い……クリスマスも近いから……その……ね?」
 きたこれ。
 どうする、どうするよ、俺。
「そ、そうだな。もうすぐだよな、クリスマス」
「よかったら……ね?」
「な、なにかな」
「予定、空いてる?」
「大丈夫」
 ゴクリ。
「……じゃあ、予約、していい……?」
「いいよ」
「えへへ。じゃあ、クリスマスケーキ、買いに行こうね」
「……けーき?」
「うん。それから、お父さんとお母さんへのプレゼントもね」
「ぷれぜんと?」
「ダメ? 選ぶの手伝って、欲しいんだけど……」
「~~~~ッ!!」
 あぁ、畜生。この天然娘っ!
 世の野郎どもが望む解答と、微妙~~にズレ過ぎているっ!
 いっそ、強引に奪ってやろうか。
「ダメ……?」
「あ―――」
 よせ、やめろ。そんな綺麗な眼差しで見ないでくれっ!
 最後の一言に、行動に、踏みきれんだろうがーーーっ!!
(い、いや、ここで男の真価を見せる時だっ!!)
 いざ、深呼吸! 
 すーはー、すーはー、すーはー……よし!
「―――美香っ!」
「うん」
「俺でよければ付き合うぜ! その……プレゼント……買いにいく
の……」
「ありがとう、りゅーくん!」
「……ふっ……」
 はいはい。どうせ俺はヘタレですよ。ヘタレキングですよ。でも、
この幼馴染みの天然さも罪だろう。可愛さと同居しているのだから、
本当に性質が悪い。
「金、いくらか持ってた方がいいよな」
「うーん、そんなには……」
「一応、カード持ってくるわ」
「……えっ? だ、大丈夫っ! そんなに高いもの買わないよっ!」
「気にすんな。食費は固定で、光熱費も支払ってもらってるんだし
さ。こんな時じゃねーと、お礼かえせないし」
「そんなことない。お父さんもお母さんも、りゅーくんがいるの、
むしろ喜んでるもん」
「でもなぁ……」
「それに、りゅーくん。普段から遠慮してるんだから、そんなこと
言っちゃダメ」
「へ?」
 美香が、じっと覗き込んでくる。逸らせなかった。
「りゅーくんって、娯楽になるような物、ほとんど買ってないでし
ょ? 部屋の中、今年の春とちっとも変わってないもん」
「いや、べつに……」
「息苦しかったり、するよね? 私がこんなこと言っちゃダメなの
かもしれない。でもね、りゅーくんにはね、もっと、自由にして欲
しいなって、思ってる」
「別に、俺は平気だけど」
「そんなはずない。りゅーくんの幼馴染だから、わかるんだよ」
「……」
 目が空を泳ぐ。耐えきれず、認めてしまった。
 居候を初めて九ヶ月。模範的な「いい子」を演じることで、気苦
労を感じていた。だけどそれは、勝手な思い込みと行動による結果
に過ぎない。それも分かっていた。
「りゅーくんはね。もっと自由に、好きな物買って、食べて、散ら
かしてくれていいんだよ。自分で許せないなら、私が許してあげる」
「ありがとな……」
「うぅん。ねぇ、りゅーくん」
「なに?」
「私、生意気なこと言ったから……罰ゲーム、して?」
「勘弁しろ」
「えへへ……」
 美香が笑う。その顔を見て、思った。
 やっぱり自由になんて、できないじゃないか。
「―――それじゃ、まずは飯食いに行こうぜ」
「うんっ!」
 嬉しそうに腕を掴まれる。外してしまうわけにもいかず、彼女の
歩みに合わせて歩く。心の中で、何度も、何度も、繰り返した。
(手ぇ、だすなよ)
 抑えておかないと、簡単に一線を越えてしまう。
 幼馴染みとか、居候とか、関係ない。
 好きだった。ずっと、好きだった。
 はやく壊してしまいたい。

748 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:32:24 ID:keF5dv3k

 家に帰ってきてから、しばらくは居間のソファーで横になってい
た。緊張の糸が解けたら、頭が上手くまわらねぇ。
「あー」
 幼馴染みと昼飯食って、クリスマスケーキを予約して、ご両親へ
のプレゼント(美香はセーターとネクタイ、俺は小さな置き時計に
した)を買っただけなのに。
「……ぁー」 
 失敗はなかったか。次の機会があれば、反省点はあるか。
 そんなことばかり、一人でうだうだ考えていた。
 本当ならこの辺りで、「彼女」に電話の一本でも入れて、それと
なく、次の予定を聞きだしたりすんのかな。
「りゅーくん、今日は本当にありがとう」
「いいって。俺も楽しかったし」
「よかった。それじゃあ、ご飯の支度するね」
「手伝うよ」
「お願い」
 ただ、彼女は、同じ屋根の下にいる。
 いつもの私服に着替えた美香に続いて、台所に立つ。
「なにすればいい?」
「ちょっと待っててね」
 花びらが描かれた、薄いピンクのエプロンを身につける。淑やか
な良妻たる雰囲気だ。昼間の艶っぽい気配は、もう完全に消えてい
た。
 女は怖いと告げた、先人たちの言葉が今なら分かる。
「りゅーくん、お野菜だしてもらえる?」
「おぅ」
 言われた通り、食材を冷蔵庫から取りだす。ジャガイモ、ニンジ
ン、タマネギ。ついでに肉もだしとくか。今日の夕飯は予定通りカ
レーだ。
「じゃあ、まずは皮剥きしよ」
「ういっす」
 美香からピーラーを受けとって、流しに二人並ぶ。野菜を水洗い
して、ジャガイモやらニンジンの皮を剥いていく間、お互い無言だ
った。
(野菜の皮剥きって、地味に難しいよな……)
 慣れていないせいもあって、細かいクズが積もっていく。対して
美香は、実に手際いい。
「やっぱ上手いよなぁ」
「これぐらいなら、すぐにできるよ」
「そんなことねぇよ。見ろよ、俺のなんかこんなだぞ」
「りゅーくんって、昔から不器用だよね」
「ほっとけ」
 言うと、美香がくすりと笑う。うっかり指の皮まで剥きそうにな
って、慌てて手元に集中した。本当に、気の休まる暇がない。

 シュル、シュル、シュル。
 ある程度の数をこなすと、慣れてきた。
 美香がまな板と包丁をとりだして、今度は野菜を切っていく。タ
ン、タン、タン、と、その音が不思議と心地良い。心地良くて、つ
い声をかけてしまう。
「美香」
「なぁに?」
「カレーってさ、野菜切って、軽く炒めて、水沸かした鍋に突っ込
んで、次に肉入れて、最後にルーを溶かしてやったらいいんだよな?」
「……うーん、とね」
 美香の手が止まり、音も止む。
 困ったように小首を傾げ、俺を見た。
「間違ってはないよ。でもね、料理は大体じゃおいしくならないの。
愛情と努力だけでもダメ。料理は知識だよ。どれだけ勉強したかで、
すっごく味が変わってくるんだからね」
「ほ、ほう……?」
「隠し味もやっぱり大事。でもね、なんでもかんでも入れていいわ
けじゃないの。多すぎても、少なすぎても、ダメ。さじ加減が一つ
変わっちゃうだけで、全然、味が違ってくるんだよ」
「なるほど、奥が深いな」
「うん」
 にっこり笑って、また野菜を刻んでいく。天然の癖に、意外なと
ころで細かいやつだった。
「これ切り終わったら、次は材料炒めるからね。りゅーくんは、お
米洗っててもらえる?」
「よっしゃ、任せろ」
 米櫃の前で屈み、ざざーっと、米をだす。
「カレーだから、量あった方がいいよな。えーと……五合ぐらいか?」
「そうだね。えへへ」 
「どした、なんか楽しそうじゃん?」
「うん。りゅーくんが来てからね、ご飯が沢山減るの、慣れっこに
なってきたなって、思ったの」
「……俺、もしかしなくても、食い過ぎ?」
「ごめん! そういう意味じゃなくってね! えっと、ほら、お父
さんも、お母さんも、基本的に小食でしょ。だから―――」
「おかわり、一杯までにした方がいいか?」
「大丈夫、もっと食べてもいいよ」
「悪い。なんか高校に入ってから、やたらと腹減るんだよなぁ。美
香の作る飯が美味いからなー」
 素直に言ったら、美香の顔が赤く染まった。
 夕暮れの日差しが窓から入ってきて、一層綺麗な朱色に。
「……本当に、おいしい?」
「うん、美味いよ」
「ねぇ、りゅーくん」
「どした?」
「私、お嫁さんになれるかなぁ……」
「へ?」
「……えぇと、あのね。お買いものの時にも言ったけど、りゅーく
んがおいしいって食べてくれるから……だから……その……」
「う、うん……?」
 なんだろう。よく分からん。
 昔から口ごもる喋りになることが多かったが、嫁になるのと俺が
「飯が美味い」っていうのは、なんか関係あるんだろうか。
「りゅーくんは、気がつけば側にいてくれる」
「どういうことだよ?」
「私はね、それを当たり前みたいに思ってるの。幼稚園に通ってた
時から、ずっと一緒にいたから。小学生、中学生になって、少しず
つ離れて言っちゃったけど、高校に入る時に、今こうして、また一
緒にいてくれてる。すごく、すごく、嬉しいの」
「……あー、うん、まぁ……な」
 曖昧に笑みを返した。美香が口にする過去は、遡れば遡るほど、
俺にとって、唾棄すべきものになるからだ。
 思い起こせば、美香の泣きじゃくる顔が浮かぶ。その隣でせせら
笑うクソガキがいる。嬉しそうに、彼女の頭を撫でている。

