潮11月号
元ヤンキー異色対談
「一緒に歩む!」がリーダーの心得。

義家 ぼくが十代のころの「ヤンキー社会」は、”昔の日本”だったと思うんです。
言わば、強固な縦社会。喧嘩が強かろうが弱かろうが、自分の所属するグループの
目上の人は、徹底的に敬った。下克上のようなことはめったにない。
 いまの日本の社会には、その縦社会が失われていて、組織がまとまらなくなって
いるような気がします。
過去の不良社会には、縦社会が厳然と残っていた。ただ、喧嘩が強い横暴なだけの
人間がリーダーになると、その組織は犯罪者集団になります。
 不良というのはみなさびしいヤツばかりですから、リーダーがしっかりしていれば、
集団で犯罪を起こしたりはしない。地元のリーダーたちが薬物使用や売春などを禁止する
ルールをつくっていて、それに従わなかったら容赦なく叱責されました。
 その意味では「普通」と呼ばれている人たちのほうが、「自由」だったと思います。
例えば我々のグループだったら、「いじめ」は厳禁でした。弱い者いじめなんかしたら、
「情けないヤツ」というレッテルを貼られて、後輩は誰もついてこない。
 でも、ぼくの時代より、金崎さんの時代のほうがもっと強固な縦社会でしたよね。
金崎 義家さんとは世代が違うから、だいぶ違うのかと思ったら結構似ていて、ちょっと
驚きました。あんまり変わってないんだなと。
義家 ボクの世代が、普遍的不良社会の最後なんですよ。ぼくのあとから、不良がアメリカン
カジュアルのようなスタイルをし始めました。チーマーが出てきたり、援助交際をする子が
現れたり。九十年代が転換期だと思います。
金崎 ちょうどバブルのころですね。それまでは他校の不良が来たら、教室では浮いている
不良が、自分の学校の生徒を守るために体を張った。
義家 決して”筋”が通っていたわけじゃないけど、毅然としていて、優しくて、配慮が
できる者がリーダーになっていましたね。
金崎 昔は、皆をかばって自分が鑑別所に行くなんているパターンが結構ありましたからね。
義家 いまは、皆、他人を売るでしょう。(笑)
金崎 我々は絶対に口を割らなかった。自分のことは認めるけど、人のことは言えないという
感じだった。いまは、そういう子はあまりいないですね。組織というものが横に広く薄く
広がった感じがします。
義家 昔の不良は、マイノリティーでしたよね・なるには覚悟を必要とした。学校からも
切られ、行き場がない。理不尽なことで殴られて、いつも顔腫らして……。
金崎 軍隊みたいなものだったですね。ただ、ぼくが見ている子供というのは、鑑別所や
少年院に行くとか、そういう子たちが中心なんですが、昔ながらの暴走族的な子たちも、
まだ若干残っているんです。
 大学で体育会系のサークルが廃れていって、同好会が流行っている。でも体育会系が絶命した
わけじゃない。いることはいる。それに似ていると思います。
ただ、ぼくらのころにはバカにされた”半ツッパ”―「ちょっと不良やりたいな」という子たちの
受け皿もあるという感じはします。
義家 不良集団のサークル化というのは、あるかもしれませんね。
金崎 同好会みたいなね。タガを締めるようなリーダーはいないし、皆、気の向いたときだけ
ワーッと集まってきて、一緒に悪さをするという。
義家 昔の不良社会とそれ以外の社会のリーダーとの相違点をわかりやすく言えば、「サークル」と
「体育会系の部活動」と言えるでしょうね。ただ、不良から更正したら、実社会でものすごい
力を発揮すると考える人もいますが、これは「その可能性がある」としか言えませんね。
金崎 不良の世界を一般化するのは不正確だと思うんです。おそらく義家さんも仲間のなかでは、
例外的な存在だったんじゃないかなと思います。ヤンキーがみな成功していたら、ぼくらは
珍しくないわけですよね。誰もが偉くなれるんだったら、東大行くより、不良になったほうがいいって
なる。
 でも実際には、不良はハンディを背負うから大多数が埋もれていますよ。その意味で、ぼくも義家さんも
例外でしょう。他の不良と差がつくとしたら、「不良として何を経験したか」ということですね。

