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アンコールワット【世界遺産】



アンコールワットはカンボジアに在るアンコール遺跡の一つで、それを代表する寺院建設である。
アンコールは王都、ワットは寺院を意味する。大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。
世界遺産のひとつとして知られているアンコール・ワットは、今から130年ほど前にはその存在を知る人すらいませんでした。フランス人の学者が再発見するまで密林の奥深くに眠りつづけていたこの寺院は、ヒンドゥー教3大神のうちのヴィシュヌ神に捧げられたものであると同時に、創健者スールヤヴァルマン2世がヴィシュヌ神の生まれ変わりの神王と考えられていたため、王の死後は墳墓寺院となりました。中央の祠堂は世界の中心山で神々が住む須弥山を象徴し、周囲の回廊は雄大なヒマラヤ連峰を、環濠は無限の大洋をあらわしています。アンコール・ワットはまさに 王権を神格化するためにクメール人独自の"宇宙観"を実現したものだと言えます。

1992年にユネスコの世界文化遺産に指定されたこれらの遺跡群は、荘厳な彫刻が施されたクメール美術の代表であり、東南アジアでの最大級の石造伽藍として独自の洗練された造形美が、世界的にも高い評価を得ています。

歴史

12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として三十年余の歳月を費やし建立される。


1431年頃にアンコールが放棄されプノンペンに王都が遷ると、一時は忘れ去られるが再発見され、アンチェン1世は1546年から1564年の間に未完成であった第一回廊北面とその付近に彫刻を施した。孫のソタ-王は仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を四体の仏像に置き換えたという。


1586年、ポルトガル人のアントニオ・ダ・マグダレーナが西欧人として初めて参拝し、伽藍に対する賛辞を残している。1632年(寛永9年)、日本人の森本右近太夫一房が参拝した際に壁面へ残した墨書には、「御堂を志し数千里の海上を渡り」「ここに仏四体を奉るものなり」とあり、日本にもこの仏教寺院は知られていた事が伺える。1860年、寺院を訪れたフランス人のアンリ・ムーオの紹介よって西欧と世界に広く知らされた。


1887年、カンボジアが仏領インドシナとされ、1907年にシャムからアンコール付近の領土を奪回すると、フランス極東学院が寺院の保存修復を行った。1972年、カンボジア内戦によって極東学院はカンボジアを離れ、寺院はクメール・ルージュによって破壊された。この時に多くの奉納仏は首を撥ねられ砕かれ、敷石にされたという。

内戦が収まりつつある1992年にはアンコール遺跡として世界遺産に登録され、1993年にはこの寺院の祇堂を描いたカンボジア国旗が制定された。

今はカンボジアの安定に伴い、各国が協力して修復を行っており、周辺に遺された地雷の撤去も進んでいる。世界各国から参拝客と観光客を多く集め、また仏教僧侶が祈りを捧げている。