 よしよし。いいぞ、その顔。お前の泣き顔が、一番好きだ。
 最低だ。思い出すごとに、胸が抉られる。
 ガキでありながら、美香の泣きべそを見るのに、快感を覚えてい
た。こいつは一生、俺が泣かせてやらなきゃ気が済まない。本気で
そう思っていた。
 歪んでいる。どこまでも。
「……」
 美香から視線を逸らし、米を落とす。
 ざぁーーーっと、降り注ぐ。雨のような音。
 些細なことで、過去の光景が脳裏に浮かぶ。
 あの日も、雨が降っていた。
「りゅーくん……」
「……」
「―――私達、ずっと、ずっと、一緒だったね」
「うるさい」
「えっ?」
「……いや、ごめん。なんでもない……」
 俺は、昔から、どこか、歪んでる。
 ガキの時に自覚できたのは、本当に幸運だった。思いだしたくな
いのに、過去を蔑む限り、忘れられない。フラッシュバックするよ
うに、目の前に広がっていく。

  にゃあお……。

 うるさい。
 黙れよ。クソが。消えろ。どこかに行け。近寄るな。
749 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:33:19 ID:keF5dv3k

 記憶の中、一匹の黒猫。
 野良の汚い畜生だ。ガリガリに痩せていて、いつも後ろ脚を引き
摺っていた。美香の家のブロック塀にさえ飛び移れない。じたばた
と足掻いては、無様にアスファルトの上に転がり落ちるような、ま
ぬけな奴だった。
「にゃあお……」
 当時、その声が、心底憎かった。
 美香の家で遊んでいると、庭先から、彼女を呼ぶ。
「りゅーくん。ねこさん、またきてるー」
「ずうずうしい奴だな。ここ、美香の家なのに」
 俺は、自分だけが例外のように言う。
「あのね、おかーさんがね。かってもいいって。だから――」
「やめろよ、あんな汚いの」
「えー、でもでも、かわいいよ?」
「可愛くねーよ。お前、俺の言う事、きけねーの?」
「……あぅ」
「罰ゲーム、一つ残ってたよな。美香、絶対あの猫と喋るなよ。そ
れから俺の前で、猫のことを話すな。話したら、絶好だ」
「やだっ!」
「嫌だろ? だったら俺の言う事、聞けるよな?」
「…………は、い……」
 女の子の顔が曇っていく。偉そうな俺の言葉に、返事ができない。
それを見て、満足げに頷いた。
「よしよし」
 小さく揺れる頭を、撫でていた。
 
 その数日後だった。午後から雨が降り始めた一日のこと。
 学校からの帰り道。俺は傘を持っていなかった。だから美香の傘
に当然のごとく入り込み、手を繋いで歩いていた。
 確か一年だったか。集団登下校。
 担任の先生が先頭に立って、俺達を家まで引率している。残る生
徒はあと数名。あと一つ路地を曲がれば、俺達の家が見えてくる。
そんな時、雨の音に混じって、甲高い悲鳴を聞いた。
「ひっ!」
 列が止まる。男子が我先にと、元凶を見定めようとして前にでよ
うとする。
「やめなさいッ!! "見たら" いけませんッ!!」
「なんだ? 行ってみようぜ。美香」
「列からはなれちゃだめー」
「うるせーな。ついてこい」
「……うん」
 乗り気でない美香を無理やり引っ張って、前に出る。
 鮮烈に際立つ二つの色。「黒」と「赤」。
「……ねこ、さん?」
「死んでら」
 車にひき逃げでもされたのか、内臓を一部露出し、血塗れとなっ
た黒猫の死体が、道を塞ぐように倒れていた。そう時間が経ってい
なかったのか、真っ赤な血が、あとからあとから溢れだしてくる。
しかしもう動かない。子供心ながら「手遅れ」なのだと理解した。
「そっか、お前、死んだのか」
 黒猫が死んだ。
 分かった途端、胸がすぅっと晴れ渡った。
「あははっ!」
 俺が初めて目にした明確な死。悲しい気持ちなど微塵も湧かなか
った。むしろ心を満たすものだった。最高に気持ちが良かったんだ。
「……やだ……いやぁ……」
 握った美香の手が、震えている。
 やったじゃん。これで美香は、俺のもんだ。
 
 愉快でたまらなく、笑いを押し殺している。
 クソガキが。
 猫が相手でも嫉妬してしまうぐらい、大好きな女の子がいた。
 その子が、本当に悲しむ顔を見て、心の底から喜んでいた。
 始めて、自分が歪んでいることに気がついた。
「―――――――――!!」
 美香は綺麗だ。泣きじゃくっている、その顔。
 とても良い。とても素敵だ。可愛い。
 大粒の涙をぽろぽろ零していくその顔。心に焼きついた。大人で
さえ怯むような、血に塗れた野良猫を、愛しそうに抱きしめる少女
の姿を愛した。
 傘を投げ捨て、雨に打たれることも構わず。
 美香は何度も、繰り返し、叫んでいた。