義家「タフな人間」はどうやって育つかというと、筋力トレーニングと同じだと思います。大きな負荷を
かけることによって、より強い筋肉ができていく。タフな人間になるには、常に抵抗にさらされて
生きて行くことです。不良と呼ばれている人たちは、人間関係においても、抵抗のなかにいるわけです。
だから、不良がハンディを背負いながら、それに負けずに生きていけるならば、タフになることは可能です。
金崎 ただし、不良からの「更正」は誰でもできるけど「成功」することは難しい。
義家 そう。ぼくの仲間でも成功したのはいない。社会に出て成功するためのタフさを培うには、「勉強」も
大事なハードルのひとつですね。やはり勉強って、ずっと抵抗ですから。
それを突破し続けることは、人間としてのエンジンを大きくする方法になります。それに、この社会は
堂否定しようが、勉強ができないとなかなか同化できない。
 ただ、他の同世代よりもたくさんの抵抗を受けている不良少年が勉強に目覚めたら、タフになれるんじゃ
ないでしょうか。常に自分自身を磨かなければ認めてくれない環境におかれているわけですから。
金崎 本来、勉強や試験は、成功するのに一番簡単な道なんです。タレントやアスリートは、持って生まれた
才能や運がなければ成功しないけれど、勉強や試験はやればやっただけ伸びる。結果となって表れる。
義家 どういう分野にせよ、抵抗がないと人間は成長できないわけですから、「苦労」は絶対にしたほうがいい。
でも、その苦労する場所が問題ですね。不良で苦労するんだったら部活をやればいい。
 ぼくみたいな根性なしは、部活の先輩じゃ逃げちゃうわけですよ。でも、不良の先輩からは、おっかないから
逃げられない。だから、いろいろあったけど、ぼくは不良でラッキーだったと思う。
金崎 ぼくも不良になってなかったら、弁護士にはなっていなかった。
義家 ただ、不良になることによって、背負ったハンディに負けてしまう子のほうが多いことも事実ですけどね。
金崎 不良社会と一般社会に共通するリーダーの資質は「周りの士気を高める」ことだと思います。
団体スポーツでいう、「ムードメーカー」のような。リーダーが迷っていたら、周りの人間は動けない。
そこだけは不良社会で学んでいたのかなという気はしますね。
 教師が迷ったら、学級は崩壊しますよね。
義家 ええ。それがどういう方向であろうと、「こっちに行くぞ」という姿勢をみせなければ。
 ただ、教育現場では一人の教師というより、教師集団のリーダーシップが問われてきます。教育は局面ごとに
変わっていくものですから。
 激しさを持っている教師は、問題が起こるとがむしゃらに向かっていくことはできる。でも、今前に進めない
子をケアしなければならない瞬間に、「こら、おまえ何やってんだ」と言ったら、その子は潰れてしまいます。
そういう子には激しさではなく、優しく包み込む存在が必要です。
金崎 家庭での父母の役割分担のようにね。
義家 そのとおりです。両方必要になります。有事に、バラバラな集団をまとめ上げなければならないときは、
当然、強力なリーダーが必要です。でも、リーダーを一人つくっても集団の運営はできないんです。
 これは不良の世界も同じだと思います。リーダーの意識が高くても、同世代のリーダー意識がバラバラな
ことをやっていたら、後輩たちはめちゃくちゃなことをしますからね。
いくらカリスマが一人いても、その組織はただの愚連隊というか暴徒になります。
 ですから、先輩たちの「層」はすごい重要でした。逆に、だめな層の先輩を持った後輩たちは。「俺たちは
しっかりしような」と思って、立派なリーダー集団を形成することもありました。

