「路上の箴言」後編  月刊小説宝石 2008年3月号より

 午前六時から召集された緊急の職員会議は重苦しい雰囲気に包まれていた。
 「すでに今日の新聞報道等でご存知の先生も多いかと思いますが、昨日、二年C組、二宮先生のクラスの
大宮明という生徒が自宅で首を吊って自殺しました。遺書などは残されてはおりませんし、原因は今のところ
分かっておりません。とりあえずこの後、全校集会を開いて、生徒たちに話します。今後の対応も含め、
先生方のご意見を聞きたいと思います」
 いつもは職員に対して傲慢な校長も、すがるようなまなざしを教師たちに向けている。無理もない。
これから先の学校運営、定年後の天下り人生も風前の灯になってしまっているのだから。
おそらく一睡もしてないであろうその表情は、土蒼色とでもいうのだろうか、とにかくひどい顔色だ。
 しかし、校長の問いかけに対し、声をあげる教師はいない。
校長の腰巾着の教頭さえも…。突然の出来事に、誰も、何をどう話せばいいのか見当もつかないのだ。
 僕は大きく息を吸い込んでから、意を決してその沈黙を破った。
 「昨日の出来事についてご説明します。昨日の午後、大宮明の母親から、僕に電話がありました。
その時、母親はパニック状態だったものですから、僕はすぐに大宮の家に駆けつける判断をしました。
ただ、教頭、及び、校長には止められましたが…。結果、自習監督等で一部の先生にご迷惑をおかけして
済みませんでした」
 言いながら、僕はチラッと校長、教頭を見た。彼らは顔を伏せている。
 「そして、これは昨晩、警察にも話しましたが、午後二時過ぎ大宮の家に到着し、自室で首を吊っている
大宮を確認しました。先ほど、校長先生がおっしゃったように、遺書等は残されていませんでした。ただ…」
 「それで、今後の対応なのですが」
 言い終わらないうちに、校長が会話に割り込んできた。
 「ちょっと待ってください。重要なことを報告しなければなりません。大宮の部屋にはとんでもないものが
あったのです」
 「二宮先生、その件については、今後、執行部で慎重に対応するという約束のはずです。今は、今後の生徒・
保護者への対応を話し合わなければなりません。あと一時間余りで生徒たちは登校してくるのです。じっくり
議論している時間はありません」
 「でも、校長、これは大宮一人の問題ではありません。他の生徒も関わっている可能性が十分にあることです。
今、職員全体で共通認識をしておいて方がいい問題です」
 「気持ちはわかりますが、マスコミ各社からも取材の問い合わせが相次いでいます。教育委員会と連携して
全校集会が終わった後、記者会見も開かれる予定なのです。余計な情報が独り歩きすればさらに混乱します。
その件については後の議論としましょう」
 「あの、すみません。『その件』って何ですか?」
 黙って話を聴いていた新任教師の堺が、おそるおそる発言した。職員たちは、息を呑んで校長の返答を待った。
しかし、校長は押し黙ったまま、頭を垂れている。
 「大麻です。大宮が首を吊ってぶら下がっているその下に、大麻があったんです。また部屋には栽培キットも
ありました。考えたくもないことですが、彼は、仲間とともに大麻を栽培し、組織的に流していた可能性がある
のです。もちろん、それと自殺との因果関係は分かりません。でも、本校の生徒に、その一部が流れている
可能性は高いと思います」
 「おいおい、それはシャレになりませんな。現場検証をした警察は、その事実をつかんでいるのでしょう?
ニュースやワイドショーやらが学校に殺到するような事態になりますよ。校長、これは後回しではすまないでしょう」
 三年生の学年主任の土方が気色ばんだ。
 「警察は大麻のことは知りません。事件発覚後、二宮先生と母親に、現場から撤去してもらいました。
自殺の問題も、薬物の問題も、教育の範疇であると理解しています」
「ちょっと、待ってください。意図的に隠蔽したとすれば、それは重大な犯罪ですよ!学校ぐるみで犯罪をするんですか?」
 養護教諭の三水が甲高い声で意義をはさんだ。
 「口を慎んでください、三水先生。我々は、何も隠蔽しようというつもりではありません。たとえ、すぐに警察が
大麻を押収したとして、だからってどうなりますか?死人に口なし。大宮が大麻を栽培し、吸引したというだけで、
あとは闇の中でしょう。警察だって調べようがないじゃないですか。もし、その大麻の一部が本校の生徒に流れて
いるとしたら、全容を明らかにできるのは、本校の教育者だけなんです。だから私たちはそう判断しました。
二宮先生もそうですよね」
 「はい。今回は校長のおっしゃることと同感です。対外的に生徒の自殺を公表することと、その後、我々が
教育者としてやらねばならないことを分けて考えざるを得ないと思います」
 「みなさん、ご異議はありませんか?」
 職員室は再び、沈黙に包まれた。
 「八時半から全校集会をして、その後の授業は休講にします。そして九時に教育委員会から幹部のみなさんと話の
摺り合わせ、十時から記者会見、その後、夜になって保護者説明会という流れになります。担任の先生にお願い
なのですが、この事件についてマスコミなどに聞かれたとき、決して軽はずみなことを言わないようにと釘をさして
おいて下さい。いいですね。それでは、各自、教室に待機して、生徒たちが登校したら、速やかに体育館に
誘導して下さい」