「おいしゃさんを、よんでください。
 たすけて。ねこさんを、たすけて。
 しんじゃう、しんじゃう、しんじゃう……」

750 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:34:01 ID:keF5dv3k


「りゅーくん」
 針が巻き戻るように、意識は元の世界へ戻っていく。
 あの時から変わらず、さらに綺麗になった彼女が見ている。
 私は、君のこと、ぜんぶ知っているよ。
 そんな風に微笑んでいた。
「楽しかったよね、あの頃。今も楽しいけど」
「……そんなに、いいことなんざねぇよ」
「えっ?」
「確かにさぁ、ガキの頃はよく一緒にいたけど。お前、いつも俺に
酷いことされて、泣いてばっかりだったろ?」
「それは、そうだけど……」
「だろ? お前はちょっと、過去を美化しすぎなんだよ」
「……そんなこと……」
 やめろ、やめろ、やめろよ。
 ガキみたいに不貞腐れて、格好悪ぃ。
 愛想よく笑って、流しておけばいいものを。
「……でも、イジメられたのだって、大切な……」
「忘れとけ。俺は後悔してるんだから」
 心がささくれていく。
 止まらない。もう何も言わず、言葉を打ち切りたい。
「……りゅーくんは、優しいよね……」
「は?」
 なのに、突然、そんなことを言う。
 理解できなかった。
「優しいって……俺が?」
「うん。小学生になってから、りゅーくん、私にも、他の誰にも意
地悪しなくなったよね。誰かが困ってる時には、こっそり手を貸し
てあげてたの。私、知ってるんだから」
「誰だってするだろ。そんなこと……」
「しないよ。中学生の時、皆が見て見ぬフリをしてたイジメ、あっ
たでしょ。相手のお父さんが暴力団の人だったからって、先生もな
にも言えなかったのに」
「……あれは、単に格好つけたくて……」
「りゅーくん、すごく殴られたのに、仕返ししなかったよね。じっ
と耐えてた」
「……それは、俺がヘタレだから……」
 やめろ、やめろ。
 お願いだから、もう、やめてくれ。
「うぅん、違うよ。りゅーくんはヘタレじゃない。そういう風に自
分を作って、周りに見せてるだけだよ。りゅーくんは、ヘタレじゃ
なくて、怖いんだよ。誰かを傷つけるのを、すごく怖がってる」
「あのな……」
「見てたから。先生呼びにいって、戻ってきた時。りゅーくん、相
手を思いっきり睨んでた。手を握り締めてた。だけど、相手のこと
絶対殴らないって顔してた。殴れなかったんじゃ、ないよね?」
 胸が痛い。
 頭がチリチリ痒い。恥ずかしさと、後悔と。
 美香は本当に天然すぎる。恥ずかしい台詞が、よくもまぁ、スラ
スラ出てくる。
「あの時、私ね……」
「もういいよ、カレー作ろうぜ」
「……りゅーくん」
「んだよ」
 いつもならこの辺りで「そうだね」とか「ごめんね」とか言って、
会話打ち切りだろ? なのに今日は、なんでそこまで踏みこんでく
るんだよ。俺達、ただの幼馴染みだろ。
「りゅーくんは、格好いいよ」
「……なにいってんの?」
「誰よりも格好いい」
「ねーよ。俺は、ただのヘタレだって」
「違うもん。りゅーくんは、ヘタレじゃないもん」
「あぁ、そうかよ。ありがと」
「どういたしまして」
「――――ッ!」
 やば。「線」が、一本切れた音がした。
 腹の底から、感情が迫りだしてくる。
 立ち上がって、正面から睨みつけた。
「お前さぁっ! さっきから、なにが言いたいわけっ!?」
「えっ!」
「なんか言いたいことがあんだろ! 遠まわしにネチネチと、なん
なんだ、さっきからっ!」
「…………あ、ごめ―――」
「謝るんじゃねぇよ。それより言いたいことがあるなら、ハッキリ
言えって」
「……わかった、言うね」
「おう」
 息を、一つ吸い込んで。
 唇が動いた。

「私は、りゅーくんのことが、好き」

 すっと、熱が冷めた。
 声がでなかった。間の抜けた返事すら、できなかった。
 これ以上ないぐらい冷静に、真っ赤に染まった顔を見つめた。
 柏木美香が、エプロンの裾を強く握りしめて、俯いている。眼元
に微かな涙が浮かんで、揺れていた。
「りゅーくんのこと、ずっと、ずっと、好き……です……!」
 伏し目がちな瞳が、少しだけ持ちあがる。
 今すぐに、抱きしめてやりたいと思った。
「返事を、くれませんか……」
 身体が熱い。血が滾るように燃える。喉がひどく渇く。
 まっすぐな瞳。ようやく心臓が動きだす。
「……あのね、今日のテストが終わった時ね。りゅーくんの教室で
の話、聞こえてたの……」
「法隆寺たちに絡まれてたやつか」
「うん。りゅーくん……私のこと、好きか、嫌いか、分からないっ
て、言った……」
「言ったよ」
「あれ、本当……?」
「本当だ」
「……他に、好きな子いるの?」
「いねーよ」
「じゃあ……!」
 目の前の女の子が、懸命に言葉をだしているのが分かる。痛いほ
どに通じてくる。なのに、俺は今すぐこの場を逃げだして、耳を塞
いでしまいたかった。
「じゃあ……私じゃ、ダメ?」
 身体が震える。頷きかけた。お前が欲しい。
「私、りゅーくんのこと、大好きだよ」
「そっか」
 ……おい、なんだよそれ。
 いかにも「わかってましたよ」的な。
 お前だって、ずっと好きだったんだろーが。
「りゅーくん……私ね、結構、告白とかされるの」
「……知ってるよ」
「とっても嫌な言い方するとね。本当は、煩わしいの。だって私、
好きな人いるもん。りゅーくんが好きなんだもん。でもね、りゅー
くんの気持ちが分かんないから、言えないの」
「……」
「これから、男の人に告白されたら、私言いたい。りゅーくんの彼
女だから、貴方とはお付き合い出来ませんって。そう言いたい」
「……うん」
 眩暈がする。
 本当、俺はどこまでヘタレなんだ。
「岡野竜一さん。私を、貴方の……彼女にしてくださいっ!」
「ごめん」

 あれ? なんでだよ。なに言ってんの。
 一瞬、なにもかも、止まってしまった気がした。
「!!」
 びくっと震えた美香の両肩。
 俺まで、同じ挙動をしてしまいそうになる。
 なんでだ。なんで。本当になんでだよ。
「いや……」
 心臓が、早く謝れと叫んでる。
 まだ間に合うって。「今の間違い」とか「照れちゃって」とか言
えよ。最悪、時間もらって、覚悟決め直せよっ!
 ヘタレなら、ヘタレらしく、言い訳の言葉があんだろうが!?
「りゅーくんは……私のこと、今でもキライ……?」
「違う。そんなことない。絶対にない」
「じゃあ、返事、あとからでもいいからっ!」
 美香の顔が持ち上がる。縋るような眼差しが向けられる。
 それだけで背筋が震えた。気持ちがいい、と思った。
 この目が、これからも真っ直ぐに向けられたら、どれだけ最高な
んだろう。俺だけが、彼女を自由にできる。壊したい時に壊してや
れる。ずっとずっと、これからも。そう思うから、こそ。
「―――ごめん、無理だ」
「どうして……?」
「俺は、自分のこと嫌いだから」
「え?」
「美香は綺麗だからさ。俺なんかより、いい相手がいるよ」
「…………………」
 美香の眼が細められる。
 熱の冷えた、鋭利な視線。
「……それ、本気で言ってるの?」
「本気だよ」
 言ってしまった時だ。美香の表情に再び熱が灯る。憂いを含んだ
それとは違う、今にも爆発しそうな表情。
 眉尻が、思いっきり釣り上がった。
「バカッ!!」
 怒鳴り、目から涙が散った。
「バカッ! りゅーくんのバカッ!! そこ、通してっっ!!」
「!」
 俺を押し退け、台所を後にする。「ダン、ダダンッ!」普段は絶
対に立てない険しい音で階段を上っていく。続けてすぐ、部屋の扉
が壊れたような音を立てた。
 それから、彼女の嗚咽が、微かに聞こえた。
 泣いているんだ。また、泣かせてしまったんだ。
 俺はあの時から、全然変わってない。
 
『楽しいよなぁ。やっぱ。美香の泣き顔は、いいよなぁ』

「違うっ!!」
 握り締めた手、薙ぎ払う。払ったところに冷蔵庫があって、中で
なにかが潰れた。「グシャリ!」何かが潰れた。
「…………」
 冷蔵庫の表面、滴り落ちる黄色い液体。
 ゆっくり開けると、思った通り、卵が落ちて割れていた。
「……なに、やってんだよ」
 振り返って、流しにかかっていた布巾を手に取る。
 割れてしまった卵を、生ゴミ入れに捨てておく。
「あーあ……」
 卵、買いにいかねぇとな。
 まぁ、一パックぐらいなら、コンビニでいいだろ。
 そんな、たいした出費じゃねーし。うん。
「……財布、どこにしまったっけ……?」
 独り言でも言わなきゃ、落ち着かない。
 なんでもいい。原型を留めないぐらい、ブチ壊してやりたい。取
り返しのつかないところまで。
「―――財布、みっけ……」
 あぁ、なにやってんだよ、本当に。
 なんか、ダメだ。
 とにかく、もう、なにもかも、ダメだ。ダメダメだ。

 玄関の扉を開けて、ポケットから家の鍵を取りだした。
 今では当然のように入っている、柏木さんちの鍵だ。
「……大丈夫、いつかは他人だ。今だって、他人なんだから」
 少し、距離が近かっただけ。
 美香の告白を断ってしまった、ついさっきまで。
 これからは、今まで以上に距離が開く。それでいい。
「いってきます」
 小さく告げて、玄関の扉を開いた。鍵をかける。
 庭の片隅には墓がある。小さな花が揺れていた。
 
