進路変更処分(著作、経歴マスコミ上では「退学」「中退」となっている)についての考察です。

A.資料集(その15)参照

『不良少年の夢』p72より
1年 担任が交際中の女生徒に注意したことに腹を立て
  担任の頭に着火事件
  「進路変更処分」に
  児童相談所送り

(注)著者略歴には
   1987年、進学した高校から退学処分を受ける。
   とある。

1987年 春(16歳になったばかりとあるので4月?)
  曾根川家(里親)に預けられる

1988年 3月(17歳)
  北星余市高校 2年生に編入許可される

1988年 4月
  第23期生 二年生に編入

1990年 3月
  卒業

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B.資料集(その14)参照

『やりなおさないか 君らしさのままで』義家@大学五年生の文章より

1年 入学から10ヶ月後(1月?)
   担任が交際中の女生徒に注意したことに腹を立て、
   担任と大衝突
   「無期停学」

2年 2年進級
   一ヶ月後 暴力により「自宅待機」

   「進路変更処分」

    児童相談所送り

    曾根川家に預けられる

    北星余市に転校
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C.資料集(その13)参照

『やりなおさないか 君らしさのままで』義家弘(父)の文章より

1年 中堅の高校に入学
     ↓
   2学期 登校拒否 
     ↓
   タバコで「停学」
     ↓
   家庭内暴力
     ↓
   担任といさかいを起こし 「停学」
     ↓
   番長とタイマン
     ↓
   学校から「自主退学」か「進路変更処分」を迫られる
     ↓
   2月初め 北星余市を知る
     ↓
   2年に編入


以上、長野の高校を辞めた経緯について比較してみると、随分違っていますね。

テレビ朝日のスマップステーションの再現ビデオではAのパターン(担任の頭に着火→進路変更処分)でしたが、それなら立派な傷害事件として刑事事件になっているはずでは?児童相談所どころか、別荘送りですよ。

ところが、Bのパターンでは、2年に進級できています。着火事件については何も記述がありません。大衝突=着火事件でしょうか?

Cのパターンは義家本人ではなく、義家の実父の文章からです。これでは、「登校拒否」「タバコで停学」「暴力事件(番長とタイマン)」のカード3枚集めた結果が「進路変更処分」となってます。どうも、担任の頭に着火事件は未遂に終わったか、Aパターンの大きな被害はなかった、「いさかい」程度のものであったのではないでしょうか?担任とのいさかい・衝突はあったが、進路変更処分の決定的理由ではなかったのでしょう。父の言うように登校拒否やタバコでの謹慎処分による単位不足が主な理由でしょう。

そうなると、担任の頭に着火事件の元である交際中の女生徒への注意指導、処分撤回を求めての学年全員の署名も本当にあったかどうか、怪しくなります。

尚、Cの父親の文章ですが、一部どうも父親ではないと思われる箇所があります。小学生のときのプール事件は目線が父親ではなく、本人では?と思われるし、高校での番長とタイマン張ったダチだぜよぉ~も、校外でのケンカで親友になったのなら、一体誰が学校に報告したのか?という疑問が。父親の文章に手を加えたのではないでしょうか?いままでの数々の義家のヤラセやごまかしを見てきた者としては、疑念を抱かずにはおれません。

また、Bでは両親が偽装離婚したおかげで地元の高校に転校できた例をあげていますが、この高校とは「篠ノ井旭(現・長野俊英)高校」でしょうね。「教育は死なず」という落ちこぼれを出さないという教育方針を実践した校長によるベストセラー本で有名な学校です。映画化ドラマ化もされています。

最終更新:2008年03月01日 12:40