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元教え子との結婚の経緯について検証します。

マスコミに出始めは、当時担任していた女生徒と交際し、妊娠、退学させたが、結婚したことで「責任を取った」「純愛だった」と主張。

講演会や本、「徹子の部屋」では出産に立ち会ったことを感動的だったと語っている。

週刊アスキー 200596日号 進藤晶子との対談では、大麻事件で傷ついた女生徒の相談にのっているうちに結婚になったと発言。

月刊LEE 20056月号では、退学後交際を始め、1年半後に妊娠発覚と発言している。教育委員就任直後のインタビューである。

 

また、瀬戸内寂聴との対談本「私の夢 俺の希望」では、退学後交際をはじめ、12月に結婚、2003年5月出産と主張している

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「私の夢 俺の希望」(瀬戸内寂聴と共著 PHP出版)p190より

義家 妻とのことについては、俺は外に向かって語ったことがないんです。家族が好奇な視線にさらされることが怖くて……。

でも、寂聴さんなら変な色眼鏡や興味本位ではなく受け止めてもらえると思うので話します。

 確かに妻は俺の教え子です。そして、北星余市高校の中退生です。

彼女は一年遠回りして、俺のクラスの生徒として北星余市に入学しました。周囲に流されることなく、自分の世界をきちんと持っているしっかり者。目の前の彼女に対しての印象でした。

 事実、一年生のときは何の問題もなく、ほぼ皆勤で学校に通ってくれました。でも……

二年生になると、突然、彼女は学校に来られなくなりました。

瀬戸内 来られなくなった?

義家 そうなんです。毎朝、しっかりと起きているのに、寮の部屋に閉じこもり、学校に来ることができなくなってしまったのです。

 俺は、何度も彼女の元を訪れて、「今、頑張れば大学にだっていける。どんなに辛くても、この場所でいろいろな人間関係を学べば必ず将来に繋がる。とにかく歯を食いしばってでも学校に来るんだ」って、そう励まし続けたんです。

 でも、彼女の口から出る言葉は、俺やクラスに対しての不満だけでした。学校と彼女をつないでいる時間数だけが、刻々と減っていったんです。

 そして、あと一日休んだら、時間数が切れて彼女は学校をさらなければならない。そんな日がついにやってきたんです。

瀬戸内 それで義家さんはどうしたの?

義家 前日、俺は一睡もできませんでした。一年と三ヶ月、俺は一体、彼女のために何をしてきただろう?とずっと自問自答し続けました。

 思えば、彼女は、俺にとって「問題のない、手がかからない生徒」だった。いや、現実には、彼女もまた、ほかの生徒と同様に、たくさんの悩みや不安を抱えていたはずなのに、俺はそれに目を向けず、勝手にそう決め付けていた。そう、俺は彼女の心の中を見ようとさえしてこなかったんです。

 そのうえ、彼女が学校に来なくなってからは、「やめたら絶対に後悔する。今、頑張れば、その先の未来でたくさんのものが手に入るんだ」なんて、一般的な話ばかりを繰り返して説得していたんです。

 でも、そんなこと、彼女が一番わかっていたことで、だからこそ、彼女は実家にも帰らず、一人、寮の部屋で思い悩んでいたんです。

瀬戸内 それでどうなったの?

義家 時間数が切れる日の朝、朝六時半に彼女を迎えに行き、海に連れて行きました。そして車の中で彼女に謝った。

「今まで、ほんとうにゴメン。俺はおまえのことを何もわかってやろうとしていなかった。結局、いろんなことを考えて一睡もできなかったよ。

 時間数が切れたら別れ、そう考えながら、今まで俺がおまえに対して投げかけてきた言葉の一つひとつを思い返してみたよ。そして、気がついたんだ。俺の言ってきたことって、実はおまえ自身が一番わかっていたことだったんだな。それさえ気がつかなかった俺は、ほんとうにダメな担任だよ。

 もし、まだ、おまえの中で学校をやめるか、続けるかの答えが出ていないなら、俺のために続けてくれないか。俺はもう誰もクラスの人間を失いたくない。それは俺のエゴだよ。でも本音なんだ。まだ時間数は切れていない。答えが出ていないなら、俺のために続けてほしいんだ。」

瀬戸内 「俺のために」って言ったのね。

義家 ええ。そして、そんな俺の言葉に、彼女は黙ってうなずいてくれました。

それからは毎日、彼女を寮に迎えに行ったんです。半ば強引に車に乗せ、教室に運びました。

 それが彼女にとっていいことなのか、そうでないのかさえ考えずに、ただ、毎日、彼女が学校に通っているという事実に自己満足していたんです。バカな教師です。

瀬戸内 忘れもしない2001年の秋に、本校生七十九名が大麻の吸引に関わったという、いわゆる大麻事件が起きたんです。

 彼女はその事実を受け止めることができませんでした。彼女の心は壊れる寸前だったんです。事件の説明をしたホームルームで、彼女はただただ泣いていました。

「もう俺のために続けなくてもいい」

俺にはそれしか言ってあげることができなかったんです。そして、彼女は学校を去りました。

瀬戸内 ………。

義家 でもね、寂聴さん。それからも、俺たちは連絡を取り合ったんです。たとえ目の前にいなくなってしまっても、彼女が俺の大切な存在であることにかわりはないわけですから。

 

 それで、ある日、これからの人生の不安を吐露する彼女に俺は言ったんです。

「俺が一生、おまえを守ってやる」って。

彼女は、俺に人生を賭けると言ってくれました。

瀬戸内 そうでしたか。それで、クラスの生徒さんたちの反応はどうだったの?