『ねこさんの、おはか』

 小ネタを一つ。
 柏木家の台所の棚には、猫用のペットフードがある。
 猫を飼っていないにも関わらず、十年間、絶えた日はない。
 美香は優しい。あの時から変わらず綺麗なんだ。
 思う。
 彼女と同じ屋根の下。
 俺にその資格はない。
751 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:34:39 ID:keF5dv3k

 柏木さんの家に帰るのが、億劫だった。
 意味もなく、遠回りしたり、引き返したり。親に叱られるのが分
かっている日に、うじうじと家に帰れない小学生みたいだ。
 去年の二月。志望していた高校の受験が目前という時期。俺はか
なり切羽詰まっていた。
 結果的に本命の高校に合格できたからよかったものの、落ちてい
たらどうなっていたか、考えるだけでも背筋が凍る。高校受験に失
敗した負い目を感じながら、幼馴染みとそのご両親と、同じ屋根の
下で三年間。それは、もはや拷問に近い。
「……本当に、良かったよなー」
 本命の高校に受かった時は、喜びよりも安堵の方が大きかった。
合格発表の当日、自分の番号を見つけた瞬間、倒れかけた。

『――高校合格、おめでとう、竜一くん。マンションの部屋はその
まま空けておくが、やはり一人は心配だ。ウチへ来なさい』
『―――そうそう、嫌になったら、戻ればいいんだしねー』
『君のご両親と相談して決めたことだからね。心配することはない』
『美香も喜ぶから、ね?』

 緊張の糸が緩んでいた時にかけられた言葉。本当に身にしみた。
結局、流されるように、柏木さんの家へ荷物を運び、同じ屋根の下
で生活することになった。
「……でもなぁ」
 生活に余裕を感じるごとに、逆に息苦しいと思うことが増えてい
った。互いの距離が縮まっていくのを、心よく思わない自分がいた。
 それでも、誤魔化し、誤魔化し、三年間上手くやれるんじゃない
かと思っていた。だが、
「一年持たなかったな、っと」
 自己嫌悪が良い感じになってきたところで、ようやく帰ってこれ
た。
「……ただいま」
 その一言に、今更ながら、ひどく違和感を感じた。
 ここは、俺の家じゃない。

 七時前だった。
 玄関を開ける前に気がついたが、電気はどこもついていない。真
っ暗だ。
「美香……寝てるのか?」
 廊下の明かりをつけながら台所に戻る。出てきた時と変わらず、
中途半端に放置された夕飯の光景。
「……」
 鍋の中、所在なさげに佇む野菜、封のきられていないカレールー、
米櫃から出されて、そのままの米五合。
「……」
 美香は昔から責任感が強い。物事を完全に投げたまま放置してい
るのは、覚えがなかった。
「……さてと……」
 自己嫌悪も、反省も、後回しだ。
 もうすぐ柏木さんご夫婦が、仕事を終えて帰ってくる。
「せめて米だけでも炊いて、夕飯の支度を進めておかないとな」
 上着の袖を捲りあげ、水道の蛇口を捻った時だ。
 
 ルルル、ルルル。

「へいへい……」
 居間の電話が鳴る。電話の応対については自由にしていいと言わ
れているので、急いで受話器を手に取った。
「はい、柏木です」
「竜一クン?」
「あ、はい。彩華さんですか?」
 電話の相手は、美香の母親。柏木彩華さんだった。
「そーよー。あのねぇ、美香にも伝えてほしいんだけど、ちょっと
お仕事が立て込んじゃっててねぇ。今日も事務所の方に泊まろうと
思うの」
「……えーと、今日は帰ってこられないんですか?」
「うんうん。明日も信二クンとお仕事だから、帰るのは明日の夕方
頃になるかもです」
「わかりました。美香の方にも伝えておきます」
「お願いね。ところで、竜一クン」
「なんですか?」
「今日のおでかけ、美香のお洋服、どうだった?」
「スッゲー良かったです。……あっ、いやっ!」
「うふふ、素直な子。お姉さん大好きよ」
 自分のことをさらっと「お姉さん」と告げる彩華さん。昔はモデ
ルをやっていたらしく、初対面の人間は本当に、美香の「お姉さん」
だと錯覚してしまうこともある。女って怖い。
「ねぇねぇ~、竜一クン。美香と手ぇぐらい繋げたの~?」
「……えぇと」
「ふふ、照れてる照れてるぅ」
 受話器の先から聞こえてくる忍び笑い。どんな顔をしているか予
想がつく。くすぐったくて、顔が熱い。
「もしかして、腕とか組んじゃった?」
「……すいません」
「あら~、謝らなくてもいいのよ~。ねぇねぇ、ちゅーぐらいは行
けたの? もしかしてご休憩までいっちゃった?」
「いってませんよ!」
「いや~ん。もう、二人とも奥手さんなんだからぁ~」
「すいません、……じゃなくてっ!」
「ふふ。まぁ、ゆっくりやりなさい。喧嘩だけはしちゃダメよ」
「……え!」
 鳩尾に、笑顔でボディブロー。
 息が詰まり、喉がひりつく。進展どころか、ついさっき破滅した
ばっかりなんですが。
「竜一クン? もしも~し?」
「あ、はい、すみませんっ!」
「もしかして、美香と何かあった?」
「いえ……別に、いつも通りです」
「はーい。じゃあ美香にも伝えておいてねぇ」
「わかりました。お仕事頑張ってください」
「ありがと、バイバ~イ」
 がちゃん。と電話が切れる。確認したところで、また一つ溜息が
こぼれた。
 自由奔放で、妙に俺達をくっつけたがっている彩華さん。父親の
信二さんはそんなことはないんだが、逆に心配している節もない。
この状況下で、美香に手が出せない俺は、「ヘタレ」と言われても
仕方ないのか。
「……まぁ、それも、もう終わったんだけど」
 台所に戻る。俺一人なら、自己流に調理して胃にブチ込んでもい
いんだが、四人分の材料だ。カレーだし、下手をすれば明後日まで
残ることになる。
「……これからは、真面目に料理覚えないとなぁ……」
 かといって、このまま放置するわけにもいかず。
 調味料を棚に戻し、具材をタッパーへ。まな板と包丁も洗って元
の位置に戻しておく。ついでにコンビニで買ってきた卵も冷蔵庫に
入れといた。米だけ洗って、炊飯器をセット。
「こんなもんでいいだろ」
 一息ついて、階段を上がる。一段上るごとに、気まずさで押しつ
ぶされそうだ。とてもじゃないが、美香と顔を合わせられそうにない。
 
 二階にある美香の部屋。
 一度深呼吸をしてからでないと、ノックすら出来なかった。
 心臓が慌ただしく跳ねている。
 喉が渇く。手が震える。本当に臆病者だなぁ。俺は。
「……美香」
 ドアをノックした。軽く二回。
「起きてるか?」
 その一言を発するのが、今までにないほど息苦しく、辛い。
「なに」
 返事はすぐに戻ってきた。
 切り裂くように、扉のすぐ側から聞こえた。
 扉に背を預けて座り込む、彼女の姿が浮かぶ。
「……彩華さんと信二さん、今日帰って来られないってさ」
「そう」
「んで、帰ってくるのは、明日の夕方だってさ」
「そう」
「……あのさ」
「なに」
 機械のように義務的に、感情を押し殺した声。
 ざりざりと、砂を噛んでいるような気分。
 悲しいと思うと同時に、苛立ってもくる。
 自分が原因だと分かっていてもだ。
「美香、さっきはごめん」
「いいよ」
「あと、台所片付けといたから。調理しかけの具材は冷蔵庫に入れ
といた。あと一応、飯も炊いたから、腹減ったら……」
「うん」
 ダメだ。どうしてもイラつく。
 自分の傲慢さだと分かっていても、駄目だった。
「悪いけど、俺も少し疲れたから、上で寝るわ」
「おやすみ」
「じゃあな」
 最後まで感情の変わらない声を聞いて、階段を上る。
 三階の屋根裏部屋。
「……っ!」
 上着だけを脱いで、ベッドの中に潜った。

