ウイグルの民族運動はテロなのか?ETIMに焦点をあてて


 中国政府は、ウイグルなど「少数民族」の反政府運動に対し、様々な呼称を用いて、弾圧を正当化してきた。反動分子、反革命主義者、民族分裂主義者など、時代に合わせて呼称を変えてきたが、2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件」以降は、「テロリスト」を用いるようになっている。
 国際社会からイスラム原理主義者によるテロに注目が集まるのに乗じ、中国政府は自らもイスラム・テロリズムの脅威に晒されているという構図を作り上げた。そしてその際に重要な鍵となるのが、東トルキスタン・イスラム運動(East Turkistan Islam Movement : ETIM) またはトルキスタン・イスラム党(Turkistan Islamic Party : TIP)という組織である。
 しかし、ウイグル研究者、ウイグルの政治活動についての研究者の中でも、2001年以前にこの組織のことを聞いたことがある人はほとんどいなかった。
 中国からの強い圧力があり、また「テロとの戦い」への同調を得るために、2002年アメリカ政府はETIMをテロ集団と認定し、次いで国際連合がこの組織をテロ組織として認定した。このように「お墨付き」のテロ組織として、ETIMの名前は、様々な事件の度に、中国政府によって利用されている。

一般的に認識されるところのETIM
 ETIMは1993年にホータン出身者によって設立され、その年に解散。1997年にハサン・マフスムとその師アブドゥルカディル・ヤプチャンによって再編成され、これが今日まで続く形となった。東トルキスタンを背教者である中国共産党政府の支配から解放し、イスラム国家を樹立することを目的とする。

 設立当初は、本拠地をタリバン政権下のアフガニスタン・カブールに置き、アルカイダによって武器や資金の支援、軍事トレーニングなどを受けたとされる。リーダーのハサン・マフスムは、アルカイダとのつながりを否定しており、武器も資金も受け取っていないと述べている。2002年にキルギスのビシュケクにあるアメリカ大使館への襲撃を計画したともされている。更に1990年から2001年の間に200の事件に関与し、162人を死傷、440人以上を負傷させたとされる。
 2003年にリーダーのハサン・マフスムがパキスタンで殺害され、それ以降ETIMの活動についての報道はしばらく止まっていた。恐らく組織として脆弱であったETIMはリーダーを失ったことで解散し、メンバーは身を隠さざるを得なくなったものと考えられる。しかし、2006年頃からはトルキスタン・イスラム党(TIP)が、ETIMの後継組織であるとして登場するようになった。
 2008年のオリンピック開催の直前には、TIPの名前で、文書や動画などによって中国政府へのジハード宣言が行われた。またこの年にはTIPが、上海や昆明など中国各地で爆破テロを実行した、などとされている。

中国政府の発表
 上記一般的に認識されるところのETIMについては、中国政府による公式発表に負う所が大きい。何か事件が起きる度に、その首謀者はETIM関係者であると、政府系メディアに報道されている。「アメリカ同時多発テロ事件」以降、中国政府はETIMの名前を出して公式発表を行うようになった。
 2001年11月、中国は「東トルキスタン組織によるテロ活動とオサマ・ビン・ラディンとタリバンとのつながり」という公式発表を行った。ETIMは、ビン・ラディンが率いるテロネットワークの主要な組織であり、資金30万ドルを受け取り、アフガニスタンでタリバンと共に320人のウイグル人テロリストが戦った、としている。
 更に翌年1月には、「東トルキスタンテロリスト勢力は処罰から逃れることができない」と題した白書を発表した。
 その後数年に渡り、ETIMのメンバーや、他のウイグル過激派組織、個人についてのリストを出し、テロの脅威についての公式発表を続けた。
 例として2003年12月に発表されたものをあげる。「東トルキスタン運動の活動報告 各テロ組織の概要」と題したこの発表では、4つの組織がテロ組織であるとしている。この中でETIMについては以下のようになっている。