義家 翌日、俺はまず、そのことをクラスの生徒たちに告げました。正直、彼らがどんな反応をするのか心配でしたけど……。

 すると彼らは言ったんです。

「あんた、本気で俺たちに人生を賭けてたんだな」と。

こうして2001年の冬に、俺たちは結婚しました。たくさんのクラスメイトたちが結婚式にかけつけてくれて、俺たちを祝福してくれました。なんだか本当に幸せでした。」

 

*出席日数が足りないのなら、とりあえず休学させれば良かったのでは?

この話が本当なら、大麻事件で学校が大変なときに交際して結婚準備していたことになるが、それで男子生徒が「本気で俺たちに人生賭けていた」と言うのはおかしくないかね~

 

 

日刊ゲンダイ 2007.1.18
「ヤンキー先生に元教え子妊娠疑惑を直撃した」
 義家氏は北海道・北星学園余市高校の教師時代の教え子と
結婚しているが、その経緯について、ネット上であらぬ風評が
立っているのだ。疑惑を追及するサイトにはこんなことが
書かれている。<(義家氏は)マスコミに出始めたころは、
当時担任していた女生徒と交際し、妊娠、退学させたが結婚した
ことで「責任を取った」「純愛だった」と主張(した)。
でも、(05年の雑誌対談では)大麻事件で傷ついた女生徒の
相談にのっているうちに付き合うようになったと発言。
(別の雑誌では)退学後交際を始め、1年半後に妊娠発覚と発言
している>
 要するに、発言がコロコロ変っているので怪しいというわけだ。
 義家氏は作家・瀬戸内寂聴氏との対談本「私の夢 俺の希望」の
中で、夫人が元教え子であることを認めている。そして、01年秋に
彼女が学校をやめ、同年冬に結婚したことも告白している。
妊娠うんぬんの話が本当ならば、そんな人物が教育再生会議で発言
しているのは違和感を覚える。
 真相はどうなのか、義家氏を直撃した。
 本当に教え子を妊娠させたんですか。
「まったくの事実無根です。妻は結婚(01年冬)後の03年に出産し、
子どもは来年から幼稚園に入ります」
 彼女が01年秋に退学してすぐに結婚しているが、在学中から交際を
続けていたのではないか。
 「教師と教え子としての意味での交際はありましたよ。ただ、恋愛関係の
ある交際は一切なかった。当たり前でしょう、私は教育者ですから

 では、彼女が退学してから、交際を始めたということですね。
「退学後も交際はしていません。当時、学校で大麻使用者が続出した事件で、
彼女はボロボロでした。夫として守らなきゃいけないと思った。
彼女は一般人なので詳細については言えませんが」
 恋愛関係のある交際がないのに結婚するのは不自然な気もしますが。
「個人の信念です。純愛なんていつでもできるけど、結婚は簡単に
できることではないんです」
 ネットで書かれている疑惑については全面否定だが、どうもよくわからない
説明だ。夫人のプライバシーもあるのだろうが、きちんと語って欲しいものだ。

いやぁ~参りましたね。すごいアクロバティックな言い訳です。

個人の信念ですか、そうですか。

まぁ、この人の信念はコロコロ変るからさw

(主張の変遷参照)

またしても疑問ですが、大麻事件で傷ついた事件に関わらなかった生徒は奥さんだけだったのでしょうか?ほかにも生徒はいたでしょう?その生徒たちはほったらかし?守らなくてもよかったのか?

自伝「不良少年の夢」の寄せ書きの写真では

女子生徒の名前が複数ありますが。

1/13放送のスマステーションの再現VTRで

教師たちは大麻事件に関わらなかった生徒のフォローをやったとありましたが、そのフォローが結婚?

生徒のフォローで結婚するなら、同性の生徒はフォローしないということですか?

不思議な学校だなぁ~北星余市って。

 

恋愛関係のある交際期間なし、信念で教師として傷ついた生徒へのフォローのために結婚したということは、今も当時も奥さんへの恋愛感情はないということですね。

でも、子どもは生まれたとw

 

>彼女は一般人なので詳細はいえませんが

ほかの生徒たちの問題行動や悩みなどは実名を載せてさんざんネタにしてきたのに、どうして奥さんだけ”一般人”として特別扱いなんでしょうか?

ほかの生徒たちは一般人じゃないんですか?