752 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:35:26 ID:keF5dv3k


 晴れ渡った青空。
 暖かい春の気配を感じ、すぐに夢の中だと悟った。
 人の手が入っていない空き地には、花が咲き乱れている。見慣れ
た光景だったが、今よりも平べったくて、ずっと先の方まで見通せ
た。
 広がる畑。整備されていない車道。虫網を持ったクソガキ。自由
に近所をかけめぐっている。珍しく一人だった。すぐ後ろから小走
りで後を追いかけてくれる、女の子の姿がない。
「……見つかんねーなぁ」
 クソガキはなにかを探していた。左右をきょろきょろ見回しなが
ら歩く。狭い路地裏や、ブロック塀の上などを見て、時折足を止め
る。いつも以上に、落ち着きがない。
『―――おい、まっすぐ歩けよ。危ねぇだろ』
「いた!」
 暖かい春の日差しの中。クソガキの視線の先、ジュースの自動販
売機の上で居眠りする、白い毛並みの猫がいた。うしろから忍び寄
り、手にした虫網を上から落とす。
「てやっ!」
 容易く捕まえた。ように見えた。「にゃあお!」
 猫が驚いて暴れる。爪をだして網をひっかく。数秒ともたず、網
は簡単に破れていた。そして自販機からアスファルトの地面に降り
立った。「何をするんだこのクソガキ」とばかりに、毛を逆立て威嚇。
「にゃ~お!」
「うっせぇ!」
 今度はクソガキ自ら、猫へと飛びかかる。子供の身体すべてを使
って、覆うように捕まえた。猫はまた暴れ、爪を出し、ひっかきま
わす。
「いてぇっ!?」
 長袖のシャツごと切り裂かれ、赤い傷が走る。三本。
 それでも全身を使って力を込める。猫がさらに暴れる、ひっかく、
無数に。傷が増えていく。傷が熱を持って腫れあがる。
『―――おい!? なにやってんだお前は!!』
 ガキ同士で殴りあったり、親に尻を叩かれたり、自分でドジやっ
て擦りむいたものとは、全然違う。
「逃げんな!」
 涙。怒りで痛みを抑えていた。
 泣きながら同じことを叫んだ「逃げんな!」「にゃあお!」
 猫パンチ。よりにもよって、さっきの傷の上。
 肩口から二の腕にそって、赤い血飛沫が散る。
 地面の上に音を立てて散った。血が止まらない。
『―――バカ!! 放せよ!!』
「逃げんな! 頼むから、どこにも行くな!」
『聞けバカ!!』
「暴れんなって! いてぇな畜生!!」
「―――りゅーくん!?」
 女の子の悲鳴。
 肉体のない夢の身体。意識だけが彼女を見つめる。 夢の中の俺。
七歳のガキもまた、同時に振り返った。その隙に白猫は勢いよく逃
げだして、あっという間に見えなくなった。
「りゅーくんっ、なにやってるのっ!?」
「……あー」
「血! 血がでてる! いっぱいでてるよっ!」
「余計なことしやがって」
「はうっ!?」
 心配して駆け寄ってくれた女の子の頭を叩く。その時に、赤い血
が飛び移った。女の子の顔が、泣きそうに歪む。
「お前のせいで、逃げられたじゃん」
「……え、えっ?」
 わけがわからない、という顔で困惑する女の子。
 俺も同じ感想。『なにいってんだ、このガキ』
「美香のせいで逃げられた。せっかく、捕まえかけてたのにさ」
「捕まえる?」
「うん、店で売ってる奴は高ぇ」
「……ペットショップのこと?」
「そう。なんであいつら、スーファミのゲームより高いんだよ。猫
のくせに。子供だと買えねーじゃん」
「えっと……それで、野良猫さん、捕まえようとしたの?」
「うん」
 二人の視線がちらりと、破れた虫網の方を見る。
「……りゅーくん、りゅーくんのお家は、ペット、ダメなんだよ。
知ってるでしょ?」
「俺が飼うんじゃねーよ。お前が飼うんだよ」
「えっ?」
「あいつが死んで、最近お前元気ないじゃん。だから、変わりの奴
捕まえて、持ってってやろうと思ったんだ」
「りゅーくん……」
 戸惑う少女のかわりに、俺が全力で言ってやった

『アホかテメェは!!』

 どこから突っ込んだらいいんだっ!?
 自分勝手にも程があるっ!! 
 もういい!! そのまま出血多量で死んどけっ!!

 夢には意識しかない。その意識すらも曖昧で、もどかしい。すっ
げーイライラする。
『うあああぁぁーーーー、自分を殴りてえええぇぇ!!!』
 どこにあるか分からない、自分の身体。
 くそっ、いいから一発殴らせろっ!
「―――なぁ、美香」
「な、なに?」
「お前は嘘つきで、ひきょーもんだから、俺がいないと駄目なんだ
よ。わかってんだろ?」
「……」
 こら、ふざけんな。
 いい加減にしろ。
 生意気に、死ぬほど恥ずかしいセリフを口にすんな。
 絞め殺されてぇのか。
「りゅ、りゅーくん! あのねっ! とにかく怪我治そっ!」
「いい。それより罰ゲーム残ってたよな。今から命令するから」
「そんなのあとっ!」
「うるせぇ、言う事―――」
「いい加減にしろっ!! この、バカがッ!!!!」
「でっ!?」
 やっと届いた。変わらず身体はないのに、通じた。
 七歳の俺が後頭部を抑えて、周辺を見回していた。
 ぴし、ぴし、ぴし、
 夢の中に亀裂が広がっていく。
「な、なんだよっ!?」
「黙れ! だいたいお前は最初から間違ってんだよ!! その子の
ことが好きで好きで、たまらねぇんだろうが!?」
「んなっ!?」
「好きなら、素直に好きっていいやがれ!!」
「そ、そんなわけねーだろ!!」
「じゃあ、そこらのクソ野郎に、美香のこと取られてもいいんだなっ!?」
「……それは……美香をイジめていいのは、俺だけだし……」
「だからなぁ! なんでお前は、そんな屈折した愛情表現しかでき
ねーんだよ!?」
「うるせぇ! 好きじゃないって言ってんだろ!!」
「んな事言って、いざ告白されたらビビって、自分と相手の内面比
べて断るんだろうがっ! なんなのお前!? 何様!?」
「なんだよそれ! しらねーよ!」
「黙れボケっ! 美香がこっちの事気にしてることぐらい、本当は
気がついてんだろうが! おとなしく告白されて、彼女できたっつ
って喜んでろっ! いちいち面倒くせぇんだよ、テメェはよ!!」
「う、うるさいな! 彼女とかいらねーし!!」
「いい加減にしろ! このヘタレっ!!」
「ヘタレじゃねぇ!」
「いーや、お前はヘタレだね!! 違うってんなら、美香にお前の
ことどう思ってるのか、聞いてみろ!!」
「……えっ!」
「美香!」
「ふえっ!?」
 意識を、ヘタレなガキから美香へと向ける。彼女は顔を真っ赤に
して、胸に両手を添え、身を縮めていた。
 自分が何処にいるのか分からない。ただ、そっと、ずっと欲しか
ったものを包み込んだ。
「やめろバカ! 美香にさわんじゃねーよ!」
「うるせーよ、ヘタレ。お前が言えないから、俺がかわりに言って
やるんだ。感謝しろ」
「……っ!」
 夢の世界。
 現実の理想が広がる場所。
 ここでなら、届かないものにも手が届く。
 わだかまりも存在しない。ただ、本心を告げればいい。
「美香が好きなんだよ」
「!」
「どこにも行くな」
「りゅーくん……!」
「あー、よかった。やっと言えた」
「うん。やっと言ってもらえたっ!」
「待たせてごめん。俺は最低な奴だけど、お前のこと本当に好きだ
から。それだけは信じて」
「うん……」
「もう遅いけど、ごめんな」
「うぅん、大丈夫だよ……」
「ありがと」
 胸んなかが、あったかい。じんわり広がる暖かさが心地良い。
 両腕の中で感じる温もりと、重なり合う。
 なんでだか、涙がこぼれた。
「……そっか、やっぱ、これで良かったんだ……」
 初めて彼女の頭を、優しく撫でた。
「ねぇ、りゅーくん……もっと、よしよしって、して」
「ほら」
「えへへ……これからも、側にいてくれる?」
「当たり前だろ」
「ずっと一緒にいてもいい?」
「いいよ」
「……嬉しい」
 花咲くように笑う彼女。
 これが、俺が、ずっと手に入れたかったもの。
「りゅーくん、だぁいすき」
「俺もだ」
 
