(4)「親こそ教育の最高責任者」という自覚を持て
義家 しばしば、教育の責任はどこにあるかという議論がなされます。
いじめにせよ、学力低下にせよ、親は学校が悪いといい、学校は教育委員会の言うとおりにやってきたといい、
教育委員会は国のせいにする。
石原 東京都では、公立の幼稚園、保育所から、小・中・高校、大学の長を一堂に集めて、年一回ミーティングを
するのでうが、そこで私は毎年、同じことを言ってるんです。
「あなた方は各教育現場で最高責任者です。その立場の責任においてはっきりと言っていただきたいことがある。
それは子供の教育、躾の最高責任者は学校の先生ではない、あくまで親だ、ということです」
 最初の年にそう挨拶したら、先生たちが非常に感銘を受けたようで、帰りに乾杯したという話も聞きましたが(笑)、
やはり誰かが名言しなくてはならないことだったと思います。
義家 いまのお話はまったく同感で、そもそも子供のスタートの時点に立ち会っているのは親しかいないんです。
反論はあるかもしれませんが、零歳から三歳くらいの子供にとって、世界のすべては母です。私は零歳のときから
母親がいませんでしたから、よけいにそれを痛感します。しかし、ともすれば現在では、その一番大事な
三年間に、母親が働きに出て、子供の身近にいない。これは大きな問題だと思います。
 もちろん今の社会に女性の力は絶対に必要だし、女性が安心して出産でき、子育てできる環境を確保するのは
行政の責任です。その上であえて言いたいのは、子供にとって母親とは、とりかえのきかない存在であること。
優先順位のつけようがないほどの重い責任があることなんです。
(略)
義家 戦後の核家族化で”親学”が断絶しているんですね。よく「嫁姑」なんていうと、ネガティブなイメージしか
ありませんけども、人の目があるって大事なことで、姑の目が光っていたら、たとえば幼児虐待なんて出来ない。
この間も、九州のある町に言ったら、夜の十二時だというのに、カラオケボックスに三、四歳の子供を連れてきて、
酒を飲んだり煙草を吸いながら歌に興じているんです。思わず、注意をしたら、「こっちの勝手だろう。
お前こそ、昔、不良だったくせに」と居直られてしまいましたが(笑)。
 これも極論に思われるかもしれませんが、親になる資格というものがある。
石原 いや、極論じゃありませんよ。その通りだ。
義家 資格なき者が子育てしたら、子供にとっては本当に悲劇ですね。
…実は先程、父が息を引き取りまして、このあと、長野で葬儀があるんです。ずっとぶつかり続けてきた父親でしたが。
石原 それは…。大変なときに対談にかり出して申し訳ありません。
義家 いえ、父は石原さんの大ファンでしたから、たぶん喜んでくれていると思います。
石原 お父様はお幾つでしたか?
義家 六十八です。
石原 ああ、それはずいぶん早いね。私の父も五十一歳で亡くなりましたが、高血圧で何度か脳出血寸前の状態に
なってね。当時、子供なりに父の死を覚悟していた記憶があります。どのくらい患っていらしたんですか。
義家 脳梗塞で倒れてからもうすぐ四年になるところでした。
一昨日も一晩中付き添っていて、いろいろなことを思い出したのですが、どの思い出もみな怒られた思い出なんですね。
褒められた思い出、一緒に笑った思い出はまったくない。でも、その怒られた思い出がものすごく多いんです。
親父は会社を経営していましたから、かなり忙しかったと思うのに、かなり忙しかったと思うのに、あれだけの時間、
私と一緒にいて、怒鳴ってくれて怒ってくれた。当時は腹が立ちましたけど、それだけ向かい合ってくれたんですね。
石原 ありがたいことですね。あなたも昔はずいぶんノーティ・ボーイだったみたいだけど。
義家 零歳のときに両親が離婚して、母がいなかったために、母性を奪われたという無意識の反発が、父に向かった
のだと思います。中学の頃から「不良」といわれるようになり、高校退学と同時に、父から勘当されて、児童相談所の
斡旋で里親に引き取られました。そして中退者を受け入れてくれる高校に入り直して、教師になったんです。
 私は長男だったので、父も私にはとにかく厳しかった。本棚に石原さんの『スパルタ教育』もありましたから、
一生懸命読んでいたのだと思います(笑)。
石原 いや、あれは子供をいかに甘やかせるか、ということも書いたんだけど(笑)
義家 石原さんのご本を読むと、母親の存在がいかに大きいかわかりますね。
父権による規範の設定と、母性による抱きしめ、この双方があって初めて躾が成立する。私の家には父権しか
なかったから、どうしても「この野郎」という反発だけが生まれてしまった。
 いまのお父さんたちは、みな優しいですね。やっぱりいい人になりたいから。
しかし、今の子供たちの不幸は、むしろ母性の過剰と父権の不在にあるような気がします。
「駄目だ」と基準を示してくれる大人がすごく減ってしまった。
 私は十六のときに「お前はもう息子ではない」と勘当されて、児童相談所を通じて一年間里子に出されました。
それから故郷の長野から北海道の高校に編入したのですが、そのときには必死でした。
もう帰る家もなく故郷もない。このままではもう自分は生きていけないと、必死になって努力をした。
いま考えると、あのとき父が勘当してくれなかったら、今の自分はとても存在していなかったでしょう。
依然として親に対し、反抗という形で甘えつづけていたかもしれません。
 突き放すというのは、親にとって、ある意味ではもっとも厳しい決断なんですね。私にも息子がいますが、
この子の泣いている顔は絶対に見たくないと痛切に思います。だけど、やっぱり必要であれば、泣かさなければ
いけないこともある。現行法の下では、子供にゴツンとやれるのは親だけなんです。
 ところが、いまニートといわれる人々は、三〇になっても親が生活費をくれる。それでは、「自分で生きていこう」
「よし、戦ってやろう」などという気持ちにはなりませんよ。これは、明らかに親が弱くなってしまったからだと
思います。
石原 まったくだね。動物の生態を見ていれば、あるところで子供は乳離れをして巣立っていく。つまり親が突き放す
のだけど、ニートの問題をみると、親が子供に甘えているといったらいいか、子離れできない親の問題ですよ。
ニートなんて訳のわからない、耳にカッコいい外国語を使うとあたかも新しい風俗かファッションのようだけど、要するに
グータラでしょう(笑)。


自分が横浜市教育委員会委員だということもお忘れのようでwどうも「俺様がグレたのは実母がいなかったから」ということにしたいようで。でも、虐待されたわけでもなく、義母がいて毎日食事も弁当も作ってくれていたのに、そんなことをいい年してグダグダ言うのはどうなんでしょうねぇ。成長が不良少年時代で止まってるのかな?父親に勘当されたと繰り返していますが、北星余市の高い学費や入学金、寮費、交通費などは誰が出してくれたのでしょうね?親が出してくれたのなら世間一般ではそれは勘当とは言わないです。

親の資格・・・まず、わが子の出生の経緯をきちんと説明できることですね!

最終更新:2007年02月04日 22:16