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週刊アスキー 2005年9月6日号
「進藤晶子のえ、それってどういうこと?」
より抜粋

交際ゼロで中退生と結婚してしまいました
進藤 そのご家庭は、すこぶる円満だとか。
義家 いやー、結婚だけは一生しないと思っていたんです。
結構、ヒドイ目にもあってきたから、ホント、女性恐怖症で(笑)。
進藤 それでも踏み切った(笑)。
義家 気合かな(笑)。
進藤 そこが足りないんだなぁ、私は(笑)
義家 ハハハ。でも今の妻じゃなければ、結婚はしなかったと思います。
進藤 どういうことですか?
義家 うちの学校を中退した生徒だったんです。自分も関わっていた生徒だったんですが、
なにもしてやれなかったんですよね
当時を思い出すと苦しい気持ちになるんですけど。
進藤 なにかあったんですね。
義家 彼女は、突然学校に来れなくなってしまったんです。自分はその理由もわからず、
ただ一生懸命やればこの子も学校に来られるようになり、卒業してから感謝してくれる
はずだと、勝手に思い込んでいたんですね。だから、毎朝、迎えに行って強引に
学校に連れて来ていたんです。
とにかく、「がんばれ、今が乗り越えどきだ」と。
進藤 エールを送り続けた。
義家 まったく問題のない子で、目立つ子ではなかったから、つい、話を聞いてやれずに
いたんです。いっぽうで、彼女も彼女なりにがんばっていて。でもそんなとき、大麻事件
が起きてしまって。
進藤 学校不信になっちゃった。
義家 「この学校、なんなの」という思いになって、心が壊れちゃったんですね。
だから、僕も「もう辞めていい」と言って、強引に学校へ連れてきていいたのは自分の
自己満足に過ぎず、自分はなにもできていなかったことを謝ったんです。
進藤 生徒に謝るなんて、そんな等身大の先生、いてくれるものなのね。
義家 それからしばらくして、「これからどうしたらいいんだろう?」みたいな不安を
彼女に相談されて、ホント、自分でも不思議なんですけど、「俺が一生守ってやる」と
言ったんですよね。
進藤 またまた、おおーっ!!(笑)。
義家 今思うと信じられませんけど。生徒としてはもちろん知っていますが、交際期間は
ないんです。
ホント、信じられませんよね。
進藤 いやいや、やっぱり人生の節目には、そういう勢いも大切なんでしょう。
義家 ほかの先生方にも「生徒を大事にしているのはわかるけれど、それは結婚とは
違うんだ、やめておけ」と言われましたよ。でも意地になりましてね。
「うるせーっ、俺がいいと思ったから決めたんだ」みたいな感じで。
進藤 まさに気合だ(笑)。
義家 すぐに安心させたかったということもありましたから。ご両親も理解してくれて、
それですぐに入籍、結婚しちゃった。ふつうならありえないですよね、今でも信じられ
ないですよ(笑)。
進藤 うふふ、でもお幸せそう。
義家 まったく後悔してませんし、本当に幸せです。

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要するに

「メンヘラになって中退したから結婚して救ってやったぜ!付き合うほど好きじゃないけど。」

ということですね。同僚から止められて意地になって、勢いついて結婚しちゃったと。

だから、幸せといってるこの時期に熊本の高級ソープに通っていたとw

「なにもできなかった」と言ってますが、本当にそうでしょうか?

心が壊れたのなら、結婚するよりまず親元に帰すか、専門医に診せる、カウンセリングを受けさせるのが

教育者としての指導では?

また、北星余市は登校できなくなり出席日数が足りなくなったら即退学という制度ではないようです。

「留年」という規定があると元校長が講演会(注1)で述べています。

どうして、留年・休学という処置すらとらず、退学になるまでほったらかしていたんでしょうね?

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(注1)

記念講演 子ども・教育・平和――
「ヤンキー先生」を育てた生徒・父母・教師・地域
深谷 哲也(北星学園余市高等学校前校長)
(季刊保育問題研究 新読書社/全国保育問題研究協議会編集委員会
2005.10)より抜粋

不登校の子どもたちについて
 普通は不登校の経験を持った子は、高等学校の場合は学年制であり単位制ですから、例えば欠席日数が二割以上オーバーしたら留年という留年規定があります。
(中略)
 ところが今から十年ぐらい前のことです。すごく一生懸命な不登校の子どもや親たちが多く出て来て、
ぜひ入れてほしい、試しにでもいいからと必死で言う。
その熱心さに私たちも負けてしまって、入学の判定会議で決定し、何十人か入れてみたのです。
すると私たちの認識をくつがえすことになりました。そんな子どもたちが、実にきちんと学校へ通うの
です。もちろんなかには来られなくなる子もいました。しかし、今まで不登校で小学校も中学校も
ほとんどいけないとか、中学校も三年行っていないとか、さまざまな不登校児たちが、北星余市高校に
来ると、欠席は私たちが決めた規定の二〇パーセント以内におさまり、きちんと学校に通う子が
八〇パーセントぐらいいるという事実にぶつかったのです。