 ぴし、ぴし。
 亀裂の音が大きくなって、一斉に砕けた。
 細かいガラス破片になって、降り注ぐ。
「にゃあお」
 最後に、猫の鳴き声を聞いた。
 甘えてくるような声。それを耳にしつつ、夢が終わる。
 覚めていく。

753 :名無しさん@ピンキー:2009/11/25(水) 23:36:00 ID:keF5dv3k

そうだった。確か。
 電気も灯さず、部屋に戻るなり、上着を一枚脱いだだけで、ベッ
ドの中に入ったんだった。
 十二月の夜は冷える。年末も近い。
 まともに毛布をかけず、眠りは浅かった。
 だから夢を見たんだろう。
 そしてまだ、夢を見ているんだろう。
「……」
「……」
 少し、目が暗さに慣れてきた。
 馴染んだ木の匂い、屋根裏部屋。
 それに混じって、すぐ目の前に見えた、馴染みのないもの。肌色
と、その匂い。火照った汗。潤んだ瞳。
「…………美香?」
「うん」
「………えっと」
 思考が停止。混乱していたせいか、むしろストレートに聞くこと
ができた。
「美香」
「はい」
「なんで裸なんだ」
「今からりゅーくんも、脱がせてあげるね」
「待て」
「待たないよ」
「落ち着け」
「落ち着いてるよ」
「今何時」
「夜の十時ぐらい」
「美香」
「なぁに」
「服着ろ。風邪ひく」
「あったかくして」
「夢だろ?」
「ゲンジツだよ」
「美香」
「りゅーくん」
「今、どういう状況?」
「好き。りゅーくん、大好き」
「ちょっと待て!」
「待たない」
「誰か説明しろ!!」
「二人っきりだよ」
 微笑む。
 ゆっくり、降ってくる。
 ヘタレな俺。反射的に身を捻る――ガシャン。
 なんだ今の音。何事だよ。手首が地味にいてぇ。
「……手錠?」
「うん」
 俺の両手、ベッドの柱と繋がっていた。鎖の輪で。
 最初の感想。「簡単には外れないそうにないなぁ、コレ」
 俺の全身、重なるように美香の全身。
「もう一度、確認させて。さっきの言葉、嘘じゃないよね」
「えっ!?」
「私、りゅーくんの事、好き。大好き」
 再び思考停止。ヘタレな俺。
 とりあえず、再認識「俺も美香の事、大好きだ」
「彼女にしてくれる?」
「……俺でよければ……」
 言ってる場合かよ!!
「嬉しい」
 にっこり笑う美香。
 すげー可愛いんだけど、怖ぇ。
「……」
「……」
 至近距離。立場が逆転してることだけは、よく分かった。
 食われたい。意図せず生唾が溢れる。改めて目の前の彼女の裸体
を見る。本当に布切れ一つ巻いてない。パンツ見たいとか、履いて
ないとか、そういう次元を超越してやがる。
 エロい。エロすぎるぜ。
 大人の階段登りすぎじゃねーの。手続きすっとばしてね?
 俺、鼻息を「ふんふん!」わかってるのに止まらん!
「……あんまり見ないで……恥ずかしいから、ね?」
「ご、ごめん!」
 言いつつ、目は変わらず釘つけのまま。ふんふん!
「それよか、この―――説明を激しく希望するッ!!」
「えへへ。夜這いしちゃいました」
「ぐっはぁ!?」
 なんだ今の破壊力は。エロすぎるぞ!「YO・BA・I」!
 
 落ちつけ。落ちつくんだ!
 くそっ! これだから童貞は! 
 いや待て、問題はそこじゃない!
 
 歯をかみしめると同時、激しく勃起しはじめたズボン内側の愚息
様。腰を持ちあげ突きあげる。
「やんっ……」
 剥き出しの太ももに触れ、美香がゆっくり振り返る。
「わぁ……りゅーくんの、えっち……」
「無茶言うな!!」
 感情が煮えたぎる。混ざりまざって、顔が火傷したみたいに熱く
なる。脱ぎ捨てたい。邪魔なものすべて。
「苦しいよね……」
「やめ!」
 ジッパーが音を立てて下げられる。そのまま脱がされた。ベッド
の下に落ちていく。
「……こんなになっちゃうんだね……」
「!!」
 外気に晒された性器。なにも覆われていないその箇所を、じっと
見つめられる。それだけで全身を冷たいものが奔った。
「りゅーくん……」
「――――」
 なにが、どうなってんだよ。説明してくれ。
 言葉には出来ず、口元を塞がれた。

760 :743:2009/12/01(火) 06:19:56 ID:2LnRf37R


「……んぅ……」
 柔らかい唇。弾力のあるそれに押され、沈み込む。
 ギシ、ギシ。
 ベッドのスプリングの軋む音。
「……りゅ……くん」
 熱い吐息が降ってくる。被せられた熱の塊に、頭の芯が焼けてい
く。なのに、氷のように冷たい感触が、背筋を奔る。
 理性が砕けていくのが分かる。
 快楽だけを求めて、互いの舌先が絡んだ。
「……んぅ」
「ん……く……!」
 一つになった口内で、激しく交わすキス。
 犬みたいに腰を振って、固くなった肉棒で太ももを突く。
 挿れたい。のに、届かない。手錠のせいで自由が利かない。

 ガシャン! ギシッ!

(くそっ!)
 苦しい。満たされない欲求に不満が募る。
 美香の身体を激しく食い千切ってやりたい。
「……ん……んっ……んんんっっ!」
 心臓が激しく訴える。頭に霧がかかったように、ぼんやりしはじ
める。空気が、酸素が欲しい!
「――――ッ!」
 耳鳴りがする。止まらない。
 両手の指が空しく宙を掴む。

 ガシャン、ギシ、ガシャン、ギシ、ギシ、ギシ……!

(くそっ! くそぉっ!)
 犯したい。
 美香を無茶苦茶にしてやりたいッ!
「……は……ちぅ……ちゅ……!」
 唯一深く触れ合うところ。さらに激しくキスをする。狂ったよう
に、キスを。
「んぅ……ん!……んぅぅ!」
「……ぐ……!」
 限界だ。熱い。苦しい。死ぬ! 息を吸わせてくれッ!!
「―――――はあああぁぁっ!!」
「ごほっ!!」
 噎せ返るような、長いキスが終わった。俺の喉元へこぼれ落ちて
いく二人の唾液。じっとり、ゆっくり、垂れ落ちた。
「……ふふ、」
 蕩けた顔で笑う美香。だらしなく唇を開けつつ、両肩と胸が上下
する。たぷん、たぷん、と揺れる、大きな二つの乳房。吸い寄せら
れるように見てしまう。
 美香が「はふぅ」と大きく溜息をこぼし、言った。
「キスって、すごく気持ちがいいんだね……」
「激しすぎんだろ」
「うん。もう一回しよ」
「まてよ、その前に手錠、外せよ」
「だめ」
 美香の顔が、もう一度、降りてくる。
 二人の液が伝って落ちた、うなじへ。
「うぁ!」
「……お返しだよ。りゅーくん……」
 ちゅう、と音を立てて吸いつかれる。赤い舌先で舐めとられる。
子猫がミルクを飲むように、ぺろぺろ舐める。
「やめろっ、これ外してくれっ!」
「りゅーくんの味……おいしぃ……」
「美香っ!」
「……ん……ちゅ……ぅぅ……んぅぅーー!」
「うぁっ!」
 軽く歯をあてて、一息に吸い上げられた。腰が上に持ち上がり、
ゾクゾクした感触に耐え切れず、半端に果てた。
(もう、無理だっ!!)
 手が出せない。苦しくてたまらない。
「……どう? 苦しい?」
「あぁ!」
 たまらず頷いた。ガシャガシャ音を立てる手錠。極上の餌をチ
ラつかせられ、おあずけされた犬のよう。
「手錠、これ、はやく、外してくれっ!」
「……えへへ、どうしよっかなぁ……」
「外せッ!」
 そうしたら、今すぐお前を犯してやる。
 ぐちゃぐちゃに汚して、食ってやる。
「……いいよ、りゅーくん」
 美香の手が、ベッドの隣にあった棚へと伸びる。そこに置かれ
ていた小さな鍵を掴んで、繋がれた俺の手元へ向かう。
「優しくしてね……?」
 甘い声。まるで、「激しくしてもいいんだよ?」と言っている
ようにも聞こえた。
 手錠が微かな音を立てて外れる。自由になった両手首。
 一切の手加減なく、押し倒した。

