【春】-後編-
この世を去った者たちが静かに眠るフログエルの墓地。ひとつの墓標の前にロードブルはたたずんでいる。夕暮れの太陽が世界を真紅に染め上げ、ロードブルと墓標の影を長く伸ばしている。墓標の主はロードブルの妻。彼はかつて妻にそうしたように墓標に語りかけた。
「エライネが生まれてもう16年、早いものだな。あの子はずいぶんとおまえに似てきた。ワシも時々どきりとするくらいだ」
そう言いながら、持ってきた花束を墓に添える。
「ワシはエライネに騎士になることを許したが、今でも騎士以外の道を選んで欲しいと思う時もあるのだよ。恋をして、結ばれて家庭に入る。それも立派な生き方のひとつだ」
ロードブルは、穏やかに微笑んだ。
「それでな、あの子は最近、エクトールという若者と仲がいいようだ。騎士としてはひよっ子だが、はきはきしていて気分のいい男だよ。ワシも昨夜は酔った勢いでずいぶんと大人気ないことを言った気もするが、今はふたりが本気なら、交際したって別に構わないと思っているよ」
春風が彼の言葉に答えるようにロードブルの頬を優しくなでた。
「お父様、やっぱりここにいらっしゃったのですね」
突然の声に妻との語らいを中断させられたロードブルが振り向くと、そこにはたった今まで話題にしていた愛娘エライネが立っていた。
「おお、エライネ。すまんな、少し母さんと話をしていたのだ」
エライネは、母親の墓標とそこに添えられている花束を見て微笑む。
「お父様は、お母様のことを今でも愛していらっしゃるのですね」
「悪いかね?」
愛しているなどと正面切って口にされ、ロードブルはばつの悪さに開き直る。
「いいえ。素敵なことだと思います」
エライネは答えた。
「でも、そろそろ帰っていただかないと、せっかくの特製シチューが冷めてしまいますわ」
もう夕食の時間かと呟き、ロードブルは屋敷へと歩き始めた。その道すがら、ロードブルは楽し
そうに前を歩く愛娘をまぶしくみつめた。
そうに前を歩く愛娘をまぶしくみつめた。
(本当に、時のたつのは早いものだ……)
「さあ、お父様、たんとめしあがってくださいな」
娘に促され食卓に目をやってロードブルは驚いた。卓上には特製シチューをはじめ、いつになく豪華な料理が用意されていたのだ。
「ほう、今日はやけに豪華だな。なにかいいことでもあったのかね?」
エライネは一瞬、意外なことを聞かれたとでもいうような表情をしたが、すぐにいたずらな笑顔になった。
「ふふ、秘密ですわ」
娘の笑顔を見ながらロードブルは、もしかしたらエクトールとの間でうれしいことでもあったのかもしれないな、とぼんやりと思う。そう思ってしまうと、娘の用意してくれた料理も味気ないものに感じられた。食事中何度もエライネが話し掛けてきたが、ロードブルは気のない返事をすることしかできなかった。
しかし、夕食も終わろうという時。
しかし、夕食も終わろうという時。
「はい、お父様」
エライネがリボンのついた箱を食卓の下から取り出し、ロードブルに差し出した。ロードブルは訳がわからずにきょとんとする。
「お誕生日おめでとうございます!」
そこまで言われてもまだロードブルは事態が呑みこめない。父親があまりにも長い間呆然としていたので、エライネは箱を手に持ったまま不安げな表情を浮かべた。
「迷惑でしたかしら?」
「いや、とんでもない!」
ロードブルはあわてて首を横に振り、箱を受け取る。
「誕生日など忘れていた。とてもうれしいよ、ありがとう。……開けてもいいかね?」
「もちろんですわ」
ロードブルはリボンをほどき、箱の中をのぞく。中に入っていたのは衣服だった。これから暖かくなる季節にふさわしく、明るい緑色で、風通しもよさそうだ。
「こいつは、いい」
ロードブルは、素直な感想を口にした。
「喜んでいただけてうれしいですわ。私、男の方の趣味がよくわからなかったので、わざわざエクトールに相談しましたの」
ロードブルは、まっすぐに娘の顔を見詰めた。
「そうだったのか。わしはてっきり……」
「てっきり?」
聞き返してから、エライネはすぐにその言葉の後を察し、吹き出した。
「心配は無用ですわ。だって私はヴェイナード陛下一筋ですもの」
そう言いながらあこがれに瞳を輝かせている様は、まるっきり幼い子供のようで、やはりエライネに恋人などまだ早いのかもしれないなとロードブルは思う。エライネもいつか誰かを愛するだろう。だが、それはもうしばらく先のことだ。それまでは自分も現役で頑張ろう。彼の体中に、不思議とまた力がみなぎってきた。
「エライネ、特製シチューのおかわりを頼むよ」
「はい、お父様!」
二杯目のシチューを味わいながら、ロードブルは何かを忘れているような気がした。しかし彼は誕生日祝いがあまりにも嬉しかったので、何を忘れているのかを思い出そうともしなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ロードブルと、エライネが家庭で暖かい親子の団欒を楽しんでいたその頃、城の訓練場に小さな悲鳴が上がった。
「男子たるもの、妻をめとろうというからには、相応しいだけの強さがなくてはいかん。俺がそれを試してやろうというのだ、エクトール!」
「妻ってなんなんですかっ? 俺がいったい何をしたっていうんです!?」
「問答無用! 己の胸に手を当ていッ!」
ルインテールは手にした戦斧を、がっ、と振り上げる。
「わーーーーーーーーッ!」
哀れエクトールの叫びは夜空へと吸いこまれていった……。
-完-
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