金崎 ぼく自身がいま法律事務所を経営していて、少ないですけど何人かの部下を抱えています。
「リーダー」なわけです。そのためか、「リーダーシップ論」には個人的に関心を持っています。
ただぼくは、本質的にあまりリーダーに向くタイプではなかったんですね。不良の世界でも、仕切ることは
まず嫌いでしたし。
 実はぼくにはいま、ひとつの葛藤があるんです。不良時代に、義家さんが言われた縦社会のリーダーシップを
学んだわけだけれども、自分のなかで肯定できるものと否定するものがあるんですよ。
あの封建的な世界をいま認められないんです。
 確かにいまの世の中、縦社会が崩壊していて、それは悪い面もあるかもしれないけど、ぼくは不良時代の
縦社会をいまの法律事務所に持ち込めないんです。一種のトラウマになっている。
男尊女卑の暴走族から男女平等の大学という社会に入って、軌道修正された部分がある。それがぼくのなかで
課題となっています。
 暴走族的に自分でリスクを取り、自分が部下の範となれる行動を示しながらも、部下に対して恐怖政治を
敷くことなく、人間的にサポートしたい。そして、女性を差別しない。
 これからの時代は、前例をそのまま踏襲するようなリーダーではなく、すべてに柔軟に対応できるリーダーが
必要のような感じがしますね。
義家 ぼくが思うこれからのリーダーは、「三つのプロ」です。「聞く」「伝える」「学ぶ」プロ。
 聞けない人間の組織というのは、確実にバラバラになります。本来、口は一つで耳は二つなわけですから、
何かを伝えようと思うなら、意識のうえではその二倍聞こうとしていない人間は、情報が氾濫している
この時代には無理ですよね。
 つぎに、本質を直球で伝えられる人しか、組織を引っ張っていけない時代になったと思います。
雑音や情報が飛び交っているから、それができない人間では組織は不安になる。
 そのうえで、我々は常に進化していかなければいけない。ゴールがないから、常に成長し続ける。
学び続ける存在でなければならない。
 いまはまだ、この三つのプロでなくても、それをストイックに追い求めている人間が「これからのリーダー像」
だと思います。
 そして、昔のリーダーは「大船に乗ったつもりで俺に任せろ」だったけど、いまは違うんですね。
ぼくがよく生徒たちに言うのは「小舟に乗ったつもりでついて来い」です。「ただし、俺の舟は小さいから、
おまえも漕がなきゃあ沈没するからな。」やはり、「一緒に行こうぜ」という意識がないリーダーの
率いる集団は、必ず足をすくわれると思う。
金崎 うちの法律事務所なんか、まさに小舟ですよ。いまの話を聞いていて共感しますね。
 大企業も、まさに小舟のような意識でいかないと潰れる時代ですからね。「大企業に入ったから、俺の一生は
安泰だ」なんてやったらろくな仕事もしないだろうし。そういう意味では、大船であっても小舟の意識が要る
気がしますね。
義家 小舟といっても、当然、ツッパらなきゃあいけないときがありますよ。嵐でも舟を出さなきゃいけない
ときがある。だけど、そうじゃないときは「小舟だから一緒に頼む、一緒に漕いでくれ」というのが、
これからのリーダーだと思います。ぼくも教育にたずさわっている以上、これからも精進していきます。