761 :743:2009/12/01(火) 06:21:59 ID:2LnRf37R


「―――あっ、あっ、んんっ!!」
 押し倒し、上に乗る。
 両手の中に柔らかい胸を閉じ込め、揉みまくった。手に収まり
きらない二つの乳房を捏ね、回し、押しつぶす。今まで触れたこ
とのない手ごたえ。
「ひぁんっ! も、もっと……やさしくっ!」
「できるか!」
「ぁ、ぁ―――ああああっっ!!」
 力一杯に両胸を掴んだ。指の隙間から現れた、尖った乳首に吸
いつき、残る一つはつまみあげた。
「んやあああぁぁあぁあああっ!!」
 絶叫。腰が激しく動き、淫らに暴れまわる身体。両脚が腰の後
ろに回されて、しがみつく。
 密着した下半身。ガチガチに固くなった肉棒で、美香の内股に
押しつけた。
「はっ……はっ!」
「やっ! あたって、る、あたってるっ!!」
 堪能した乳首への愛撫を終え、さっきのお返しに、うなじを念
入りに舐めす。同じように吸いつき、所有印を刻みつけた。
「美香は、俺のだ」
「うん! わたしっ、りゅーくんのっ、一番だよぅっ! あ、は
あぁっ! りゅーくん! ちゅーしてぇ! ちゅーしたいっ!」
「しかたないな」
 もう一度唇を重ね合う。今度は絡めるだけでなく、上あごや、
歯の裏側も念入りに愛撫する。
(よし……)
 キスをして塞ぎつつ、アタリをつけていた、もう一つの口元へ
も、挿入を開始する。というか、もう我慢できなかった。
「んぅっ!?」
(キッツ……)
 肉壁を押し退け、ずぶずぶ突き進んでいく。先端が膣内に触れ
るだけで震えた。内側で縮退し、搾り取るように締めてくる。
「んー! んーっ!!」
 背に回された両手が、爪を立てて訴えてきた。針で刺されたよ
うな痛みに、むしろ笑いが零れそうになる。
(まぁ、ひとまずここでいいか。)
 背中の痛みを無視しつつ、膣内の出入り口をひっかき回す。じ
ゅぷり、と卑猥な音がそそる。
(で……る!)
「ん―――ンンンンンンンンーーッッ!!!?」
 精液が中に噴き出す。剃り返る美香の全身。押さえつけて全力
で阻止する。
「ンーーーーッ! ンーーーーーーッ!!」
 抗議の声というよりは、必死に酸素を求めている声。たっぷり
十数えたあとで、唇を離してやった。
 どすん、と全身に重い疲労感が落ちてくる。
「はっ、ふっ………」
「ぁ……は……はぁ……はぁ………はぁ……」 
 涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔。蕩けたチョコレートのよう
に、甘そうだった。
「イジワル……りゅーくんの、イジワル……」
「よかったろ?」
「うん……きもち……いいの……よすぎて……死んじゃうかと…
…思った……」
「しっかりしろよ。ほら―――もう一度挿れるぞ」
「……ぇ?」
 最初、散々に焦らされていたせいか、一度だしたぐらいだと終
わらなかった。彼女の割れ目に押しつける。
「ま、まってっ!」
「嫌だね」
「あっ!!」
 美香の秘所。先端が阻む肉壁を押し広げ、奥へと突き進んだ。
「いあああああぁぁっ!! おっきい、おっきいの入ってる!」
「……っ!」
 すげぇ、なんだこれ。自分で擦るのと全然違う。
 気持ちが良すぎる。
「……動かすぞ!」
「まっ! まって……あっ、あっ、あぁんっ!」
 ギチギチ締め付けてくる肉壁。手前に引き、緩くなったところ
を再び突く。引く。突く。引く。突き刺す。奥へ。
「あっ、あっあっ! あっ、あっ、あんっ!」
 悲鳴を無視して進む。抵抗され、止められる度に一度引く。そ
のかわり、それ以上の勢いを込めて前に押しだす。
 ぐちゅ、ぐちゅ、じゅぷり。
 じゅぽ、じゅぶ、ぐちゅん。
 卑猥な音が大きくなる。
「ああ、ああぁあっっ! はいってる! おっきいの! りゅー
くんのが、おくにきてるよぉ!」
「いいぞ、もっとなけ! いやらしい声で泣けっ!」
「やらぁっ! らめぇっ!」
 さらに奥の方へと侵入した時、肉壁とは違う何かに阻まれた。
「だ、だめっ、おねがいまってっ!!」
 美香の爪が、背に深く突き刺さる。どうにか残った理性を集め
て耐える。
「……これ、アレか」
「ひっ! やぁ! 動いちゃだめっ!」
「処女のアレ?」
「た、たぶん……っ!」
「痛いか」
「す……すこし……」
「嘘つけよ、ほら」
「いっ、ああああぁぁああっっ!!」
 内側の壁が、それ以上は進ませないとばかりに締めつけてくる。
気持ちはいいが、それでも無理に押しつけると、
「痛いっ! 痛いよぉっ!」
 美香が涙を零しながら抵抗する。両手を前へと突きだして、俺
を押し退けようとする。
「無理か?」
「ん……んぅ……っ!」
 粒の涙を零して、唇を引き締める。ただ、けっして、頷きはし
なかった。
「……いたいよ、いたいけど、でも……!」
 懸命に首を振って否定する姿も可愛い。せっかく集めた理性が
ぴしぴし砕けて、崩れていく。
「……だぃ、じょうぶ……ちょうだい……」
「いいのかよ」
「うん、りゅーくんの、だから……」
「美香……」
 あぁ、ダメだ。
 なにこいつ、すっげー可愛いんだけど。
 不意に溜まっていた情欲が消えた。彼女を愛しいと思う気持ち
の方が強かった。
「ん……」
 自然とキスをする。
 唇をついばむように、軽く。
「……りゅーくん……」
「怖かったんだ。俺はヘタレだから、親父がいきなり海外に行く
とか言いだした時、真っ先に美香のこと考えた。住み慣れたこの
場所じゃなくて、お前と離れるのが怖かった」
「……そう、なの……?」
「知らねぇだろ。柏木さんが引き取ってくれるって言ってくれた
時、それからお前と、同じ高校にいけるって分かった時、本当に
安心したんだぜ」
「……ふ、ふふっ……」
「なんだよ」
「……りゅーくんってば、昔から、すっごい不器用……」
「うるせぇよ」
 キスをする。軽く、甘く、キスをする。何度も触れあった。目
の前の相手を愛していること、それを確かめあった。
「変わらない方が、いいこともあるんだろうな」
「うん、そうだね」
「でも、これで終わりだ」
「えへへ。これから、また、よろしくね。りゅーくん」
「あぁ、よろしく」
 無邪気な子供の笑い声。二人ぶん。
 幼馴染みの終わり。名残惜しくて、最後のキスは少しだけ長か
った。

