FLASH板のタブー


概要

タブー(Taboo)とは、もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという形で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である。ポリネシア語tabuが語源。18世紀末にジェームズ・クックが旅行記において、ポリネシアの習俗を紹介する際に用いたことから西洋社会に伝わり、その後世界各地に同様の文化があることから広まった。禁忌という訳語も用いられる。
(以上出展wikipedia)

例としては、マスコミにおける菊(皇室)鶴(創価学会)桜(警察)タブーや電通・東京電力タブー、wikipediaにおける「hydeの身長は157cmタブー」、2ちゃんねるにおける「プロ固定タブー」等である。

本項目に関しては、FLASH板(最悪板アンチ統一すれっどを含む)で見られたタブーについて解説する。


FLASH★BOMBFLASH50らに関するタブー

2003年から2005年までの1時期、特定のオフラインイベントや、その主催者を完全に聖域化にするタブーが存在した。
詳しくはFLASH★BOMBアンチ統一すれっどを参照されたい。

因みに、他のオフラインイベント関しても、同様の紛争が多少なりとも存在したようだが、FLASH EXPOについてはイベントそのものがごく一部のグループ・地域に限定するものだった為かそれほど大きく広がる事はなく、映夜祭に至っては、完全公募制の自由参加であったため、逆に「オフラインイベントのブランド性」に拘る者などらから、「選考基準を厳格にすべし」等といった叩きがあった程度で収まっている。

ただし、FLASH★BOMBに関して言えば、そのタブーが厳格だったのは2003年に限定され、2004年は選考基準の不透明性と「FLASHダービー」に関する批判が集中。2005年に至っては、イベントのマンネリ化や、更にはのまねこ問題が発生。それに追い討ちをかけるかのように、wosa氏の「FLASH★BOMB終了宣言」のよって、今まで溜め込まれていた板住人の不満が爆発。結果的に、これがFLASH板崩壊のきっかけとなったと言っても過言ではなかった。

アンチ統一すれっどに関するタブー

一見タブーはないと思われがちなアンチスレであるが、巧妙な形で、タブーのようなものは存在していた。
板が発足した当初より、2004年のFLASH★BOMBまでの期間までは、FLASH板は任意ID制であり、いわば人を騙す能力に長けてる人間ならば、いくらでも自作自演が可能だった環境といって差し支えない状態だった。
その為、アンチ統一すれっどが立ち上がった当初は、「昼組、夜組」へと分類し、「昼組→低脳の厨房、夜組→高レベルなアンチ」というイメージ作りに奔走。その当時の「夜組」のメンバー達が、紅白FLASH合戦の運営者、そして後々に遺恨を残すことになる、FLASH★BOMBの立ち上げ人たちである事は、想像に難しくないであろう。

因みに、彼らのメンバーの中には、後にFLASH★BOMBやFLASH50らに対し、決別宣言を行った者も少なくない。

強制ID化後は、そういった巧妙な自作自演はなりを潜めたものの、未だに同様の印象操作を試みようとするものは、後を絶たないようではある。そのような行為に意味があるのかは未知数であるが。

制作者に関するタブー

制作者の貴賎に対するタブー

2ちゃんねるの他の板においても、学歴や地域、企業等において、手前勝手な格付けが繰り返されているのと同様に、FLASH板においても、飽きもせず制作者の格付けが繰り返されていた時期があった。板発足からFLASH★BOMB終了までが、その時期に該当する。

主にその格付けを決定するのは、FLASH板においては、技術力とFLASH★BOMB等の権威のあるオフラインイベントに参加した実績が査定される場合が多い。因みに塚原重義?氏のように、板外で多数の受賞実績のある人物もいるようである。
特にFLASH★BOMB参加実績に関しては聖域化されており、板内でもVIP待遇の扱いを受けていたようである。(例外もある)

逆に、技術力の足りない職人などは冷遇されるケースが多かったようだが、砂糖水氏や高村四郎氏のように、技術力が低いままであっても、ある程度実績を積み重ねていった結果、板の内外において徐々に評価されだすケースもあるので、この限りではない。

制作者の世代に関するタブー

詳しくはゆとり世代を参照
FLASH板は、2002年に発足であるため、板に常駐していた職人の殆どは(2009年現在の)氷河期世代が多くを占めていたと思われる。後に1985年生まれ以降の「ゆとり世代」と呼ばれる者たちが流入してくるようになり、恐らく現在では、その勢力は逆転しているのではないかと思われる。
現在では、ゆとり世代が圧倒的多数となってしまったようで、ゆとり世代に関する批判・ネガティブイメージは、全てタブー化させようとする動きもあるようであるが、ゆとり教育が全て失敗だったことは、文部科学省の役人達も認めていることなので、今となっては無駄な抵抗と言えるだろう。

制作者の学歴に対するタブー

これは、必ずしも学歴差別に結びつくわけではない。

元々、FLASH文化の最大の魅力とは、「素人なのに、面白いアニメを見せてくれる、その意外性」だったようである。
確かに、ドラワサビ等が流行った、FLASHブームの初期においてはそのような傾向は見れたようであるが、FLASH板において公開されるFLASH作品の傾向が、「素人が作る面白い作品」ではなく「プロが作ったとしか思えないような、技術力の高い作品」へと変化していくようになる。また、FLASH板の住民が望む作品も、むしろいえば「FLASH板における作品の主流が」、「素人の作った面白い作品」から「技術力の高い作品」へと移っていったわけである。

その背景には、FLASH★BOMBというイベントの問題もあるだろうが、最も大きい原因として、アニメやデザイン系の専門学校に通ってるものや、通っていた者、または美大生やプロ等が、自らを売り込むためにFLASH板を利用していたという背景があったようである。(それはニコニコ動画も同様であるが)

結果的にタブーがもたらしたもの

現在となっては、FLASH板は風前のともし火である。
あの隆盛を誇っていた時期からここまで転落するに至って、こういったタブーがどう影響したかは、もはや知る由もない。
ただしいえることは、こういったタブーを作り出した者たちに共通することは、観客の目を一切無視していること、観客を喜ばそうとう意思を一切感じないこと、更には自分達さえよければそれでいいという、自己中心的さばかりが透けて見えるのは気のせいだろうか。

今後、FLASH文化がどうなるかに関しては、制作者自身の頑張り次第とう事になっている。
以上のタブーが、彼らの頑張りの阻害にならないであろうことを、願って止まないものである。

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最終更新:2009年11月15日 12:00