『東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)
「東トルキスタン・イスラム党」「真主(アラー)党」「東トルキスタン・民族革命戦線」「東突イスラム運動」とも。ETIMは東トルキスタン運動における最も危険なテロ組織の一つ。テロ行為を通じて中国を分裂させ、新疆ウイグル自治区に政教一致の「東トルキスタン・イスラム国」を建設することを目指す。1997年にハサン・マフスムとアブドゥルカディル・ヤプチャンにより設立され、2002年9月11日には国連がテロ組織と認定した。』

 また2008年10月には、ETIMのメンバーであるとして8人の名前を追加した。これら中国の発表の中で、アルカイダと関連があるとしているものは、ETIMと「東トルキスタン解放同盟(East Turkistan Liberation Organization:ETLO)」である。中国政府はアメリカ政府に対し、ETLOもテロ組織として認定するよう求めたが、これは拒否されている。
 他に、「東トルキスタン情報センター」と、世界ウイグル会議の前身となった団体の一つである「世界ウイグル青年代表会議」をテロ組織であるとしている。
 これら中国の公式発表は、海外のウイグル諸団体からはもちろんのこと、在米のウイグル専門家や、アムネスティなど国際人権団体からも、きちんとした証拠があげておらず疑わしい、アメリカの「国際的なテロとの戦い」に便乗したものであるだろう、と考えられている。
 残念なことに、日本の外務省の海外安全ホームページ上では、これら中国政府の発表そのままが載せられている。
 なお、1990年4月にカシュガル近郊のバレン郷で、独立勢力が武装蜂起し庁舎を占拠、独立を宣言したものの、航空機による爆撃などを含め過酷に鎮圧された、と言われる「バレン郷事件」がある。この事件を起こしたのが「東トルキスタン・イスラム党」とされている。しかし2001年に中国がこの組織をテロ組織として宣伝する際に「東トルキスタン・イスラム運動」と名づけたと言われ、これはウズベキスタンで有名なイスラム過激派組織「ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)」と関連があるように見せかけたものとも考えられる。

米国及び国連のETIMテロ組織認定について
 アメリカが「国際的テロとの戦い」に踏み切って以降、これに合わせて、ETIMが国際テロネットワークの組織である、という公式発表を中国政府が繰り返してきたことについては以上で見たとおりである。
 そしてこれら中国の公式発表の後、2002年9月アメリカの大統領令13224と、国連安保理決議1267、1390により、ETIMはテロ組織として認定され、国際的な制裁を加えることが確認された。
 しかし、それまで研究者によって、ETIMについて触れたものはなく、また過去20年新彊ウイグル自治区で起こった暴力事件が実際にテロリズム組織によって計画的に実行された証拠もほとんど出されなかった。またアメリカ政府の発表は、組織の具体的な能力や、その存在自体の証拠が、中国政府の主張以上の情報を盛り込んで述べられていた。そのため、アメリカや国連がETIMをテロ組織として認定したのは、中国を全世界のテロとの戦いに乗り出させるための、取引であったのではないかと、一部のアナリストは考えている。更にそこには中国や中央アジアへの偏った知識が基になっているのではないかと非難する者もいた。

 いずれの思惑があったにしても、アメリカ政府がETIMをテロリストグループと認定したことが、その後の10年間、中国が主張する「ウイグルテロリズムの脅威」に対し、正当性を与える重要なものとなっている。更にこれは、シンクタンク、政策アナリスト、安全保障の専門家、学者らによる、ETIMに関する「知識の連鎖」を作ることにも正当性を与えている。
 この「知識の連鎖」は、ほとんどが疑わしい証拠に基づいており、ある人が発表したETIMについての情報をまたある人が引用し、十分な検証のないまま形つくられてきている。膨大な文献の大部分は、インターネットで見られるような二次資料で、疑わしい証拠に基づいている。これらの文献によるとETIMは好戦的で危険な集団であるとされているが、実際に中国政府が言う通りの事件に対し、ETIMがこれほどの洗練された高度な組織活動を行い得たという証拠はあげられていない。しかし、この「知識の連鎖」によるETIM像は、アメリカの安全保障分野での政策決定に対して、依然として強い影響力を持っている。