762 :743:2009/12/01(火) 06:22:40 ID:2LnRf37R

 絡み合う二つの口。両方を攻めるように、再び突き進む。
「……っ!」
「いい、の……いいよぉ、りゅーくんっ!」
「美香!」
「りゅーくんの、りゅーくんのっ!!」
 ずぶ、と一息に深く突く。
 愛液に塗れていた中へ、入っていく。
「美香! 愛してるっ!」
「私もっ! あ、あん! 奥までいっぱいきてぇっ!!」
「!!!」
 喉が涸れるまで叫んだ。
 最後まで邪魔していた膜を食い破り、その奥へ。
「ここ……」
「いいよっ! ぜんぶ! ぜんぶもらってっ!」
 言葉にならない、獣の声。
 歯を立てて、彼女の喉笛を食いちぎるように噛みつくす。両手
は乳房を揉みしだき、その先端を力の限り摘みあげた。
「……あああああああああああっ!!!」
 痛みと快楽にあげる悲鳴が、気持ちが良い。
 根元まで完全に突き進む。急所をすべて抑えるも、萎えること
を知らない俺の肉棒。彼女の最も深い場所、袋小路となったそこ
を激しく叩いた。
「あぅ、あ、ああ、ああああっ!?」
 ぐちゃ、ぐちゃ、と、汗と精液がどこまでも深く、色濃く混じ
る。ずぶ濡れにになった卑猥な音の雨。据えた匂い。
「あ、はぁ、あ、あ――――ひああああああぁぁぁっっ!?
 ぐちゃ、べちゃ。じゅぷり。
 腰を振る。叩きつける。ただ、それだけを繰り返す。
「美香! 美香!」
「あ、あんっ! りゅ、りゅーくん! そこ! 赤ちゃん、でき
ちゃうよぉぉっ!」
「ぐっ!」
 僅かに理性が戻ってくる。
 生で挿入してることに、今更思い至る。が、止まらない。美香
との子供、どんな子が生まれるんだろうか。想った。
「……いいよ……りゅーくんの……なら……」
「!!!」
 再び吠え、突き刺した。
 もう限界だった。
 そこがどういう場所なのか、知っていて。
 欲望を吐き出すまで、彼女を突き刺した。
「きてぇ! いっぱいだしてぇっ! りゅーくん!」
「だすぞ! 美香!」
 全身が飛ぶ。
 意識が飛ぶ。
 責任、道徳心、一切がけし飛んだ。
 先に絶頂を迎えた彼女の前で、俺の意識も飛んだ。
「りゅーくん!!!」
 すべて、膣内へ出すつもりだった。なのに、何故か理性が吠え
た。最後の最後で、本能に抗った。

『彼女の事が好きなんだろ! 
 お前のだけのものなんだろっ!!
 誰にも渡したくないんだろっ!!
 それなら―――最後まで責任とれよっ!!!』

「うおああああああああ!!」
 直前。力の限り、繋がっていた身体を離した。
 汗と唾液の混じる肢体へと、浴びせかけた。
「あぐっ、ぐっ……!」
 噴き出す。顔、顎、首、うなじ、胸、腹、太股。
 萎えていく勢いを辿るように、彼女の全身を白く染め上げた。
「……ぁ、あ、りゅー……く……ん」
「……はぁっ、はぁっ……!」
 倒れかける身体を、ぎりぎりで支える。喘ぎながらも、押しつ
ぶしてしまわないように、ただ耐えた。

763 :743:2009/12/01(火) 06:23:10 ID:2LnRf37R


 どれだけ時間が経ったのか。
 呼吸が落ち着いたところで、ベッドから立ちあがった。
「ごめん、今すぐ綺麗にするから」
「……うん」
 棚上のテイッシュを箱ごと掴む。片手に持てるだけ取りだして、
美香の身体に散った精液を拭いとっていく。
「私達、しちゃったんだね」
「だなぁ」
 美香は仰向けになったまま、動かない。静かに笑って、俺のな
すままにされている。変わらずお互い全裸なわけだが、全部出し
切った後だからか、妙に落ちついていた。
「美香の身体、やっぱ綺麗だよな」
「えへへ……」
「なぁ、いっそ昔みたいに、一緒に風呂でも入るか?」
「幼馴染みの関係、終わったんじゃなかったっけ」
「言っただろ。変わらない方がいいものもあるって」
「ずるーい。……ねぇ、りゅーくん」
「なんだ?」
「私ね、本当に欲しかったんだよ……あの中に」
「まだダメだろ」
「……うん」
「きちんと、清算が終わるまでな」
「……え?」
「お前のこと、好きだからな。だから今までイジめた分、これか
ら清算していかなきゃなんねーだろ。なのに、その……できちま
ったら、背負えなくなるじゃん」
「……りゅーくん」
「さっき言ったろ。その、あー……離れたくないってさぁ。だか
ら、次する時はさ、ゴム使うから」
「コンドーム?」
「ストレートに言いなおすなよ」
「……えへへ」
 美香が笑う。すっ、と上体を起こして、
「ちょっと待ってて」
「うん?」
 部屋を出ていく。床の上に、ぽたぽたと、出したばかりの精液
がこぼれ落ちた。慌てて拭きとる俺。
「ふんふんふーん♪」
 美香がご機嫌な調子で、階段を下りていく。この時ばかりは、
「女ってわからん……」
 真面目に呟いてしまった。そして黙々と、精液の後始末をして
いる自分に空しさを覚える。
「……なんとも言えない気持ちになるな」
 それにしても寒い。
 服でも着るかと思い、立ちあがった時だ。
「おまたせー」
「どうしたんだよ?」
「コンドーム持ってきたよぅ」
「…………へ?」
 美香が差し出した物、紛れもない、性避妊用具。
 実際に店頭で買ったことはないが、保健体育の授業で実物を見
せられたことはあった。うむ、間違いねぇ。というか間違えよう
がねぇ。
「……あったのか?」
「あったよ」
「先に言え!! つーか、なんで持ってんだ!!」
「先輩からもらったの。彼氏と別れて余っちゃったからって」
「だからって貰うなよ!」
「こういうことあるかもって、思ったから」
「それなら使わせろよ!!」
「ごめんね。でも、もう手遅れかなぁ」
「!?」
 さらっと、最大級の問題発言をする、元幼馴染み。
「……それは、どういう……」
「ちょっとだけ、中にでてたから。あったかかった」
「やめろ! 言うな! まて! ちょっとまて! とにかく確か
めろ!! 誰かリトマス紙持ってこーーいっ!」
「りゅーくん、りゅーくん、落ち着いて。後でちゃんと確かめる
からね?」
「なんでお前、そんなに落ち着いてるんだよっ!?」
「だって欲しかったんだもん。りゅーくんの赤ちゃん」
「…………」
 にっこり。
 いやお前、そんないい顔で笑うなよ。
 女ってこえーな、おい。
 気が弱くって、なんでも言う事聞くオモチャなんだとか思って
た奴、ちょっと表にでて土下座しろ。
「えへへ、でもね、りゅーくんがね、赤ちゃんいらないって言う
なら我慢するよ」
「……そういう言い方やめろ。なんか俺が鬼畜みたいに聞こえる
じゃねーか」
「違うの?」
「ちげーよ!」
「本当に?」
「うっさいなーって、寒ッ!!」
 なんとなく忘れていた事実。
 現在十二月。年末も近い深夜。俺全裸。
「とにかく服着ようぜ。めちゃくちゃ汚れてるから、風呂にも入
りたいし」
「続きはしないの?」
「……は?」
「えっちの続き」
「ついさっき終わったろ!」
「えー、せっかくコレ、持ってきたのにぃ」
「またの機会にしてください!」
「やだ。ずっと待ったのに。そんなのやだ」
 少し腰を屈めて、上目遣いに覗かれる。
 なんとなく忘れていた事実。美香全裸。
 認識して、愚息が復活する。お前というやつは!
「ほらぁ、りゅーくんのえっち~」
「健全な男子なら当然の反応だ!」
「これが、さっきまで入ってたんだねぇ。ちょっとびっくり」
「俺はお前の反応にびっくりだよ! なんでそんなにドライなん
だよっ!?」
「りゅーくんが、ヘタレなだけだもん」
「うるせーよ」
 なんか立場逆転してねーか。とか思った時。
「えいっ」
 押された。ベッドの上に倒れこんだ。
 さらに美香が、飛び乗るように、ダイブ。
「ぐふっ!?」
「りゅーくん! だぁいすき!」
「……あー、はいはい……」
 時間が止まる。
 もしかすると、俺は美香を従えたつもりでいて、本当はずっと、
美香の掌で踊っていたのかもしれない。
「それも悪くないか」
「やっと気がついた?」
「もう好きにしろ」
「えへへー」
 美香が笑う。嬉しそうに、楽しそうに、キスをする。
 耳元で囁くように言った。「罰ゲームだよ」
 強く抱きしめ、言い返す。「やれるもんなら、やってみろ」
 子猫がミルクを求めるように、キスをした。
 夜はまだ少し、続くらしい。
 
 
 おわり。 
最終更新:2010年02月05日 10:52