                         ※

 七時十五分。二年C組の教室はいつものように雑然としていた。大宮明の席も、いつものように主が来るのを
静かに待っている。一体、今、この教室で何が起こっているのだろう。あの笑顔は、活気は、すべて偽りだだった
のだろうか?
考えても、考えても、突きつけられた現実への答えが出てこない。
 あるアメリカの調査によると、現代の子供たちは小学校を卒業する時点で焼く八千件の殺人、約十万件の暴力行為を
目撃しているという。テレビの世界で、映画の世界で、ビデオの世界で、ゲームの世界で、インターネットの世界で…。
戦時中育った子供だって、十歳ちょっとでそれだけの殺人や暴力行為になど触れることはなかっただろう。
また、彼らが目にしているそれらはすべてバーチャルリアリティー。そう、そこには痛みは全くないのだ。
必然的に、大人たちが常識として想像する以上に、彼らの命や衝動に対するハードルは低い。時に簡単にそのハードルを
飛び越えて行ってしまうのだ。一体、僕らに何ができるだおろう…。無力感に押しつぶされそうになる。
もうすぐ、彼らが登校してくる。怖い、たまらなく怖い。こんなこと思ったのは教師になって初めてだ。
でも、怖くて、怖くて、仕方がない。
 チャラリラリン チャラリラリン
 シーンとしている教室に携帯電話の着信音が響いた。きっと、昨日、誰かが教室に携帯を忘れていったのだろう。
 チャラリラリン チャラリラリン
 チャラリラリン チャラリラリン
 着信音が鳴り止まない。
 音は窓側の後ろの方から聞こえる。僕は音を頼りに進んだ。音は窓側後ろから三番目のサヨコのバッグから漏れて
きているようだ。
 そういえば、昨日、サヨコは授業中、僕と一緒にアキラの家に向かった。そして、帰りは僕が自宅に送ったから、
荷物は学校に置きっ放しだったはずだ。「携帯電話がなければ生きていけない」、なんて言ってる若者がいる
くらい、彼らにとって、携帯は必需品。さぞ、こまったことだろう…ん?
でも待てよ。昨日、サヨコ、確か、携帯電話を持っていなかっただろうか?
いや、確かにもっていた。あのキラキラにデコレートした派手な携帯電話をずっと握り締めていた。
ってことは、あいつ、携帯電話、二つ持っているのか?中学生が?
 たいした罪悪感もなく、座席の横のフックに掛けてある、銀色のバッグを開けてみた。すると、そこには
見慣れない、地味な小型の携帯電話がちょこんと入っていた。手にとってみると、それはPHSだった。
PHS同士だと通話料が無料。そのため、中高生たちが『親の知らない第二携帯』として利用しているという
話を聞いたことがある。
 ディスプレイには、電話着信19件とメール着信マークが表示されていた。なぜだろう?
いつもなら、そんなことをするはずないのに、そんなことはしてはならないのに、突き動かされるように、
サヨコのPHSメール着信ボックスをクリックした。
「だれ!そこで、何してるの?」

