語り継ぎたいノスタルジィ


                       書いた人:樫村

神社仏閣を訪れよう


寺院や神社で"参拝"する際、日本人は何に対して祈っているのだろうか?神?仏様?森羅万象への名状しがたい畏怖?

おそらく、宗徒でないかぎり参拝者の大半は祈るということに意識を向けていない。我々は、神や仏様を偶像とし、そこに投影した自分自身に祈っているのではないだろうか。少なくとも私はそうであると考えている。わからんけど。

ただ、ここで参拝の形態について論じるのはナンセンスである。要するに、神社仏閣は日本人にとって気張らず訪れることができる場所だということが言いたいのだ。



神社仏閣を訪れよう———楽に行こう


神社仏閣を神社仏閣たらしめるもの、それは参拝道である。参拝のみを目的とする人はなかなかいないだろう。大きな神社仏閣であれば、参道にはさまざまな土産物屋や茶屋が軒を連ねている。名物料理を我々のお腹に詰め込んだり、伝統細工にぞっこんにさせようと手ぐすね引いている。参拝のついでに美味しいものを食べたくなるのは必定。私だってそうだ。神社で食べる団子は妙に美味く感じる。まさに参道マジックである。
名物目当てで行ってみるのも、楽しみ方の一つだ。


私は保育園児の時に、保育園の教会のミサに通っていた。別に熱心なバテレン教徒だったわけではない。祈りをささげる「アーメン」の言葉が、アメを貰える合図だと信じてやまなかったからだ。幼い私は純朴かつ阿呆であった。

教会の椅子というのは聖書もろもろを収納するためのカゴが背もたれにくっついているのだが、「アーメン」の声が響くたびに、当時好んでいたサクマの"いちごみるく"が入っていないかそのカゴを覗き込んでいた。もちろん入っているはずもない。しかし私は一縷の望みをかけて、飽きもせずアメを探し続けた。だから私の中でキリスト教は"いちごみるく"と密接に関係している。
幻のアメを求め、2年間ミサに通いつめたあの頃。

動機はなんだっていい。行こう。



語り継ぎたい神社仏閣



少々語りが過ぎてしまった。ここからは私が実際に訪れた神社仏閣から、ぜひぜひ行っていただきたいものをご紹介したい。

地域はなるべく関東圏に絞るが、時に他地方へ飛び出すこともある。若人は旅に出ろ。


1.深大寺     東京都調布市

東京屈指の古刹なのだが知名度が異様に低い不憫な寺。
深大寺そばが名物。参道には蕎麦屋がしのぎを削っている。
私が上京して初めて訪れた寺でもある。

何より景観が大変よろしい。本殿まで真っ直ぐのびた参道の両脇から、新緑が影を落としている。郊外の丘陵地に立地するのでとても静謐な環境。遠出したような気分が味わえる。
先に述べた通り、そばが非常に有名。綺麗な水のおかげで良いそばが打てるのだとか。徳川将軍や蜀山人も褒めたそば、来たら食べずにはいられない。あと仲居さんやそば職人の募集が多い。野宿でそばを打とう。野そば。

しかし、残念なことにこの寺、規模が小さい。青山キャンパスより小さい。よって想像よりもあっさり一回りし終えてしまう。時間を持て余し途方に暮れる参拝客。そこで、私は深大寺のおすすめ周辺施設を紹介したい。


・「神代植物公園」   深大寺に隣接する植物園。かなり大きい。深大寺よりでかいんじゃないだろうか。


・「湯守の里」   付近にある温泉。深大寺から湧く天然温泉。黒い湯。なんかよさげ。


さすが古刹。アフターケアも万全である。規模は小さいが器は大きい。私もそういう人間になろうと思う。


宮益御嶽神社

言わずもがな宮益坂の途中に鎮座する神社。
ビルとビルの間に挟まれ、まさかこんな場所に?といった位置に建っている。
ちっちゃいので特に案内することがない。狛犬が妙に凛々しい。

11月になると酉の市が開催される。月に3回あり、開かれるたびに宮益坂に屋台が出る。

入り口は急な階段になっているが、その前にほぼ毎日同じ人がまんが喫茶の看板を持って立っている。
最終更新:2018年11月21日 14:47