「不良少年の夢」P146より引用
大学四年生。世の中にはまだバブルの余韻が残っていた。そんな中、私は就職が内定していないばかりか、就職活動さえもしていなかった。自分自身の逃げ道をなくすことで自分を追い込んでいた。
司法試験に合格する自信はなかったけれど、逃げ道があったらそこに迷わず逃げ込むであろうという自信はあった。だから逃げ道を自ら断った。
(中略)
アルバイトの帰り道、オートバイで家路を急ぎ、猛スピードで駆け抜けていた私は、緩やかなカーブを曲がりきることが出来ずに民家の石塀に激突した。胃、腸、すい臓、肝臓、腎臓、命を司る複数の内臓は破裂し、致命的なダメージを受けた。私は意識不明の重体となった。(中略)
ICUで二十四時間態勢(原文ママ)で治療が行われた。呼ばれた両親は、命の保証はできない、覚悟をしてほしいと医師から告げられた。(中略)
かけつけた両親も思ったという。このまま意識が戻っても、もとの日常生活に戻れる保証はない。
ヘルメットをかぶっていたとはいえ、頭も強打している。一生をベッドの上で送ることになるかも知れない。
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ならばいっそ楽にしてあげたい。
昏睡する私を見てそう思ったのは、両親の優しさであろう。
(中略)
それがいつだったかはわからない。顔にあたる生暖かい雫に気づき、ゆっくりと目を開けた先に、恩師、安達俊子先生がいた。
信じられない光景に思えた。また幻覚を見ているのかと思った。
私は必死に力を振り絞って、激痛に耐えながら言った。
「せ・ん・せ・い・・・・・」
私の右手はしっかりと、先生の小さく暖かい両手に包まれていた。
先生は、苦しむ私に涙を落としながら言った。
「義家君、死んではだめ。あなたは私の夢だから。だから死なないで・・・・・
あなたは私の夢だから・・・・・・」
横浜から遠く離れた北海道からかけつけてくれた恩師の懐かしいぬくもりが私の体を包んだ。
力なく私はうなずくことしかできなかった。
先生は枕元で、吐血する私の血を拭き、下血で汚れた私のオシメをかえた。
激痛で意識を失い、そして再び激痛で現実に引き戻されても、目を開けるとそこに安達先生がいた。
(教員免許取得についての疑惑のページに続く)
【追記】
資料集(その13)義家父の文章より
午後七時、先生来院。点滴針二本、輸血針一本、腹部から腹水を抜くためのチューブ八本、先
生葉青ざめた顔にあえて笑みを浮かべて、「義家君、先生わかる?」倅も苦しみをこらえて微か
に頷く。教師と教え子の間には目に見えない太い絆がある。枕元に座り、しっかりと手を握る。
ふたたび吐血。なんのためらいもなく、ティッシュをとり口元を拭う。身内もおよばぬ看病。
医師が来て「今夜が峠でしょう」。涙を浮かべて、夜が白々するまで動こうとしない先生。一睡
もせず枕元に座る。倅の呼吸が静かになり眠りに入る。やった!これで峠は越えた!
あれ?吐血をティッシュで拭いただけ?おしめの交換は?
それで身内もおよばぬ看病とは、身内は何もしてないということでしょうか?
義家&千原ジュニアHOT&COOL対談
http://moura.jp/bungei/330/
義家 「僕は危篤の最中に、生きることを決意したんですよ。
グレていた頃に通っていた学校の先生が見舞いに来て、手を握りしめて、血を拭き取ってくれて。
“あなたは私の夢だから、死なないで”と言ってくれたんです。
最初は、4年も前に卒業したチンピラのために先生が来ているなんて、夢だと思いましたね。
でも、だんだん現実だとわかって……、その時に“なんとしても生きよう”と決意しました」
この対談でも、おしめの交換はないですね。
看病から見舞いに変わってますw
共産党を捨て自民党から出馬したことを批判されたから、
(資料集(その23)参照)
美談を縮小(というより修正?)しているのでしょうか?