                     ※

 「これで全員?」
 「まだ、まだ東中の琢磨と、桜中の直美たちが来てないよ」
 「ったく、時間にルーズな奴は社会で通用しないって大先生たちがいつもいってんじゃん」
 JRと私鉄日本が交差するS液はいつものように通勤・通学の群れで溢れている。能面の戦士たちは、路上で何度も
差し出されるティッシュさえ目もくれず足早に目的地に向かって流れていく。
 しかし喧騒の外界とは反対に、夜になると賑わいを見せるS駅前の大手カラオケボックスは人の出入りは全くない。
昼にもお客が来るようにと、一時間のボックス利用料は百円。部屋の中での飲食代をあてこんでの価格設定だ。
朝から昼にかけてのこの時間は、カラオケボックスというより、テレビ付きの百円レンタルスペースといった方が
適当だろう。
 アルバイトの店長は、入り口のカウンターで大音量で流れている、再結成された伝説のハードロックバンド、
レッドツェッペリンのDVDを眺めながら煙草の煙を燻らせている。社員が来るのは午前十時。
七時から十時までの三時間を雇われ店長は、『時給付きリラックスタイム』と仲間たちに吹聴している。
 「あ、店長、おはよっ。みんな、もう来てる?」
 受付前の自動ドアから四人の少年少女が入ってきた。
 「おう、お前らか。もう先に何人か来てるぞ。いつもの四一一号室だよ。それから、何度も言うけど、ここに
来るときは制服はまずい。なんでもいいから上に上着を着てこいよ。補導員なんかに摘発されたら、俺がクビになっちまう。
こんなにおいしい仕事、他にはなかなかないからな」
 「ハイハイ、いつもの部屋ね。アイスティー三つお願い」
 「勝手に厨房から持ってけよ。俺のリラックスタイムをジャマするなら、もう出禁にすんぞ!」
 「とかいって、俺らのグループから場所代として一回一万円も懐に入れてるくせに。一時間百円の部屋にさ!
まっいいけど。お互いの利害が一致してんだから。マックじゃ話せないこともたくさんあるしね」
 「無駄口叩いてねーで早く行けよ。仲間が待ってんだぞ」
 促されるように、四人は厨房に入りドリンクを調達し、四一一号室に向かった。

 「ワリー!遅れた。秀多が遅刻してさ」
 「いいから、早く座れよ。これで揃ったよな」
 十名以上の中学生が朝七時、カラオケボックスに集合している。何とも違和感を感じる不思議な光景だ。
楠木中、西中、旭中、緑中…管内の中学校の代表者たちだ。その養子は一昔前の『いかにも』な姿とはまったく異なる。
『どこにでもいる中学生』そのものだ。
 世の中で学校選択制の是非が問われているが、中学生たちの意識の中では、学校の壁がなんてとうの昔に存在していない。
確かに、学校の授業はそれぞれの学校の教室で受けるが、大半の生徒たちはそのあと塾に通っている。
 その意味では、みんな同じ場所に通う同級生といえるだろう。
そして、学校と違い、塾は生活指導がない。講師の多くもアルバイトの大学生。勉強さえしていれば、口うるさく
説教されることもない。まあ、うるさい講師がいたら、年に数回行われる授業アンケートの時に、みんなにチェーンメールを
回して、一斉に『最低ランク』にマーキングさせれば、たちまち左遷、よしんば教室に残っても、従順な子羊になってくれる。
 大人たちが縄張りを守ることに必死な一方で、子供たちはより広い世界で広く浅くつながりながら様々な企てを行って
いる。大人なんていつも蚊帳の外なのだ。
 メンバーの中には自殺したアキラの幼馴染のトオル、そして、サヨコもいる。部屋のモニターからはNHKのニュースが
流れ、キャスターは無表情のまま悲劇の事実を伝えている。
 「テレビなんかで見た奴も多いと思うけど、昨日、メールで流した通り、楠中のアキラを『口なし』にした。
俺たちのBizが、台無しになるところだったんだ。これは影指令だから。ニュースの報道では予想したとおり
「いじめ自殺の可能性」ってことになってるから、トオルやサヨコの楠中以外は、何も聞かれないと思うけど、
もしかしたら、アキラの家に出入りしてたってことで、話を聞かれることがあるかも知れない。
その時は、「よくはわからないけど悩んでた」とか、適当に言ってごまかせば平気だから。
あと、俺たちが回してたブツのことだけど、販売していた裏サイトは昨日のうちに閉鎖しておいたから。
んで、確認なんだけど、サイトを通さないで直接、売ってた奴はいないよな?」
 西中のリーダー格のユタカの問いに全員、黙って頷いた。
 「あと、万が一のこともあるから、携帯の送受信はすべて消去しておいてな。んじゃ、解散。
遅刻だけはするなよ。いいか、俺らスレスレでやってんだから。ヘマしたヤツは『口なし』だからな。
今のご時世、無理やり首を吊らせようが、突き落とそうが、みんな自殺になっちまう。それだけは覚悟しておけよ」
 少年、少女たちがひと時の朝ミーティングを終え、それぞれの学校へと向かっていった。