月刊現代8月号より抜粋

義家:一年前、北星余市高をやめるとき、瀬戸内さんに相談にのっていただきましたね。
あのときは、俺、まだ白紙だったんですよ。
瀬戸内:突然でしたものね。あれは私もほんとにショックでしたよ。義家さんがずっと
余市にいると思って、雪の中、はるばる講演に行ったんですから。そうしたらその日、
実はすぐ辞めるって告げられて(笑)。
義家:すいません…(笑)。
瀬戸内:でも私にはわかりましたよ。あなたは一生懸命だし、生徒もみんな慕っているんですけど、
先生たちの中であなた一人浮き上がっていたもの。
自分が仲間の先生からどう見られているかってことに、全然気づいていなかったのね。
だから、私はあなたに行政に行くことをすすめたの。ちょっと世間で揉まれたほうがいい。
義家:大学の講師の話と横浜市の教育委員の話と二つあったんですが、寂聴さんの言うとおり、
行政に行って正解でしたよ。何がよかったかというと、今まで自分は傷ついた木ばかり見ていた。
余市にいたときは、日本中から傷ついた子供たちが集まってきていたんです。この木々は
教育という森の中で、どうしてこんなにも傷ついてきたんだろう。それがわからぬまま、
その木に一生懸命栄養を与えてきていたんですね。森を見ながら木と対話し、森をどう繁栄
させるかを考えられる状態です。

横浜市が不登校生徒への対応などで変わったということについて
瀬戸内:横浜市だけがどうして変わることができたの?
義家:教育界ってしがらみにまみれているんです。
10年以上同じ場所にいた人は何もできない。(以下略)


リスカについて
瀬戸内:うちに相談に来る若い子たちもね、何度もリストカットを繰り返して、
カウンセラーや病院に行っても直らないって言うの。そんなの藪医者よ、替えなさいって、
私は言う。それでうちに来て、私と30分、1対1で話したら、みんな帰るときは
ニコニコしてますよ。これは義家さんに教わったんだけど、子供はとにかく抱きしめろって
言うでしょ?
義家:それが一番です。安心するんです。
(略)
義家:リアルな経験が少ないので、鈍感になっていくんですね。リストカットを繰り返すのも、
痛みに対して鈍感になっているからだと思うんです。この間目にしたアメリカの調査でゾッと
したんですけれど、今子供たちは小学校を卒業する時点で、メディアを通じて8000件の
殺人を目撃し、10万件の暴力行為を見て育っているというんです。戦時中に育った子供より、
ずっとたくさんの現場を見ているわけですね。しかもそれには痛みがまったく伴わない。
バーチャルですから。
瀬戸内:それはアメリカの調査なの?日本の子供はどれくらいそういうのを見ているのかしら?
義家:もっと多いと思うんです。というのも、まずアメリカと日本を比べたら、日本のほうが
残酷なゲームがたくさんあるんですよ。先日、警視庁(原文ママ)の会議に出席したとき、
いくつかゲームを見たんですが、通行人を乱射したり、人間の首をはねたり、すごいゲームが
たくさんあるんです。それを親が買い与えているんです。子供の小遣いでは買えないですから。
それからメディアもアメリカではゴールデンタイムに残酷な映像をあまり流しませんが、日本は
関係ないですよね。暴力シーンをじゃんじゃん流す。

インターネットについて
瀬戸内:インターネットもすごいものがあるらしいわね。
義家:自分の教え子が携帯電話の画面に、イラクで拉致された香田証生さんの殺害シーンを
ダウンロードしえ見ていたんですね。
瀬戸内:どうしてそんなもの…。
義家:「おまえ、どっからダウンロードしてきたんだ」って聞いたら、「みんなで回して見てる」と。
ほんとにそういう残酷さの中で育っているんですよ、彼らは。ところがバーチャルだから痛くない。
でもリストカットすると痛いじゃないですか。それで安心を覚えるっていうんです。
逆に言えばそれほど日常生活で痛みを感じない。痛みの教育をどうしていくか、ということが
これからの大きな課題ですね。

体罰について
義家:先生の体罰は法律で禁止されているんです。でもこの間、それを踏まえたうえで”痛みの教育”を
やろうって現場で爆弾発言して、みんなを唖然とさせたんですが(笑)。
瀬戸内:どうやって”痛みの教育をするつもりなの?
義家:北星学園余市高では”転ばせる教育”をしていました。転ばぬ先の杖を与えるんじゃなくて、
もっともっと転ばせてあげて、心や体の痛みを感じさせる。教師は起き上がるのをかたわらで
見守っていて、一人で起き上がれないときだけ、愛情をもって手を差し伸べるんです。
それから親は10歳までは悪いことをしたら、どんどん叩く。俺も10歳までは明治生まれの
おじいちゃんの言うことを、ちゃんと聞いてましたから。いつもげんこつで頭をぶたれて、
コブだらけ。」

