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あえて察しの悪い親
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あえて察しの悪い親
- 別名
- 用途
- 論理的思考を養う
- 論理的な表現力を培う
- 学校文化に合った表現を身につける
- 用例
- 使用法
- 子どもが(無自覚に)省略しているコトバを、親が補って理解するかわりに、質問して引き出す。
- (例)
- 子「おかあさん、あれ取って」
- 親「あれって何?」
- 子「あれだよ、あれ。棚の上にあるやつ」
- 親「棚の上にあるどれのこと?」
- 子「棚の上にある、筆箱だよ。それ取って!」
- 親「棚の上にある筆箱を取ってほしい、って言いたかったのね」
- (例)
- 子「おとうさん、新聞!」
- 親「新聞がどうしたの?」
- 子「見たいんだ」
- 親「何をみたいの?」
- 子「テレビ欄、だから新聞!」
- 親「新聞のテレビ欄がみたいだね、それで?」
- 子「新聞がどこにあるか知ってる?」
- 親「テレビ欄がみたいから新聞を探しているんだね。テーブルの上にあるよ」
- (例)
- 子「おかあさん、紙!」
- 親「紙?紙がどうしたの?ほしいの?なんのために?」
- 子「絵を描きたいの!」
- 親「じゃあ、どんな紙がいいかしら?」
- 子「白い画用紙がほしいの。白画用紙をちょうだい!」
- 親「絵が描きたいから、白画用紙が欲しいのね」
- 解説
- 人間は親しい関係であるほど、(前提としている事情や共有している情報がそれだけ多いので)省略した話し方をする。あえて省略の多い表現を使って(いろんな意味で「身内」や「仲間」にしか分からぬ話し方をして)、無意識に他人との距離をはかる(仲間かそうでないかを区別する)こともあるほどだ。
- だからこのワザは、時に「よそよそしさ」や「他人行儀」を子どもに感じさせるかもしれない。理由を説明できるくらいの歳の子には、「おかあさんはわかるけど、よその人にわかる言い方はこうよ」と付け加えるとよい。
- 現在のように社会が流動化して、身内や仲間以外の人間との接触が増えて、しかもそうした他人との関係がより重要になってくると、省略の少ない表現の重要性が増す。相手が誰であっても誤解の少ない表現が求められる。学校での知識の伝達や、社会のいろんなフォーマルな団体・集団(会社や組織)で求められるのが、こうした表現である。「論理的な表現」「論理的思考」と呼ばれるのは、こうした表現に根ざしている。事実、省略の多い表現を使う集団(たとえば労働者階級やマイノリティ集団)は、省略の少ない表現を使う集団(たとえば中産階級)よりも、学校の成績が低い。バーンスタインは、この差をそれぞれの集団の文化が学校へ持ち込んでくる表現のちがいに求めている。
- 参考文献
- 三森ゆりか、つくば言語技術教育研究所『イラスト版ロジカル・コミュニケーション』合同出版