                 ※

 「だれ?そこで何してるの?」
 不意に声をかけられた僕は、驚きの余り仰け反り、隣の机で腰を打った。
 焦りながら振り返ると、そこにはヨウコがいた。反射的に手にしていたPHSはポケットに入れていた。
 「ああ、ヨウコか。びっくりしたよ。いや、実は今日、大変な事件があって、緊急の全校集会があるんだ。
 だから、先生たちは生徒がくるまで職員室で待機してるんだ。うちのクラスに関わりがある事件で…
それで先生、落ち着かなくて、教室をウロウロしてた。ヨウコはいつも、こんなに早く学校にきてるのか?」
 訝しげな表情で僕を見つめるヨウコに、僕は努めて冷静に話しかけた。
 「私、ずっと不登校だったから…今も、人間関係とか慣れなくて。だから、一番に教室に来るようにしてるんです。
遅れてきて、みんなの中に入るんじゃなく、私がいる教室にみんなが来る。その方が怖くないから…」
 「そうか、でも、それはいい考えだな。僕も毎日、ヨウコが学校に来てくれていて、本当にホッとしているし、
嬉しいよ。でも、ヨウコ…実は昨日、大変なことが起こってしまったんだ。アキラが…自宅で…自殺したんだ」
 「…知って…ます。昨日の夜、クラスの人たちから連絡が来たから。信じられなかったけど、本当だったんですね」
 「ああ、僕もいまだに信じられないんだ。なあ、ヨウコ、アキラ、クラスでイジメられてたとか、一人ぼっちだったとか
ここ最近で、なんか変わった事ってあったか?」
 「アキラくんって、クラスの中心だったし、アキラくんがイジメられるんだったら、私なんかとっくにイジメられてるよ。
優しかったし、人気もあったし…」
 「先生もまったく理由がわからないんだ」
 そんな受け答えをヨウコにしながら、僕は確信した。イジメ自殺なんかじゃない。
家庭的に悩んでの自殺でもない。薬物が原因で死んだんだ。間違いない。
 「おはよう」
 「おう、おはよう」
 一人、また一人と生徒たちが登校してきた。みんなアキラのことを知っているのだろう。どの声も教室の床へと
沈んでいった。

 「全校生徒に連絡します。ただいまより、緊急の全校集会を行います。担任の先生の指示に従い、椅子を持って
至急、体育館に集合してください」
 教頭から全校放送が終わると、体育館への移動が始まった。「なに?なんかあったの?」事情を全く知らない
生徒たちの問いと、「C組の生徒が自殺したらしいよ」という答えが不規則に廊下にこだましていた。
僕はその中を口を真一文字に閉じながら、クラスの生徒たちを機械的に体育館へと誘導し、整列させた。
 生徒たちのざわつきは収まらなかった。数人の生徒は登校する途中、記者らしき者から自殺のこと、イジメのこと、
教師のことなど、色々な質問をされたらしい。校門の陰にはテレビ局のクルーが乗った晩も待機しているという
話だ。
 校長の屋敷がステージに上がった。瞬間、体育館は静まり返り、校長の足音だけが広い体育館に響いた。
屋敷は厳しい表情を浮かべながらステージ中央に設置されている演台の前まで行き、「ゴホン」と咳払いを
した後、ゆっくりと口を開いた。
 「今日は、皆さんに悲しいお知らせをしなければなりません。昨日、この学校に通う二年生の仲間が、仲間が…」
 言葉が途切れた。生徒たちは、息を飲みながら、次の言葉を待った。
 二宮は冷めた目でそんな校長を眺めていた。自分のことしか考えていない校長が、事実、昨日だって、アキラの
死より、大麻のことを案じていた校長が、きっと体育館の後ろに教育委員会の幹部が来ているからだろう、
ミュージカルの主人公のように大げさにステージ上で声を詰まらせている。ひどく滑稽に思えた。
 「仲間が…その尊い命を自らの手で絶ってしまったのです。私たちは、これまで授業や学校生活を通して
命の大切さをずっと訴えてきました。それが届かなかった無念…私は無念です」
 校長は眼鏡を外し、ポケットからティッシュを取り出し、目頭を拭いた。なんとも芝居がかった演出。
しかし、そんな校長の姿を見ながら、何人もの生徒が泣いている。校長を嫌悪する一方で、子供たちの感受性を
たまらなくいとしく思った。
 「これからホームルームに戻って、命についてしっかりと話し合って欲しい。このような悲しい出来事が、
二度と、二度と、起きないように…」
 校長は一礼して、壇上から降りた。その間、わずか三分。企業で不祥事が起こったとき、従業員への説明が
わずか三分だったら、いったいどうなるだろう。まさに「学校の常識、社会の非常識」だ。
教頭の合図で、生徒たちはそれぞれクラスごとに教室へと戻った。

 

最終更新:2008年04月01日 15:21