どこの動物病院の患者さんにも必ず一人はいると思うのですが

怪我した猫を拾ってきては簡単な治療をうけさせ
元気になったら避妊をするでもなく去勢をするでもなく
また野に放すヒトや、餌だけあげるヒト。
(そして治療費を踏み倒したりする)


現在の正式な数はワカリマセンが、
毎年安楽死によって「始末」させられる野良猫は
50万匹に上ると言います。

怪我をした猫を助けたり、餌をあげれば
なんだかとてもいいことをした気持ちに
なれます。
手っ取り早いですね。

しかし、中途半端に手を差し伸べられた猫は
狩猟の本能が育ちきる前であれば
人間から餌をもらうしかなく
これまた中途半端に手を差し伸べる人間によって
生かされ、動物なので繁殖をし、
倍倍に不幸な命を産み落としていく。

目の前の命を見殺しにしろとは言いません。

ただ、一生面倒を見ることが、
その途方も無いエネルギーを費やせないのなら
(動物の飼育にはお金も手間もかかります)
見過ごすという
良心の痛みに耐えることも必要なのではないか。
そして、本当に何とかしたいのなら
必死に働いて、1匹でも多くの猫のために
現実的な救済をしてやるべきではないのでしょうか。


不幸な猫を減らすために
大変なエネルギーを使って野良をつかまえては避妊、去勢を
施して野に放している方々がいる一方で
そうやって本人にとってだけ
「動物を救っている」行為をとる人間がいるという事実を
臨床に出てから目の当たりにして
考えこんでしまうことが あります。

これまで獣医師は、病気の動物のことしか
知りませんでした。
しかし
動物のプロとして、社会の中でペットを飼う人間達
という位置にある飼い主に、
オーナーズエデュケーションを施す、というのは
町医者であるならばなおさら
非常に大事な役割であるように 思います。

動物を嫌いな人たちだって社会にはたくさんいます。
誰もがこの社会で快適に生きる権利があり、
動物との真に快適な共生を実現するために、
やるべきことはなんなのか。
各人よく考えていかなければならないのですね。

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最終更新:2007年01月02日 16:29