ニート・ひきこもりについて
義家:人間って、本来、引きこもれないと思うんですよ。自分も16から17まで里子に
出されて、引きこもりですよ。そうすると、狂いそうになっちゃうんですよね。やることがない。
瀬戸内:何をしてたの?
義家:俺の場合、本を読んで何とか精神を安定させた。でも今の子供って、インターネットで
チャットもできるし、ゲームもできる。それに没頭していると、辛さを感じなくていいわけです。
要するに引きこもれる環境がある。ひどい奴になると、一日中、匿名の誰かとチャットでつながり
続けるわけです。
瀬戸内:そんなに…。
義家:インターネットをしていると、どんどん時もたちますしね。だから引きこもりをしている
限り、彼らに未来はありませんね。だって、履歴書に5年も空白のある人を社会は必要としない
でしょ。立ち止まったり、引きこもってもいいという寛容さを示すのは簡単ですが、それを
容認することによって、そいつにどれだけ人生の重荷を背負わせてしまうかということです。
俺自身、高校中退したという荷物が一体どれだけ重かったか。
人の10倍、100倍やらないと、同じ扱いをしてもらえません。容易に引きこもりを認める
人は、一生、そいつの荷物を一緒に背負っていけるのか。
そこを考えてほしいですね。
瀬戸内:義家さんは自分の教え子に引きこもりの子がいたら、どういうふうに対応するの?
義家:まず、部屋からたたきだしますよ。俺が一回やったのは、そいつの部屋に行って、
ゲームをぶっ壊しました。グシャグシャにね。もちろんあとで弁償しましたけど。
こんなことやってる場合じゃないだろう、なぜ学校に来られないのか、悶々と考えろと。
(略)

義家:うちのおやじなんかは、自分には学費も生活費もくれなかったですから、大学時代。
バイクの事故で瀕死の重傷を負ったあとも、仕送りが来ないわけですよ。
どうしようもなくてね。当時つきあってた彼女に借りましたよ。もちろん返しましたけど。
とにかく働くしかない。それがいいリハビリになったのかもしれませんが。

ゼロ・トレランスについて
義家:教師は楽になりますけどね。でもそれは教育じゃなくて、強制ですよね。
しなければいけないことがいっぱい明示されて、違反したら処分なんて。子供って、
失敗することのほうが正しい。未熟なんだから。
瀬戸内:情けないですね。だいたい、法律なんて、もうひどいもんですよ。
人間のつくった法律なんて、間違いだらけ。規則で縛ったって心は縛れないですよ。
義家:問題が起きて解決できないと、どんどん統制する方向に流れていってしまいますね。

英語教育について
瀬戸内:その前に日本語をちゃんと教えてほしいですね。
義家:そうなんです。敬語も話せない奴に英語を教えてどうするんだって。
その前に日本語だろうと思うんですけど、それよりも自分としては剣道を必須化しろと(笑)。
剣道は防具をつけているから、事故は起こりにくいし、とりあえずリアルな体の痛みもわかる。
卑怯も礼もおしえられるしね。礼は大切ですね。尊敬の念をちゃんと持たない人間は
絶対成功しません。すごい人ってやっぱり得るべきものがあるから、その人に対して
礼を尽くすのは当然のことなんですが、今の子供は教えられてないですからね。
だって、母親が子供の目の前で父親の悪口を言ってるじゃないですか。
(略)
義家:自分の子供にとって、親は最大の教育者である、という意識をもっとしっかり持たなきゃ
いけないと思うんです。俺がよく言ってるのは、親は3つのプロフェッショナルにならなきゃ
いけないってこと。つまり「聞くプロ」「伝えるプロ」「学ぶプロ」です。
(略)




最終更新:2006年10月25日 15:33