グアンタナモ収容施設などでの聞き取り調査
 ジョージワシントン大学のショーン・R・ロバーツ氏は数年前より、ETIMとウイグル人テロリストの脅威についての調査を始めた。グアンタナモ収容施設に拘束されていたウイグル人の審議について調査し、アルバニアに移送されたウイグル人にインタビュー調査を行い、更に中国からETIMメンバーと認定された数人のウイグル人とも会って話をした。
 彼らのほとんどがグアンタナモに来るまでに、オサマ・ビン・ラディン、アルカイダ、タリバンなどの名を聞いたことが無いと話した。

 彼らのうち一人が言った、「私達には10億の中国人が敵であるだけで十分なのに、他に敵をつくることがあるだろうか」という言葉に、彼ら拘束されたウイグル人が、アメリカを敵とはみなしていないということが現れているだろう。
 彼らの多くは、建物の修繕などを行うくらいで、軍事的トレーニングもほとんど受けておらず、アフガニスタンに滞在したのはトルコなど第三国へ亡命するための一時避難という認識であったことが、聞き取り調査の結果浮かび上がった。
 アメリカのアフガニスタンに対する空爆が始まってから、彼らはパキスタン北部に避難したものの、賞金稼ぎによってアメリカ軍に売り渡されたという。そして、敵の戦闘員であると見做され、22人がグアンタナモ収容施設に入れられた。2006年にそのうちの5人が無罪判決を受けアルバニアに移送され、後に残りの17人についても無罪が確定している。しかし中国政府は彼らがETIMのメンバーであるとして、釈放後の引渡しを求めている。中国への引渡しは死刑を意味するため、アメリカ政府はこの要求を拒否、2009年には6人をパラオ、4人をバミューダに、2010年には2人をスイスに移送し。現在は5人がグアンタナモにて、受け入れ国を待っているところである。

ウイグルで起きる事件はテロリストによるものか?
 テロの定義として、ロバーツ氏は合衆国法典22編の2656f(d)、『「テロリズム」とは、国家より小さな団体または非合法の工作員が、非戦闘員を対象に行う、政治的動機に基づく計画的な暴力行為であり、通常、一般大衆に影響を与えることを意図している』をあげている。
 これに対照すれば、2001年以降に、中国政府がETIMによって引き起こされた事件とするものの大部分は、組織的でも計画的でもあるとは言いがたく、使用される武器もパイプ爆弾やナイフなど貧弱なものであり、国際テロ組織とのつながりなどは見られるものではないと結論付けられる。
 2011年10月に中国政府は、テロ対策のための新しい法を採択し、反政府的立場の人や団体をテロリストと定義付け、これらへの弾圧する際の法的根拠を整備した。
 「テロ活動とは社会恐慌を引き起こし、国家機関または国際組織を脅迫することを目的に、暴力、破壊、脅迫その他の手段を用いて、人的死傷、重大な財産の損失、公共施設の損壊、社会秩序の混乱など深刻な社会的損害をもたらす、またはそれを意図する行為を指す。上記の活動を煽動、資金援助その他方式によって助力する行為もテロ活動とみなす」と規定している。
 2011年に入ってから、チベットの僧侶による焼身自殺が頻発しているが、中国当局は、この焼身抗議をも、「形を変えた暴力テロ」であると非難している。
 更に11月にはパキスタンとの反テロ対策の合同軍事演習を行なっている。これら一連の、ウイグル・テロリスト、民族主義者をターゲットとした締め付け政策は、今後更なる民族間の反発を招くことになるだろう。







最終更新:2013年07月11日 15:19